夏風、もしくはハスカップの想起
「入道雲ってさーあ、わたあめみたいだよね!」
きみはベランダから外を覗きながら、暑さも吹き飛ばすような大声で言う。ぼくはというと、すっかり酷暑に身体が敗北して、アイスキャンディーをいたずらに消費しながらリビングのど真ん中に寝ころんでいた。
「そうかなぁ……」
「だってさ、もくもくもくーってして、白くて、おっきくて! いいなーわたあめ……あっ、お祭り行きたくなってきた!」
きみは振り向いてはきらりと笑う。水色のかかったきみの肌は涼し気で、羨ましいとすら思った。ぼくも早くああなりたい。
「お祭りなんて行ったらたいへんだよ。暑いし、人多いし」
「夜だから涼しいって。人ごみをかき分けて楽しいものにたどり着くあの感じがいいんじゃん!」
こういうところとはつくづくきみとは合わない。とはいえこのまま議論を続けたら、きみの熱意にぼくが根負けして、夜の神社に繰り出す羽目になることはわかっている。でも、今はそうもいかないのだ。
「あ、ソフトクリームもいいなぁ! 冷たくてとろけるバニラ味!」
ソーダのアイスキャンディーを啜る口の中にほんのりバニラの記憶を召喚しては、疑似フロートを思い浮かべて、それは結構いいなぁと思う。でもソフトクリームを買いに出かけるほど今のぼくに元気はない。
「でもわたしがいちばんすきな味は、」
「ハスカップ」
「あたり!」
きみは嬉しそうに笑う。きみが笑うと長い黒髪がふらふらっと揺れて、白い歯がきらり輝く。きみは爽やかで、夏のいいところだけを凝縮したみたいなひとだ。
「おばけにも見えるかも」
ぼくがぽつっとそう言うと、きみは一瞬きょとんと目を丸めた。
「ハスカップが?」
「違うよ。入道雲」
ああ、ときみは空を今一度見上げて、そうかもねえとのんびり言う。
「あんなに近くにおばけがいたら、こわいねえ」
「そうでもないよ」
きみはぼくの方に向いて、そうなの、と聞く。ぼくはアイスキャンディーの棒を小包装の袋の中に押し込みながら頷いた。
「そっか」
きみは微笑む。
「こわくないなら、よかった」
きみはわあいと両手を上げて喜ぶ。その姿が愛らしくて、ぼくは夏のはじめに見たあの自殺現場の衝撃から、少しだけ解放された気がした。
「……きみがこわいわけないよ」
入道雲ときみ越しに、熱波のような夏風が吹く。
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