馬鹿な職業
映画館を出るとそこは雪国だった。この村にもとうとう冬が来たらしい。はぁ、とミタマが息を吐くと、白くふわふわと魂のようなものが出て行った。
「終わっちゃったね」
隣で寒そうに自身を抱き締めているモアが、努めて笑って言った。ちらと見やったその横顔も無理に微笑むようで、鼻先が赤いのはきっと寒さのせいだった。
ミタマは視線を落として返す。
「……仕方の無いことだよ」
「これも、カミサマの思し召し?」
「すべてそうだよ。例外無くね」
ミタマが歩き出すとモアが続いた。ふたりが足を出すたびに、ぎゅむ、ぎゅ、と新雪を踏み締めた軋んだ音がした。
「映画館が無くなっちゃったら、わたしはどこで暇を潰せば良いのかなぁ。わたしのママがやってるカフェか、図書館?」
「やることならたくさんあるでしょう。良い加減に儀式へ来なさいよ、モア」
「だって、面倒くさいんだもん」
「面倒とかそういう問題じゃ無い。だいたい、うちは隣でしょう。歩いて数秒。儀式だって日がな一日するわけじゃない。きちんとカミサマに向き合って、告白することも、村人の務めだよ」
そういうものかなぁ、とモアが不満げな声で言う。いつもそうだ。信心の欠片も無いような女、モア・シンゲツ。何故こんな女とつるんでいるのか、ミタマ自身にもよくわからなかった。家が隣の幼馴染だから、というのは、理由になるだろうか。家が隣だろうが馴染みの顔であろうが、会おうと思わなければ会わないだろう。これもカミサマなりに結んだ縁なのだろう、とミタマは既にこの問題について納得しているのだが。
「最後の上映なのに、誰もいなかったね」
モアが映画館を振り返りながら言う。確かに、ミタマとモアの他に観客はいなかった。おかげで、上映が終わった後にモアが立ち上がって拍手したときも、あまり恥をかかずに済んだのだが。ミタマも肩越しに少し映画館を見る。まだ新しい建物がしんしんと雪を受けて、そこに佇んでいる。寂しそうだ、とミタマはなんとなく思った。
村に映画館ができたときも、こうだった。喜んでいたのはモアだけだった。ミタマはモアに無理やり連れられて映画館に通った身であり、映画なんぞに興味は無い。しかし祈りの時間を避けて時間を工面してはモアに付き合い、モアと感想を語り合った、というよりもモアの感想を一方的に聞いていた。モアの感想はミタマにとっていつも新鮮だった。モアの感想を聞くたびに、映画も悪く無いものなのかもしれないとミタマは思ったが、やっぱり好きにはなれなかった。誰かの人生を見ているみたいでおぞましい。パラレルワールドを夢想する遊びの成果を見せられているようでむず痒い。ミタマにとって、映画はそういうものだった。
映画館に行っては奔放に遊ぶモアのことを村人は煙たがり、どうしてミタマまで付き合うのだとたびたび非難されたが、幼馴染のよしみだと言うとだいたい引っ込んでくれた。この村は旧知の縁に優しい。
「ねぇ、ミタマ」
モアが不意に立ち止まるので、ミタマも止まる。モアは俯いていた。まだ泣いているのか、とミタマがポケットからハンカチを出そうとしたところで
「カミサマは、人生の再上映を望むと思う?」
と、にっこりした笑顔で言った。ミタマはきょとんとして、しかしすぐに考える。どういう意味かわからなかったので、そう言った。モアは脚をぴんと伸ばして、自身を軸にしたコンパスのようにくるっと地面に円を描く。
「映画って、作り手による人生の再上映だと思うの。こんな人生だったら良かった、こんな決断がしたかった、あのときこうしていたらどうなっていたのか……みたいな。カミサマは、もしかしてこの村において、それを観ることすら望みたくなかったのかなって」
「どうして」
「この村から出ていく人生を夢見られたら困るから」
モアは笑っている。おぞましいほどうつくしく笑っている。屈託無く笑うあまり、ミタマが一瞬気圧されるほどに。
「カミサマは、この村で自分に告白を捧げ、供物を捧げ、人生を捧げる人間がたくさんほしい。だから村の誰かが、この村から出たらどんな人生があるんだろう、と思ったら困る。実行されたらもっと困る。きっとそう気がついちゃったんだよ。だから、映画館は無くなった。映画の持つ力をカミサマに認めてもらえたみたいで、わたし、嬉しいな」
モアはバレリーナみたいに華麗にターンを繰り返しながら、そんなことを言った。ミタマにはモアがなにを言いたいのかよくわからなかった。映画館が無くなった正当な理由を彼女なりにこじつけているのか?
「ねぇミタマ、そうやって人間の可能性を潰すような存在が、カミサマで良いと思う?」
侮辱……一瞬頭をよぎった単語。ミタマはかっと頭に血が上るのを感じたが、抑えた。モアの話はまだ途中だった。
「わたしは、良くないと思うんだ。人間には無限の可能性がある。カミサマだって、わたしたち人間をつくった時点でそのことをわかっていたはず。今更になって規定しようなんて虫が良い話だよね。カミサマは、もっとわたしたちを解き放つべき。カミサマは、あんな存在では無いべき。カミサマは」
ひと、呼吸。
「そんな自己中心的じゃだめだよね、ミタマ」
見透かしたような瞳のモアが、ミタマを見つめる。ミタマは、そろそろ儀式の時間なんだよな、と思った。
早く戻らないと。
「ミタマ、映画は嫌い?」
ミタマはモアに見据えられながら、凛として返す。
「嫌い」
「わたしの言った通り?」
「そうだよ、モア・シンゲツ。お前は仕えるための身として生まれながらその責務を放棄し、他の人生を夢想した。その罪を告白すれば許してやる。ミタマ・ミチルと幼馴染であるというそのよしみでね」
ミタマはモアをまっすぐ見つめ返した。モアは臆さなかった。それどころか、嬉しそうにその目を細めていた。
「ミタマ、あのね、あなたをカミサマとして崇め奉っては、村人たちの告白による罪を背負わせるなんて、わたしはまっぴらなんだ」
モアはさくさく歩いて、ミタマに顔を近づけた。ふ、と涙が香ったのは、気のせいだろうか。ふたりの顔の間をしんしんと雪が侵す。
「わたしは、ミタマがだいすきだから。そんなことから解放されてほしい。あなたも他の、人生ってものを夢見て、叶えちゃおうよ」
取られた手は冷たかった。雪の中だ、無理も無い。
「だいすきだよ、ミタマ。カミサマなんてやめて、わたしと生きて」
モアの声は雪に静かに吸い込まれて、しかしミタマの耳に確かに届いた。ミタマは、三度だけ瞬きをして、モアに微笑んだ。
「馬鹿な女の子だね、モアは」
「そうだよ、ミタマがいちばんよく知ってるはずでしょ。わたしは馬鹿だけど、愚かなことはしない」
ぱん、とモアの頬との間に衝撃が走って、ミタマ自身も痛みを覚えた。モアは凛々しくそこに立っていた。泣いていたのは気のせいでは無かった。
「冬になると、この村からいよいよ人間が出ることは難しくなる。だから、今日が最後のチャンスだよ、ミタマ。わたしは行く。ミタマを連れて行く。この村から、あなたを解放する」
「趣旨が変わってるよ、モア。こんな自己中心的な女がカミサマじゃいけない、って話じゃなかった?」
「そうだよ。ミタマはカミサマにふさわしくないし、ミタマにカミサマなんて似合わない。適した人間ならもっと他にいるはずなんだから、ミタマが無理すること無いんだよ」
「無理なんてしてないよ」
「ミタマ、わかってくれないんだね」
「モアこそ、わからないんだね。言葉を重ねるたびに、モアのことを赦し難くなってきてしまっているよ」
「わたしはミタマに赦しなんて求めない」
「侮辱、何回目かわかる?」
「ミタマ、だいすき」
しゅ、なんて音、鋭い熱さと温もりが失われていく、気配。
「あなたを解放させて」
首に手を当てるとぶしゅしゅと間抜けな音を立てながら、赤い液体が流れ出ていた。指の隙間からどんどん噴き出ていく。あ、これは、だめなやつだ。
「また来世で夢想して。わたしと生きる人生とか、わたしがいない人生とか。でもね、モア・シンゲツは、何度でもあなたの隣に生まれ変わります。あなたと生きるためなら、なんでもします。それだけ覚えておいて」
モアがうつくしく笑って、泣いている。忙しい奴だ。ミタマは膝から崩れ落ちて、そのまま雪の上に倒れ込んだ。柔らかな氷がみるみる紅に染まっていく。いちごのかき氷みたいだ、なんて馬鹿なことを思った。
モアは、ミタマをじっと見下ろしていた。髪の毛に雪がふわふわ飾られていた。それすら、ぼやけてきた。
「だいすきだよ、ミタマ・ミチル。今度はカミサマなんて馬鹿な職業に生まれないでね」
モアのその言葉が、閉幕の合図だったかのように、切れた。
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