一生

「明日世界が終わっちゃえばいいのにね」

 きみのほろ酔いの声は、沈黙を破って不意にそんな言葉を僕に届けた。僕が、ぱち、と瞬きをするのを見て、きみはけらっと笑う。

「なに、そんな顔して、どしたの」

「いや」

 きみが急におかしなこと言うから、と返しかけて、やめた。きみが言うことにおかしなことなんてものは存在しないはずだった。きみが言葉にする以上すべては真剣だった、僕は知っていた。

 きみは、ほんのりピンクになった頬を宵闇の中に浮かばせて、へにゃへにゃと微笑んでいる。

「冗談だよ」

「きみの冗談なんて聞いたことない」

「あはは、そうだっけ」

 ひゅう、と耳元を風がよぎった。秋口の夜の涼しい風は、僕ときみの隙間も容赦無く通り過ぎていく。サンダルしか履いていない足が少し冷えた。脛に押し付けるように右足をえいやえいやとしていると、きみがちょっとだけ目を細めるのがわかった。

「ほんとに思ってる。明日世界が終わっちゃえばいいって」

「それは、どうして」

「知りたい?」

 きみはだいぶ空に近づいてきたチューハイの缶を手の中で持て余しながら、涼やかに目を閉じる。長いまつ毛が夜の中でも妙によく映えた。

「あなたと過ごすたびにそう思うんだよ」

 きみは、ぱちっと開いた瞳で急に僕を見る。そのつやつやした黒目に魅せられる。

「だってさ、もし明日世界が終わるってわかったら……あなたはこの夜のことを、今だけでも一生懸命に記憶しようとしてくれるでしょ」

 ぐっときみが残りのチューハイを呷る、缶と唇の狭間から香る苦味のあるレモン。僕は、まだ半分も残っている梅のチューハイをぎゅうと掴んだまま、返事をし損ねていた。

「あなたが、一生、わたしのことを覚えててくれたらいいのにって思うの。もし世界が明日終われば、その願いはきっと叶う」

 きみが、はあぁ、と酔っ払った声を出した。手でひらひら自身を仰ぎながら、そして、からりと笑ってみせた。

「なんて。ごめんね、変な話して」

「……ひとついい?」

 なぁに、ときみの視線が改めて向けられて、ちょっとだけ緊張する。

「きみとのことなら、僕は、一生覚えてるよ。世界が終わるのが明日だろうと、いつだろうと、関係無い」

 きみはぱちくりと目を丸くして、それから、

「そっか」

 少しだけ丁寧に、微笑んだ。

「そっか! じゃあ、世界は早く滅びるだけ損だね。あなたに覚えててもらう時間が減っちゃう」

「そうだね」

「そうだよ」

 僕も少しだけ笑った。きみが空き缶を両手で小さく持つ愛らしい姿を見ながら、永遠に覚えていようと思った、ほんとうに、それだけ思った。

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