第15話 忠義のゆらぎ

「ま、待ってくれ。俺が誰だか分かってるのか?」頭領は何とか短剣から逃れようとしつつ、動揺を隠すように声を張り上げた。

凛音は冷笑を浮かべた。「知らないけど、さっきの捨て台詞からして、きっと死に物狂いで生き延びたくせに恥を忘れたような人間なんでしょうね。」


頭領は自信満々に胸を張り、誇らしげに凛音を見下ろした。「俺がな、かつて雪華国で『無敵の剣』と呼ばれてた、劉偉様だぜ。どんな敵でも、一振りで片付けてやるよ。」


凛音は彼の話に少し驚いたようだったが、すぐに皮肉めいた口調で返した。「それだけ強かったなら、どうしてただの山賊にまで落ちぶれたのかしら?」


頭領は一瞬、表情を引き締めたが、すぐに軽蔑的に言い返した。

「簡単なことさ。強い奴に従えば生き延びられるし、欲しいものも手に入る。雪華国も王家も、所詮その程度のもんだってことだ。命なんざ賭けてやる義理はねえよ。」彼の視線がふと剣に落ち、その瞳に一瞬の愚かしさが混じった。「この短剣も、その戦利品ってわけだ。王のために命を捧げるなんてまっぴらごめんだ。」


凛音は冷ややかな目で彼を見据え、言葉を吐き捨てた。「何か剣士よ、忠義を忘れ、略奪に手を染め、自らの過去すら恥じることなく嘲笑するあなたに、今更山賊だと名乗る資格すらない。」

雪華国のすべてを奪われた者たちの無念や怒り、あなたのような裏切り者には到底理解できない。

心の中で、凛音は静かにその怒りを燃やしながら、冷たく頭領を見下ろした。


「…忠義だと? そんなものに従ってたら、俺はもうとっくに死んでただろうよ。雪華国なんて今は何の価値もねえ。国も王も、もう無いんだ!今更もうどうでもいいだろう!俺はこの剣を手に入れるために、命を張った。何もかも捨ててな。」


「その結果、あなたはこうして私の前に立っている。それが答えです。」

凛音の鋭い視線が頭領に突き刺さり、彼の背筋に冷たい汗が滲んだ。周囲の商隊員たちも息を呑んで、身動き一つ取れずに凛音を見つめている。


李禹が商隊の荷物を軽く調べ、静かに告げた。「凛雲様、ここには他にも雪華国の遺物が多数あります。おそらく、この者たちは辺境で長年、掠奪と密輸を繰り返していたのでしょう。」

凛音は静かに頷き、視線を頭領に戻した。「これ以上の罪を重ねることも、遺物を汚すことも許されません。」


「許さないだと、じゃ私を殺すのか?できるのか?君のような若造が、人を殺すなんて到底できるわけがない。」

「どうかしらね。」

凛音の声が静まり返った空気を突き刺し、その冷たさは刃そのものだった。


頭領は不敵な笑みを浮かべたが、その目はわずかに揺らいでいた。

「山賊が悪いって?笑わせるな。兵士よりずっと仕事だ。この世の中はな、金と地位さえあれば何だってできる。人の財産も命も、好きに奪い、血の味を楽しむ。なんとも愉快じゃないか。」

「もう、聞き飽きたわ。」

凛音は彼の目をまっすぐに見据えたまま、傍らの商隊員の剣を素早く奪い取ると、一瞬の躊躇もなく、その剣を頭領の胸に突き刺した。


一瞬の沈黙の後、頭領は呆然とした表情で自分の胸を見下ろし、崩れ落ちるように倒れた。

凛音は淡々と剣を引き抜くと、それを地面に音を立てて投げ捨て、鋭い眼差しで残った山賊たちを見渡した。その目に冷厳な威圧が宿っていた。


「見ての通り、あなたたちの頭領はもう終わった。今のうちに、心を改めなさい。次にこのような道で会えば、その時は容赦しないわ。」


商隊員たちは足を震わせながらその場を慌てて立ち去った。


「凛雲さま、この先はどうされますか?」

「彼らの言っていた辺境の村を目指しましょう。密輸がまだ続いているかもしれないし、ちょうど向かう方向だわ。」



凛音と李禹が山賊を退け、次の目的地に向かおうとしていたその夜——


凛律は軽く息をつくと、慣れた動作で慕家の壁を越え、音もなく中庭の影に身を滑り込ませた。目指すは、侯爵の書斎。周囲には巡回の侍衛が配置されていることを承知していたが、凛律の足音一つ立てない動きには、侍衛たちの目も届かない。月明かりさえ遮ることなく、彼は建物内へと忍び込んだ。


武術大会での刺客事件以来、凛律は慕府に対して疑念を抱き続けていた。
凛音が狙われた事件の裏で糸を引いていたのが慕家だと確信した今、彼の決意はさらに固まった。


どうして慕府はここまでして慕正義の死因を隠そうとするのか?
奴らの背後には一体どんな勢力が潜んでいる?

「正義」の名を掲げて民を惑わし、陰で暗躍する慕府の真意を暴くことこそが、私に課された使命だ。

慕正義が残したはずの書信が、軍営から「消えた」。

それは慕府が何らかの手を回して証拠を隠滅しようとしている動きに違いない。

あの日、凛音を襲った刺客もまた慕府の一派だ。あの時点で何かを察知されていたのか…


薄暗い廊下の先に、目的の書斎が見えてきた。室内には微かな明かりが漏れ、書類が無造作に積み重なっているのが目に入る。凛律は一つ一つ慎重に探り、手掛かりになりそうなものを注意深く確認した。書棚の奥の隠し引き出しを開けると、いくつかの手紙や不審な記録が目に入った。


ふと目を留めたのは、一枚の地図だった。辺境の村々に印がつけられており、いくつかは見覚えのある村名だった。 「これらの村、確か疫病で封鎖されたはずの場所じゃなかったか…?」凛律は目を細め、地図をじっと見つめた。


地図の隣には書簡も置かれており、手に取って読むと「交易路」「宝物」という言葉が目に飛び込んできた。慕家が辺境で行っている取引に関する手がかりが示唆されていた。


軍営に戻ると、凛律は信頼する部下・李生と合流した。


李生は一礼し、低い声で報告を始めた。

「凛律様、辺境の村々に例の疫病封鎖区域とされる場所がありますが、実は夜になるとその区域に人の出入りが確認されました。慕家がその動きに関与していると聞き及んでおります。また、密かな宝物取引が行われているという情報もございます。」

「…やはりな。」


凛律は深く頷き、先ほどの地図と李生の報告を照らし合わせることで、仮説が徐々に確信に変わっていくのを感じた。

「凛雲様が関わった商隊からも、雪華国の遺物が見つかりました。蓮殿下からの情報では、これも慕家が絡んでいる可能性が高いかと。」李生は付け加え、さらに話を続けた。「凛律様、もしかすると、この一連は雪華国の遺産を巡るものかもしれません。」


凛律はしばらく沈黙した後、厳しい目つきで静かに口を開いた。「慕家は、自らの陰謀を覆い隠すために、徹底して証拠を消し去ろうとしている。あの時、軍営で慕正義の書簡が消えたのも、彼らの仕業だろう。」

李生は少し迷いながらも言葉を続けた。「凛律様、これ以上慕家を探るのは危険です。軍内にも間者がいる恐れがあり…」


「だが、放っておくわけにはいかない。李生、さらに調査を続けろ。辺境の村々で行われている取引と、慕家の動きについて全てを洗い出すんだ。奴らが何を隠そうとしているのか、徹底的に暴く必要がある。」

「かしこまりました。」

凛律の瞳には冷ややかな怒りが宿り、その奥には消せぬ決意が燃えていた。


凛音の身に再び危険が及ぶようなことは、私が決して許さない。

慕府の陰謀がどれほど深くても、必ず真相を突き止めてみせる。

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