第6話 皇帝との賭け
「頭おかしいんじゃないか、凛律。どうして凛凛まで連れてきたんだ?」
「だってね、今朝音ちゃんが朝ごはんを作ってくれて、部屋まで届けてくれたんだよ。」
「それで?」蓮は羨ましさを隠せず、不機嫌そうに続けた。
「そして、『にに』って呼んでくれたんだ!『にに』だぞ!こんな可愛い妹のお願い、断れるわけがないだろう!」
「お前な、どれだけ妹に甘いんだよ!」蓮は呆れ半分、嫉妬半分といった表情で、凛律の後ろに立つ凛音に視線を向けた。
凛音は、薄荷色の竹模様があしらわれた白地の衣装に身を包み、まさに俊俏な小生のような佇まいで立っていた。その姿には、どこか控えめながらも自然な美しさが漂っている。
「蓮、おはようございます。」
その一言に、蓮の表情が一瞬だけ柔らかくなった。
「……まあ、仕方ないな。」
「ところで、蓮、陛下はすでにいらっしゃいましたか?」
「まだだが、凛凛のこと、ばれたら、どうするつもりなんだ?」
そうだ、凛音はこれまで白瀾国の皇帝と一度も顔を合わせていない。
林家の二公子、凛雲なんて本来存在しない。父上は当然知らないはずだ。
もしこの偽りの姿が露見したら、ただの欺君罪では済まされない。
今は男装の凛音の正体が隠せているものの、いつか父上が凛音に目を留める時が来たら…。
そして、凛音はいつか必ず私の嫁になるんだ。一体どうすれば……。
蓮の心中には、凛音への想いと心配が渦巻き、無意識のうちにその瞳は彼女に吸い寄せられていた。
「何か朕にばれたらまずいことでもあるか?」
皇帝は、気配を消すように柔らかな足音でテントに入り、鋭い目つきで二人を見回した。
蓮と凛律は背筋を正し、思わず声をそろえて叫んだ。 「父上!」「陛下!」
この人は、この国の皇帝ですか。
この人が、私の国を滅ぼしたのか。
この人のせいで、父上と母上は命を落としたのか。
ずっと目を背けてきた、この十年。お父様とお母様のためにも、忘れようとしてきた。
けれど……なぜ、雪華国は滅びなければならなかったのか。
もともと、この世に正当な戦争など存在しないはずだ。
凛音はわざと長衣の両端を持ち上げ、まるで優雅な淑女の裙をまとっているかのように、右足を左足の後ろにそっと添え、ふわりと一礼した。そして、口を開き、柔らかく言葉を紡いだ。
「陛下、ごきげんよう。林家の娘、林凛音にございます。お目にかかれまして、光栄の至りでございます。」
「娘だと?」皇帝はその美しさを見て、驚きながら問う。「何故男装したのか?」
「恐れながら、陛下。」凛音は穏やかな微笑を浮かべ、しっかりと視線を合わせて続けた。「本来であれば、林家の娘として正装で伺うべきかもしれませんが、女性であるからといって戦いの道が閉ざされるわけではございません。父も申しておりました、林家はこの国の力となるべき存在であると。私もまた、その一端を担いたく存じます。」
少し背筋を伸ばし、丁寧に言葉を紡ぐ。
「この装いも、その志を陛下にお伝えするためのものでございます。」
凛音の言葉が静かに響き渡ると、そこにいたすべての者が彼女を見つめた。皇帝も、凛律も、侍官たちも、皆その視線にはどこか敬意が込められていた。
彼女はまさに「凛音」そのものだった。冷然とした美しさと、清澄な品格を兼ね備え、まるで冬の雪を耐え抜く一本の竹のようで、強さと柔らかさが絶妙に調和している。その姿には、揺るぎない威厳が漂っていた。
ただ一人、蓮だけはその場に立ち尽くしていた。驚きに目を見開き、彼の瞳には一瞬、動揺が浮かんでいた。まるで自分だけが知っている宝物が他人の目に触れたときのような、不安と戸惑いが入り混じっていた。 「恐ろしいお嬢様だ。」皇帝は少しばかりの欣赏と玩味を浮かべながら続けた。「そのような覚悟で、何を望んでおるのだ?」
凛音は穏やかに微笑みを浮かべ、一礼して答えた。「実は、陛下のお許しがあれば、今日の射箭の場に参加させていただきたく存じます。そして、もしわたくしが勝利しました暁には、ひとつだけ、陛下にお願いを聞いていただけないでしょうか?」
凛音がその願いを口にした瞬間、蓮の表情は微かに変わったが、すぐに元の飄々とした笑みに戻った。
誰にも気づかれないように、彼女を見守っていく。その目には、ただこの一つの決意が宿っていた。
一方、凛律は驚きと心配を隠せず、小声で彼女の名前を呼んだ。「音ちゃん……」
「ほう、面白い。」皇帝の口元が僅かに緩んだ。「では、その覚悟、見せてもらおうか。」
凛音は心の中でそっと拳を握った。雪華国の名にかけて、負けるわけにはいかない。この一矢、この場で、私の誇りを示してみせる。
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