第22話 影の真実
夜中の廃村は、一層不気味さを増していた。月はただ一つの光源として、闇に覆われた周囲を淡く照らしている。風はまるで顽皮な悪霊のように、ひとたび吹きすさぶと、建物の隙間を通り抜け、不吉な音を響かせた。その音は、何かが潜んでいるかのような錯覚を呼び起こし、静寂の中で余計に際立っていた。
「あの子を本当に連れて行くのですか?」 焚き火の傍で清樹が眠る姿を見つめながら、李禹は凛音に問いかけた。「ここは物資も少なく、周囲の状況も不明です。さらに一人を連れて行くことは、凛雲様に余計な負担と危険を増やすことになるのではないでしょうか。」
「危険なのは分かっているわ。でも、一人でここまで生きてきた子供を、また一人にさせるわけにはいかない。」
「確かに彼の境遇は気の毒です。しかし、彼が本当に雪華国の出身であるかどうか、まだ確認が取れていません。2歳でこの村に来て、5歳で母親を亡くし、それから7年間もここで生き延びたという話には、どうしても現実感が欠けます。正直、あまりに都合が良すぎるように感じます。」
李禹の声は慎重だが、凛音を案じる思いが透けて見える。
「疑うのは当然だわ。」凛音はきっぱりと言い切った。「でも、証拠がないからといって見捨てるのは、間違っていると思う。彼の目を見れば分かる。嘘をついているとは思えない。少なくとも、私には。」
その時、洛白が焚き火を見つめながら、静かに口を開いた。 「彼の話を全面的に信じるのも、完全に疑うのも極端です。状況を慎重に見極めつつ行動すればいい。」
「洛白はどう思うの?」 凛音が問いかけると、洛白は少し間を置いてから答えた。 「彼の情報が事実なら、この村の現状や過去を知る手がかりになる。仮に嘘があったとしても、それを見抜くことができれば、別の意図が明らかになるかもしれない。」
凛音は目を伏せながら、意を決したように口を開いた。
「李禹、今の状況では、この子をここに残すのは現実的ではないわ。私が守る。彼のことも、私たち自身のことも。」
李禹は一瞬迷いを見せたが、すぐに軽く頭を下げた。
「凛雲様がそのようにお考えなら、私に異論はありません。全力でお守りします。」
その言葉には、揺るぎない忠誠と凛音への信頼が込められていた。
朝、壊れかけた屋根から差し込む柔らかな光が床に積もった埃を照らし出し、湿った空気が肌を刺すように冷たく、目を覚ませと皆に呼びかけるようだった。
「今日は、この村を詳しく調べてみましょう。」洛白が提案した。
最初に足を踏み入れたのは、倒壊しかけた古い家屋だった。凛音たちは慎重に中を探る。部屋の隅には、独特な香りを放つ乾燥した草片が散らばっていた。
「これは……ただの雑草じゃないな。」李禹が草片を拾い上げ、じっくりと観察する。「何かの薬草、いや、毒の材料かもしれない。」
さらに奥の壁際で、洛白が散らばる白と暗紅の曼陀羅華の花びらを見つけた。
「見てください、この切り口。誰かが意図的に摘み取ったみたいです。」洛白は花びらを指差しながら説明する。
凛音はその様子をじっと見つめ、低い声で呟いた。「誰かがこの場所で、何かを調合していた……?」
家屋の外へ出ると、中央にある古びた井戸が目に入った。凛音たちは自然とそちらへ足を向ける。井戸の縁は崩れかけていたが、井蓋には奇妙な傷跡が残されていた。
「最近付けられた傷跡ですね。」李禹が井蓋を指差す。
「そうね。人為的な痕跡だわ。」凛音が傷跡に指を触れながら答える。「誰かがここを開けようとしていたみたい。」
李禹が井蓋を押してみたが、微動だにしない。「重いな……簡単には開かない。」
「無理に開けるのは危険かも。」凛音が周囲を見回しながら言った。「罠が仕掛けられている可能性もあるわ。」
洛白が井戸を覗き込み、慎重に呟いた。「ただの廃村ってわけじゃなさそうですね。」
凛音は村全体に視線を巡らせながら、静かに言葉を続けた。「この村には、まだ何かが隠されている……表向きは廃村でも、裏で誰かがここを拠点にしているのかもしれない。」
彼女がふと後ろを振り返ると、清樹が黙ったまま彼らを見つめていた。
「清樹君、何か心当たりはある?」凛音が優しく問いかけると、清樹は少し戸惑った様子で口を開いた。
「この村には、僕以外は誰もいないはず……でも、夜中になると、時々変な音がするんだ。」
「変な音?」凛音が一歩近づいて尋ねる。
「うん……重い物を運ぶような音とか、小さいけど人の話し声みたいな……」清樹は視線をそらしつつ答えた。
洛白はその言葉を聞き、再び提案した。「村の周囲も含めて一度確認した方がいい。日が暮れる前に調べて、必要なら夜間は交代で見張りましょう。」
凛音たちがさらに村の奥へ向かおうとしたその時、背後から何か重い足音が近づいてきた。振り返ると、草むらから複数の男たちが現れる。彼らは揃いの軍服のような装いをしており、堂々とした足取りで近づいてくる。
「……誰か来たわ。」凛音が低く警告する。
男たちは腰に下げた武器を抜き放つと、にやりと笑みを浮かべる。その中の一人がゆっくりと前に出ると、冷ややかな声で言った。「こんなところで何をしているんだ?この村は俺たちの縄張りだ。」
凛音の視線は自然と彼らの手首に向かう。そして目に飛び込んできたのは、あの夜の刺客たちと同じ目隠しをした虎の紋章だった。
「……奴らか。」李禹が剣の柄に手を掛けながら警戒の態勢を取る。
男たちのリーダーらしき一人が一歩前に出て、嘲笑を浮かべながら言った。
「こんなところで何をしている?余計な詮索をする気か?そう簡単には帰れねえぞ。」
その言葉を受けて、李禹は冷静に前へ進み、一呼吸置いて低く威圧的な声で言った。「おい、貴様らは何者だ?どこかの兵か?ここは白澜国の領地だ。この国でふるまう兵なら、当然我が林将軍の名を知っているはずだ。」
彼はさらに言葉を続ける。「ここにいるのは林家の次男、林凛雲公子だ。軽挙妄動は許さないぞ!」
一瞬の沈黙の後、相手の男は肩をすくめるような仕草を見せ、笑い声をあげた。
「将軍の息子だ?だから何だ?俺たちはただの雇われ者だ。国のルールも、将軍の威光も、ここでは通用しねえ!俺たちは俺たちのやり方で動くだけだ。」
男たちはその場で武器を抜き、じりじりと三人を囲むように移動を始める。
「囲むつもりだな……」李禹が前に出ながら呟き、凛音はすぐに反応した。彼女は一歩前に出て、清樹を背後にしっかりと守るように立つ。「李禹、右側を牽制して!洛白、左を頼むわ!」
「了解。」洛白は崩れかけた家屋を利用し、身を隠しながら敵の動きを巧みに誘導する。一方、李禹は剣を抜いて前方の相手を防ぎつつ、全体のバランスを保とうとした。
その時、清樹が声を震わせながら言った。「あそこ……井戸…中に入れるかもしれない。」
「中に入れる?」凛音は瞬時に反応し、眉をひそめた。「李禹が試した時は開かなかったはずよ。それがどうして……?」
その直後、兵士たちの中一人が、自然な足取りで井戸に向かって歩き出した。
「……おい、何をしている!」リーダー格の男が不快そうに声を上げるが、その人物は構わず井戸の蓋に手を掛けた。手慣れた様子で仕掛けを操作し、重い音を立てながら蓋がゆっくりと開き始める。
地下通路が露わになると、井戸を開けたその男が低い声で言った。「早く!中に入れ!」
「……お前!」李禹が一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに彼の真意を察して剣を振りながら後方を守る。「急げ、凛音様!このまま地下に入るんだ!」
その瞬間、兵士たちが一斉に武器を構え、何人かが弓を引き絞る動きを見せた。
「注意しろ!」洛白が低く鋭い声で警告する。
だが、その男は弓を構えた兵士たちを鋭く睨みつけ、低い声で再び命令を発した。「全員、中へ!すぐに動け!」
凛音が一瞬躊躇するも、李禹はその声に迷うことなく井戸の中へ身を滑らせ、凛音もそれに続いた。 最後にその男も通路へ飛び込み、重い音を立てて井戸の蓋を閉じるような仕草をした。閉じられた井戸の上では、兵士たちの怒声や慌ただしい足音が響き渡っていた。
地下通路の中は薄暗く、ひんやりとした空気が張り詰めていた。洛白が周囲を警戒しながら口を開いた。「ここが奴らの拠点だとすれば、どこかに出入口があるはずだ。」
一方、凛音は歩みを緩め、後方にいるその男に視線を向けた。「あなた、一体何者なの?」
男は軽く頭を下げ、低い声で答えた。「蒼岳と申します。蓮殿下の命で、影から護衛しておりましたが、今回は行動する必要があり、姿を現しました。」
「蓮の……?」凛音は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに表情を引き締めると前方へと目を向けた。「今は問い詰めている時間はないわ。先を急ぎましょう。」
李禹が軽く頷き、チーム全体の警戒を高める中、足音だけが静寂な通路に響く。
だが、その静けさを破るように、清樹がその場に崩れ落ちた。
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