第23話 紅蓮の影、決意を纏う
「清樹君!」
凛音が振り返り、すぐに駆け寄る。 彼は胸を押さえ、苦しそうに喘ぎながら地面に蹲っていた。冷たい汗が額を流れ落ち、震える声で呟いた。
「……胸が……痛い……」
凛音は驚きと動揺を隠しながら清樹に手を伸ばした。洛白と李禹も緊迫した表情で駆け寄る。
「これは……毒だな。」洛白が清樹の胸元に手を当て、次に脈を取ると、苦い表情で言った。「解毒剤を定期的に与えられているみたいだ。今、効果が切れてるのかもしれない。」
「解毒剤?」凛音は眉をひそめ、不信感を滲ませた声で問いかける。「どういうこと?」
その時、蒼岳が淡々とした口調で割り込むように言った。
「簡単なことですよ。この子も、私と同じ間諜です。ただし、彼はあちら側――傭兵団に属している。」
凛音は目を見開きながら清樹を見下ろす。「傭兵団……?清樹君が……?」
蒼岳は頷き、淡々と説明を続ける。
「ええ。彼があなた方の行動を雇用兵団に伝えていました。この村に来ることや、毒物や拠点の調査をしていることも。」
「違う……!」清樹は苦しみながら反論しようとしたが、声が途切れる。「僕は……!」
「無駄な体力を使うな。」蒼岳が短く言い切る。
洛白は清樹の状態を冷静に観察しながら、低い声で告げた。
「しかし、彼が自ら傭兵団に加わったわけではないでしょう。毒で支配されている可能性が高い。」
李禹は険しい顔をしながら、忌々しげに吐き捨てた。
「毒を使って、こんな子供を支配する?それで兵士だと名乗るつもりか?そんなの、ただの卑怯者だ!」
洛白は短く頷くと、清樹の腕を取りながら言った。
「何の毒かわからない。手元の材料も限られている以上、解毒することはできない。しかし、症状を軽減させることは可能だ。」
彼は針を取り出し、肩胛骨と肱骨が繋がる凹み――分枝の経穴を慎重に探りながら刺した。「ここを封じれば、毒の巡りを一時的に抑えられる。だが、この方法も長くは持たない。時間を稼ぐだけだ。」
清樹の呼吸は浅く乱れ、針が刺さる痛みに顔をしかめたが、それでも口を開こうとした。
凛音はためらいながらも手を伸ばし、彼の額に触れようとした。
「清樹君、私たちはあなたを見捨てるつもりはない。話してくれる?」
清樹の瞳が微かに揺れ、痛みに耐えきれず顔を伏せた。しかし、絞り出すように震えた声で語り始めた。
「……僕が言ったこと……全部本当だよ……母さんが死んだ後……僕は……ずっと一人だった。」
清樹は苦しそうに何度も息を吸いながら続けた。
「でも……二年前……あいつらに捕まったんだ。僕は抵抗しようとしたけど……無理だった。すぐに取り押さえられて……毒を盛られて……。」
彼は弱々しい声で続けた。
「……もう逃げて……僕なんかのために……無駄だよ……名前も付けてもらったのに……僕は裏切ったんだ……。」
凛音は目を伏せ、強く拳を握りしめた。「……それでも、私たちはあなたを見捨てない。」
蒼岳は清樹を一瞥しながら、冷静に口を開いた。 「話は後にしましょう。一刻も早くここを抜けるべきです。追っ手が来る前に、この地下通路を抜けます。外には、休憩できる場所を手配してあります。」
凛音は清樹の顔を見つめた後、短く頷く。 「分かった。清樹君を安全に連れ出すことが優先ね。」
一行は通路の奥へと慎重に進み始めた。薄暗い地下通路は静寂に包まれており、時折、足音が湿った壁に反響するだけだった。
進むうちに、壁際に大きな箱が積み上げられているのが見えてきた。洛白が歩みを止め、一つの箱の蓋をそっと開ける。
「……これは……雪華国の紋章だな。中身は……珠宝や薬材のようだ。」
李禹も箱の中を覗き込み、険しい表情で呟いた。 「国境を越えて運ばれている密輸品だろう。これほどの規模を見る限り……辺境での密輸や取引が、傭兵団を動かしている可能性が高い。」
さらに奥へ進むと、壁に立てかけられている書類の束が目に入った。李禹が手早くそれを取ると、中には「取引契約」「協力要請」などと記された文書が含まれていた。その書類には、最近の日付が記されているものもあった。
「こんな所に……」李禹は低く呟きながら、その書類を鞄にしまい込む。「これを持ち帰れば、奴らの動きが掴めるかもしれない。」
「とにかく急ごう。」蒼岳が短く促すと、一行は再び足早に通路を進み始めた。
宿屋の一室。蒼岳は持ち帰った書類を広げ、無駄のない動きで情報を整理していく。 「まず、慕家と雪華国の関係について。ここにある紋章は、雪華国のものだ。ただし署名がなく、誰が関わっていたのかは不明だ。」 彼は書類を指し示しながら続けた。「さらに慕家と雇用兵団には密接な繋がりがある。凛雲様の到着を事前に把握し、殺害しようとしたのも、その証拠だ。」
李禹は険しい顔で書類を見つめた。「そして、慕家だけでなく、この国の他の官僚も雪華国の遺留品を利用している可能性が高いということか。」
蒼岳は頷きつつ、別の紙を取り上げる。「もう一つ重要なのは、廃村を拠点として利用していること。この場所も含め、周囲の災害は偶然ではなく、意図的に引き起こされたものだ。」
洛白は小さく息をつきながら言った。「瘟疫の原因も、もっと調べる必要があるだろう。ただ、それを深追いする余裕は今はない。」
凛音は書類に目を通しながら小さく頷き、決然と顔を上げた。「分かったわ。しかし、今はこの解毒剤を手に入れるのが最優先よ。」
彼女は書類を片付けると、そのまま立ち上がり、静かに全員を見渡した。
「洛白、清樹君の治療に専念して。彼の容体がこれ以上悪化しないようにお願い。李禹、あなたは彼らを守ってください。そして、蒼岳……あなたの間諜としての立場が露見している以上、内部に潜入するのは難しい。私は自分で解毒薬を取りに行きます。清樹君を救うために、これが最善の方法です。」
蒼岳は凛音の表情を読み取り、短く答えた。「本拠地は人が多く、戒備が厳しい。夜闇に紛れて侵入するのは賢明ではない。」
彼は一瞬ためらったが、冷静に続けた。「ただ、団長は毎晩酒宴を開き、女性を呼んでいる。そこに紛れ込めば、気づかれずに近づくことができます。」
「無茶を言うな!」李禹が即座に声を荒げた。「そんな危険な任務、凛雲様にやらせるわけにはいかない!」
洛白も鋭い口調で反対する。「彼女をそんな危険な場所に送り込むなんて、あまりにも無謀です。」
だが、凛音は冷静に二人を見つめ、静かに口を開いた。「なら、どうする?彼を救う方法を他に知っているの?」
沈黙が落ちた瞬間、洛白は溜息をつきながら言った。「……なら、こうしよう。凛音様が酒宴に出て注意を引きつける間、私が解毒薬を探します。」 彼は続けて言った。「医薬品の配置や特性には少し心当たりがある。李禹はここに残り、清樹を守ってくれ。蒼岳は外で待機し、何かあればすぐ知らせてほしい。」
暗い部屋の中、燭光が揺れ動き、深紅の衣を纏った彼女の姿がゆっくりと現れた。
その服はまるで燃え盛る炎のように、柔らかい曲線を包み込みながらも、鋭さを感じさせる力強さを纏っていた。襟元と袖口には金糸で牡丹の花模様が繊細に描かれ、動くたびに華麗な輝きを放つ。
髪は高く結い上げられ、前にお母様が買ってくれた鳳凰の簪が差し込まれている。その簪は、凛音が歩を進めるたびにわずかに揺れ、まるで鳳凰が羽ばたき舞い踊るかのようだ。周囲の光を受けてきらめくその姿は、見る者の目を奪うほどの優美さを漂わせた。
腰元には赤い琉璃でできた小さな牡丹の飾りが垂れ下がり、衣装の下に隠された短剣は、かつて山賊首領から取り戻した彼女自身のもの――雪華国の紋様が刻まれた唯一無二の刃である。
紅衣の凛音は、ただその場に立つだけで、見る者に忘れられない印象を刻む存在だった。一歩足を踏み出すと、衣の裾が床を軽く滑り、そのたびにまるで音のない旋律が生まれるかのように美しく揺れる。
そのあまりの美しさに、洛白たちは思わず言葉を失った。
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