ベッドもいらない

「アナタ、ほんとにアタシのこと好きなのね」

 真綾さんは僕にそう言っては、いつもみたいにふんと鼻の頭の方で笑った。真綾さんがよくやる笑い方だった。僕はどきりと掴まれた心を無視出来なくて、ぎこちない音を喉から漏らしてしまう。真綾さんはそんな僕を見てクスクスと笑う。

「図星かしら?」

「なんですか、急に……」

 急なのはそうだが、それにしても間抜けな返答だ。内心で恥じ入っては真綾さんを視線だけで見上げる。カフェで真正面の席に座っている真綾さんは、きっとこの木目の薄いテーブルの下でタイツに包んだ脚を組んでいる。

「アタシ、ずっと思ってたの。でもいつ言おうかと考えてたのよ」

「その考えた結果が今なんですか」

「それで、どうなの?」

 真綾さんはゆったりと頬杖をついて僕を見つめる。深い茶色の髪の毛が、頭頂でゆるりと結ばれていて、その時にふわりと揺れた。顔横に残った毛束がゆらゆらと捻れていて、そうさせるのに時間をかけたのかな、とどきどきする。僕のために。僕と会うために。

「……好きですよ、真綾さんのこと」

 幸いというべきか、カフェには僕たち以外の客はいない。真綾さんが選んだこの席はカウンターからも遠いから、真綾さん以外の誰にも僕の言葉は聞こえないだろう。

「ほんと?」

「本当です」

「どのくらい?」

 どのくらい、って……と、明らかに僕が困惑したのが面白かったのか、真綾さんはまた甲高く笑っては細めた瞳で僕を見つめている。その瞳に見据えられては言い逃れは出来ないし、もとより真綾さん相手にそんなことをするつもりは無い。

「……なにを言っても引きませんか」

「引かない」

 真綾さんがカフェラテのカップを手に持ち、アナタが答えをくれたら飲むわ、と言わんばかりにこちらを視線で射抜く。心の中で用意した答えを出すか否か僕は悩んだ。けれど、ここまで出た手前、ちょっとやそっとの激しさは逆に恥をかく気がした。僕は、秋口の冷たい空気をすぅと細く吸って、押し込めるように言う。

「真綾さんのために、死ねます」

 言ってからすぐ後悔した。やっぱりこんなことは天下の往来を横目に言うことじゃないし、そもそも打ち明けるべきことじゃない。頭を抱えたくなる僕をよそに、真綾さんは

「フゥン」

 とカップに口をつけた。ひと口、ふた口、飲んでマスタード色のカップをテーブルにことんと置いては、突然声を上げて笑い出す。

「アハハハ。そんなにアタシが好きなんだ」

 上品に口元を手で押さえながらもその笑いはそこそこ激しいので、僕の方がきょとんとびっくりしてしまう。僕の言葉に真綾さんがこんな顔をすると思っていたのに。

「情熱的ね。でも、ひとつ良い?」

 ひとつ、と真綾さんは指を立てて、ふらふら髪を絡ませるみたいにしながら呟いた。

「アナタが死んでアタシがどんな得をするの?」

 ぞっとする冷たい声。真綾さんは凛とした眼差しを僕に突き刺している。僕は潰れた声を零すだけ。

「ものの例えだってことはわかるけど……アナタが死んでもアタシ、嬉しくないわ」

 視線を落とす、目の前でほわほわとコーヒーから立ち上る湯気に覇気が無い。

「そう、ですよね」

 おかしな会話だ、と自分でも思う。やっぱりあんなこと言わなきゃ良かった。変な勇気を振り絞るべきじゃなかった。

「あの、」

「それならね、アタシ、アナタが隣で生きててくれた方が良いわ」

 ね、と肩に触れるのは、真綾さんの手、白くて薄い……手首、真っ白なブラウス、伸びていく腕。僕の方に真綾さんの手が触れている、と理解するまでに時間がかかった。小さく椅子から立ち上がった形の真綾さんが、少し上でにこりと天使のように微笑む。

「隣で生きててくれてた方がマシよ」

 トーンが気持ち落ちたその言葉の意味は分からなかった、でも幸福だった。すきなひとから生を願われるほど、隣にいていいと言われるほど、この世に喜ばしいことがあるだろうか? 僕は溢れ出る感情に押し潰されそうで、涙さえ出ずに、服越しに伝わる真綾さんの手の温度を享受していた。

「隣で生きて、いいんですか」

 真綾さんは僕の手を取ってふんわり包み込んだ。小さいはずの真綾さんの手は僕のぶ厚い手を儚く覆い隠している。撫でるようにしながら真綾さんは、いいわよ、と慈悲深く言った。

「隣に置いてあげる。一生ね」

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