第13話 揺れる盃、覚めぬ涙
昔、お父様と一緒にお酒を口にしたのは、一度だけのことだった。
まだ飲むには早い年頃だったが、やむを得ない状況で身を守る手段として教わった。
まさかその技を使う日が、こんなに早く来るとは思ってもみなかった。
お父様の話によると、民間の酒の度数はそこまで高くないという。宮廷のように精密な蒸留もないため、味も粗く、体にはあまり響かない。
肝心なのは、一杯目で丹田に気を沈め、ゆっくりとその酒を受け止めることだ。次の一杯は呼吸を整え、一息に飲み干し、味わわずに流す。
連続で飲む際は、決して酒を意識せず、流れる水のごとく心を澄ませること——速さと勢いで相手に打ち勝つのだ。
「だが、凛音、お前は女だ。酒を飲んだ後は、独り静かに身を休めよ。気を整え、内を乱さぬことが肝心だぞ。」
お父様のその言葉を、今でも鮮明に覚えている。
凛音は頭の中でお父様の教えを反芻し、ひそかに腹に力を込め、冷静に杯を持ち上げた。
頭領は早速、杯を手に取りながら挑発的に笑みを浮かべる。「さあ、若旦那。お手並み拝見といこうじゃないか!」
凛音はその挑発に応じるように、表情を崩さず杯を口に運び、教え通り味わわずに喉へ流し込む。顔に酔いの兆候は一切見られず、静かながらも堂々とした姿が、周囲の男たちを少し驚かせた様子だ。
「おや、若旦那、なかなかやるねぇ。」
「これは油断できないぞ、頭領!」別の男が笑いながら、さらにもう一杯注いで凛音に差し出した。
凛音は何杯も連続して受け、まるで酒の重さも感じないかのように淡々と飲み干していく。その瞳は冷静を保ったまま、商隊の男たちを圧倒しているかのようだ。
男たちはどよめきながらも、次々と杯を持って凛音に挑んでくる。頭領も負けじと飲み続け、いつしか酒の香りが場を満たしていた。しかし、杯を重ねるごとに、頭領の顔には少しずつ酔いの色が浮かんできた。
ふと、頭領がフラつきながら凛音を見つめ、「まさか、こんな若いお人にここまでやられるとはな…」と嘆くように呟いた。
凛音は微笑みを浮かべて杯を置き、静かに言葉をかける。「それでは、約束の品の出どころを教えていただけますね?」
頭領は悔しげに頷き、息を整えながら語り始めた。「ああ、約束だからな。この耳飾りは、少し前に手に入れた品だが、実はもっと東のほう…いや、今ならお前さんたちの向かっている“あの辺り”から持ち出されたもんだ。」
凛音はわずかな違和感を覚えた。確かに、凛音自身は一言も「東に向かっている」とは言っていない。どうして彼がそれを知っているのだろうか。 「“あの辺り”…?」凛音は平静を装い、さらに促したが、頭領の言葉には何か隠された意図が感じられた。
「そうだ。かつて人が住んでいたが、数年前に不幸な出来事があってな、今は廃れてしまっている。その場所に、雪華国の遺品が残されていることが多くてな…」頭領の声がどこか曖昧に揺らぐ。
「不幸な出来事とは?」凛音はさらに問い詰めるように視線を向ける。
頭領は肩をすくめ、「それは我々も詳しくは知らないさ。ただ、そこに行けば、まだいくつかの品が手に入ることがあるって話だ。」と視線を外しながら答えた。
凛音は深く詮索することを控え、ふと微笑を浮かべて言葉を返す。「なるほど、興味深い話ですね。貴重なお話をありがとうございます。」
酒盛りが終わり、男たちが焚き火のそばでそれぞれ眠り始める中、凛音は一歩離れ、李禹に視線を向けた。
「李禹、よろしくね。」静かに言い残し、凛音は商隊から少し離れた森の奥へと向かう。
李禹も後を追うようにして距離を保ちながら進み、彼女から少し離れた位置で警戒を続けた。彼の視線は凛音を見守りつつ、周囲の物音にも鋭く耳を澄ませている。
数時間後、深夜。
「これが木の葉だと?どんだけ下手くっそだよ。」蒼岳は信じられないように蓮を見た。
「ああ、だが何か事情があったのかもしれない。もう少し前に進んでみよう。」蓮は冷静に答えながら、足を止めることなく林の奥へと進んだ。
二人は、林の中を静かに、音を立てないように移動していた。しかし、李禹はわずかながら葉と足の擦れる音に気づき、瞬時に警戒を高めた。
「殿下…」李禹は思わず声を上げそうになったが、蓮が手で制した。
「静かに…凛凛が驚かないように。」蓮は小声で言い、目線を前方に向けて李禹に合図した。
李禹は「はい」と応じ、小声で王都を離れてからの一連の出来事を蓮に報告した。蓮はその話に耳を傾けながら、少し眉をひそめる。「なるほど…彼らが突然君たちに接近し、しかも君たちの行き先を知っていたとはな。少し妙だ…注意を怠らぬように。」
蓮は何かに思いを巡らせているようだったが、李禹に詳しいことは言わず、代わりに蒼岳に向き直り、「しばらく様子を見てくれ」と命じた。
その時、不意に凛音が寝ぼけ眼でぼんやりと目を開けた。「…蓮?」その声に、蓮は一瞬驚いたように凛音を見つめた。
「凛凛…」蓮は微笑みを浮かべ、優しく彼女の頭を撫でた。「どうしてそんなに無理をするんだ?」彼の愛惜に満ちた声が、彼女の耳に静かに響いた。
凛音は夢と現実の境目で、彼がいることを「夢」と思い込み、突然、蓮にしがみつくように抱きついた。そして涙を流し始める。「蓮…母上が持っていたのと似た耳飾りを見たのよ。どうして、どうして皆もういないのに、こうして現れるの…?」
蓮は一瞬、彼女の弱音に驚きを隠せなかった。凛音がこうした姿を見せるのは極めて珍しい。だが、彼女が酔っているのだと気づき、静かにその背を撫で、震える彼女をそっと包み込んだ。
凛音が泣きやむまで、蓮はただ彼女を抱きしめ続け、何も言わずに寄り添った。その後、彼女が静かに目を閉じると、蓮はそのまま彼女のそばに腰を下ろし、凛音の頭が自然と彼の肩に寄りかかるようにして支えていた。
少し離れた場所で、李禹が静かに二人を見守りながら、警戒を怠ることなく佇んでいた。
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