不道徳/不健全

 ふわふわのファーコートが、窓越しの陽射しを浴びてきらきらと光っている。君はそれを着ていた。

 臙脂色をしたソファは金の縁で滑らかに流線を彩り、フィナンシェのような楕円の背もたれには君の背中が預けられていた。冷たそうな手すりの上には君の冷たそうな手、薄く血管が浮き出た手の甲は真っ白に日の光のせいで輝いていた。僕は目を細める。

「どこ見ているの」

 君の歌うような声に顔を上げる。君は茶色のボブヘアをふぅと揺らして僕を見下ろしていた。長く立ち上るまつ毛がマスカラの助けを借りていたとしてそれは完璧な君の美しさだ。僕はそれをよく知っていた。

「変なひと」

 君は長い脚を組み直しながらくすくすと笑う。一瞬脚を開いたすきにファーコートの中の裸が見えて、陰になった君の陰毛が現れた。僕が切り揃えてやるそれだ。それが隠すヴァギナの奥の感触すら、僕は知っている。

「ねぇ、なにを考えているか、当ててあげましょうか」

 君の裸の輪郭はファーコートで……薄くピンクを孕んだ官能的な色味だ……覆われていて、豊満な胸も、頬を寄せられそうなくびれも、絶妙に隠されていた。腹の真ん中にあるへそだけがちらと時折顔を出して僕をどきりとさせた。

「そうねぇ……さっき食べたサンドイッチのこと」

 ぱっちり開かれた君の瞳はカラーコンタクトで彩られていて、淡い青色をしている。潤んだ瞳がしかししっかり僕を射貫いて僕をここに跪かせて離さなかった。

「違う? じゃあ、これから向かう買い出しのこと」

 手すりに暇そうに置かれた君の手、そこから生える指がばらりばらりと触手のように蠢いている。爪の先が肌馴染みのいいピンクベージュに塗られているのを僕は知っている。僕が塗ったのだから。

「また外れ……それじゃあ、あれでしょう、今日は風が穏やかでよく晴れているなぁ、って」

 高い鼻筋に入れられたハイライト、頬の高いところに乗せられたチーク。完全に彩られた君の完璧な造形。

「寡黙なひと」

 君の薄い唇が吊り上がって優雅に笑う。君のすべてが美しかった。僕の目の前で惜しみなく展開されている君のすべてが。

「あなた、私に一歩だけ近づいていいわ」

 音も立てずに君に近づくと君の芳香が一歩分近づく。その濃厚な君の香りに……シャネルのパルファムと君が元々もつ特有の甘さ……くらくら脳髄まで染まりそうだった。

「忠実ね、あなた」

 君はそのすべてを利用して、ひとを魅入らせる。君に魅入らされたひとは……もしやひととも限らないかもしれない……きみに忠実になり、君の箱庭の中で踊り、やがて破滅する。それが定石だった。

 僕は少し違った。

「あなたのこと、好きよ」

 君は僕を丁重に大切に扱った。ほかの連中に対してはそうはしなかった。僕は実の弟のように丁寧に、愛息子のように愛情深く、硝子細工のように慎重に君に愛された。簡単に接触を許さなかった君に、僕だけが今は君に触れることを許されていた。そして君は身の回りの世話をすべて僕に任せ、君を飽きさせることも満足させすぎることもないように僕は働いている。僕だけが!

「大好き。好きよ。あなただけが」

 これが過去や未来に僕以外のひとに囁かれている言葉だったとしても構わなかった。手垢だらけの言葉だったとしても、君の手垢なら喜んで飲み干す。

 僕にとっての世界が君だけであるように、君にとっての世界だって僕だけだった。君は僕以外の人間ともうしばらく会っていない。

「あなたもそうでしょう?」

 君の美しさが僕だけのために発露され、僕だけの視界を埋めている。僕がつくった僕のための君の姿は、涙が止まらないほど美しい。その手はスプーンも持たず、その口は好きな言葉しか喋らず、その瞳は気まぐれにしか瞬かず、その性器は赴くままにしか愛を垂らせない。

 僕ゆえに、僕のために。

「ねぇ、あなた、私無しじゃなにもできないのね」

 ひとりじゃなにもできない、僕だけのファム・ファタール。

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