第21話 怨嗟の叫び

「菘っ!」


 廃堂にたどり着いた椿姫は、口と手足を縛られて投げ出されている菘を見て、思わず声を上げた。

 菘はなんらかの術で眠らされているのか両目をとざし、意識がないようだ。胸が上下しているので息があることはわかる。

 誰がこんなことをしたのか――相手が何者であれ、許せはしない。相応の罰は受けてもらう。


 廃堂に設置されている砕けた仏像の陰から、一人、妖怪が現れる。

 異質な妖気を纏うそいつは、瘴気にも似た気配を漂わせる六尾の妖狐。腰に差した二本の刀を抜き、ゆっくりと口を開いた。その声音は低く、冷たい。


「稲尾椿姫だな」

「あんたは……あんたが、菘を、」

「焜だ。あんた、じゃない。……そこの猫、手出しするな。ガキを連れて失せろ」


 万里恵は猫呼ばわりされたことに苛立ったが、菘を戦闘に巻き込むわけにはいかない。椿姫と焜をそれぞれ一瞥し、菘を抱えて廃堂から出ていく。


「どうして菘を生かしておいたの? 私たちが憎いんじゃないの?」

「子供を殺す趣味はない。それに、最愛の姉が死んだと知った時のあの子は、さぞ絶望するだろうしな」

「悪趣味な女狐め」

「お互い様だ」


 椿姫は静かに抜刀。刀身に紫炎を纏わせ、上段霞――視線と水平に、切先を相手に向けて構える。


「かかってこい、呪術師」


 絶対零度の声音が、椿姫から、明確な殺意と共に溢れた。

 焜が獣らしい、闘争本能の発露としての笑みを浮かべ飛びかかってきた。

 両の刀を揃え、直上からの切り下ろし。椿姫は太刀でそれを弾き、鋭く刺突を放つ。焜は右の剣で受け流すと左の剣で逆袈裟に切り下ろし、椿姫は素早く身を翻して躱した。

 速度も膂力も稲尾一刀流を免許皆伝した椿姫に匹敵するほどである。その気迫は、凄まじい憎しみを伴っていた。


 稲尾の血筋が野良妖狐から恨まれやすいことは知っている。だがこれは、異常なほどの憎悪だ。退魔師として生きているだけでここまでの恨みを買うことがあるだろうか。あるいはこいつは、十年前の――。


 フラッシュバック――攫われた菘、下品なロリコンクソ野郎の、腐った息。世間の目、バッシング、何も知らない群衆の無遠慮な誹謗中傷。


 余計な思考を捨て、椿姫は戦いに集中。

 斬撃を躱し、防ぎ、反撃。まずは左の剣を落とそうと椿姫は蛇のように太刀をからめ、相手の手首を浅く裂いた。

 焜が俄かに小さく息を漏らし、左手の握力を緩める。そこへ椿姫は金剛の術を二倍掛けした右足を擦り上げた。つま先が相手の甲をジュッと焦がし、左の剣を弾き飛ばした。宙を舞った剣を焜はすぐに諦め、右の二尺五寸の刀を両手で保持。

 シッ――と短く呼気を漏らし焜は低姿勢からの切り込み。


 椿姫は右足を跳ね上げて斬撃を避け、瞬時に着地、踏み込みと同時に脛斬りを見舞う。

 脛斬り――柳剛流りゅうこうりゅうの剣士が使った技の一つ。稲尾家は常人に比べ僅かに腕が長いこと、そして三尺刀という寸尺の大きい刀を使うことから本来は薙刀で見られるこの脛斬りと相性が良く、剣術に取り入れている。稲尾柊は明治時代にこれを稲尾一刀流に取り入れた。

 立ち会いにおいて命である足を斬る技。多くの剣士がこの技で沈んできた。男子の剣士が女子の薙刀に勝てない――それを体現した技と言える。

 焜は虚をつかれたように、しかし瞬時に足に踏ん張りを利かせ後ろに宙返りし、脛斬りを回避する。空を切った切先に陽炎が立ち上った。


「あんたは、なんで私をこんなに恨むの?」

「覚えていないんだな……お前にとっては野良妖怪なんてそんなものだろう」

「……野良妖怪を助けこそすれ、恨まれるようなことなんてしてない」

「貴様のその要らぬ慈悲が、傲慢な思い上がりが妹を殺したんだ!」


 ブワッと赤黒い妖気が膨れ上がった。凄まじい「顕圧けんあつ」と共に彼女の影から黒い鎖が伸びる。


(あれは――溟鎖めいさ!?)


「溟鎖解放、三番獄門・禮獄れいごく――出でよ、瞑坐祢くらざね


 渾式神こんしきがみ――それを使えるステージの呪術師だったのは、想定外だった。


 術師が使う式神術には、大きく分けて三つある。


 一つは契約式神。これは現世にいる他の妖怪や術師を雇い、式神のように働いてもらうこと。言わば、金で雇った雑用係のようなものだ。

 二つめは浄式神じょうしきがみ。これは現世に抑留する霊魂と契約したり、あるいは生きている生物の羽毛などに妖力を流して擬似的な霊体生命を形成する術だ。簡易的な降霊術を交えたものもこれに含まれる。

 上記二つは比較的容易に扱える式神であり(一つ目は厳密には術ではないが、根回しや交渉も立派な術師の立ち回りである)、初心者でも融通が効く方法だ。


 しかし三つ目、渾式神は違う。


 溟獄めいごくという領域に存在する牢獄、獄門に囚われた存在と契約を結び、必要に応じて顕現させるその術を扱えるのは術師の中でも限られ、得られる効果も膨大だ。

 一つに、術式の共有。召喚者は式神が持つ独自の術式を己でも扱えるようになる。

 二つに、防御結界の展開。式神が召喚者を守るために結界を展開するのだ。

 召喚された場合、最低でも同格の術師であれば負けは濃厚。逆転するには、同じく渾式神を呼び出すのが手っ取り早い――。


「ガアッ!」


 瞑坐祢と呼ばれた、二メートルの筋骨隆々の半裸の男が怒鳴った。

 同時に口から水が放たれ、それが水流となって椿姫を襲う。水の術式――流体は剣で切りにくいというわかりきった常識。つくづく厄介だ。


「〈天瀑てんばく〉」


 焜が両手を合わせ、地面に手をついた。するとそこから間欠泉のように水流が溢れ、椿姫は廃堂から押し流される。境内まで転がり出された椿姫は御神木に手をかけて止まり、式符を一枚抜いた。

 素早く振って発動する。凍結符だ。水がバキバキと凍っていき、焜は己の手が巻き込まれる前に水流を止める。

 瞑坐祢が飛び上がり、蹴りを見舞った。椿姫は太刀を体と足の間に挟み込んで防いだがそのまま土産売り場の屋根に突っ込み、屋内の棚をぶち抜いて地面を転がる。


「〈穿牙せんが〉」


 出入り口に立っていた焜が、基礎術の一つである〈穿牙せんが〉を水の術式で応用、発動しようとしていた。

 両手に圧縮した水球が、椿姫に向かって発射される。彼女は咄嗟に尻尾の毛を毛針硬化の術で硬化し、体を五本の太い尻尾で包み込んだ。

 バチィッと水流が命中し、硬化した毛を何十本も砕いて、なおも水は放出を続ける。

 瞑坐祢が何もしないわけがない。やつもまた〈穿牙せんが〉の構えをとり、椿姫を狙おうと、


「〈断巻たつまき〉ッ!」


 凄まじい暴風圧が巻き起こった。

 金属の質量を持った竜巻とも言うべきそれは瞑坐祢の表皮を切り裂いて青黒い血を吹き出させ、〈穿牙せんが〉を中断させる。

 焜の〈穿牙せんが〉も止まり、椿姫は顔を上げた。


「万里恵!」

「菘ちゃんはブルーノに預けた! 怪我はないって!」

「よかった……。万里恵、あっちの式神をお願い」

「わかったわ」


 太刀を構え直し、椿姫は焜を睨む。

 問題は防御結界だ。椿姫の手持ちの術で破れるものがあるとすれば一つ――しかしそれは、日に連続で出せるものではないし、こちらの消耗が極めて大きい。

 決めるとしたら、ここぞと言う時。

 焜は水流を左手に凝縮。それを足元に叩きつけ、


「〈天瀑てんばく〉!」


 二度目の水流爆発を打ってきた。

 椿姫はカウンターに上がって自分が突っ込んできた屋根の穴から外に出ると、社務所の屋根に移る。そうして凍結符の式符を投げつけて水流を凍結させつつ、気配を消して社務所に窓から入った。

 焜は姿の消えた椿姫に舌打ち。水流のせいで視界は途絶えていたのだ。だがあいつが隣の社務所に入って行くまでは気配を察知できていた。

 こちらには防御結界がある。小手先のトラップでは仕留められないことなど相手だって承知済みのはずだ。にも関わらずゲリラ戦を挑もうとしている――そのことにどこか気色悪さを感じながら社務所に向かう。

 入り口の戸を蹴破って中に入ると、昔の棚や金庫、土産入れの箱がそのまま放置されていた。

 奥の畳の間にはちゃぶ台とやかんがある。微かに異臭。何か食べ物が放置されたままで、腐っているのだろう。


 気配。


 頭上から氷の槍が伸びてきた。だが焜は動じない。槍は焜に触れる寸前、ドーム状のバリアに阻まれ粉々に砕ける。

 それを皮切りに足元からは火炎が吹き出し、足から焼こうとしたが当然無意味だ。


(こんなトラップで何がしたい――? いや、これは!)


 氷の槍が炎の地雷で瞬時に蒸発し、濃密な霧になる。しかもそれは妖気を纏った氷と炎の濃霧だ。これは、立派な妨害チャフとして機能する!


「まずい――」


 社務所の外で、椿姫は妖力を練り上げていた。そしてそれは、チャフで上手く感知できない焜にとって致命的なものだった。


 稲尾椿姫は、先天性の術式不全を患っている。母から受け継いだ術式を満足に扱えず、使えてもせいぜいライターのような狐火から、……龍を模った炎を放つ大技というくらいの、両極端なものだった。

 一と十の出力しか出せない。その間のグラデーションが、椿姫には描けないのだ。

 だから、椿姫の術式は連発が困難である。唯一の例外は、刀剣に纏わせる付与術のみ。

 そしてこれから打つのは、十の出力の大技。


「〈千紫万劫せんしばんこう紫龍しりゅう〉」


 直後膨れ上がった絶大な妖力は、五尾妖狐の全力全開のそれ。直径一メートル、全長二十メートルの紫炎で構成された龍が現れ、それが社務所――焜へ突っ込んだ。

 炎の噴流速度は毎秒八〇〇〇メートル。プラスチック爆弾の燃焼速度に匹敵する爆轟状態だ。そんなものが直撃すれば、いかな防御結界とて無事ですむ道理はない。

 壁を溶かし、龍が社務所に突っ込んだ。


「稲尾ッ――椿姫ィィィイイイイイイイイ!!」


 炎に飲み込まれた焜が怒号をあげ、必死に妖力でガード。結界を幾重にも張り、金剛の術も重ねがけして身の守りを固めるが皮膚が炭化。


「ころ、す――ころして、っ――や゛る――――ッ!!」


 激しい火炎の中で焜は怨嗟の叫びを上げ、やがて紫龍の術が解けると、社務所は炭の塊になっていた。

 その中に、血がにじむ炭化した妖狐が一匹狐の姿で横たわっている。死にかけの状態であり、椿姫の勝利は確実に思えたが――。


 焜に異変が起きたのは、その時だった。


×


「お姉ちゃん、たんぽぽ見つけた!」

「あら、こんな日陰にも咲くのね」

「ここね、午前中陽が当たるんだよ!」

「へえ」


 妹がいた。血のつながりのない、化け狸の妹が。

 彼女はポンと名乗って、可愛らしい顔でいっつもいっつも焜の後ろをついて歩いてくる子だった。野生の獣だった頃から一緒に山で暮らしていた。彼女は焜が狩りから帰ると、彼女が掘った巣穴に居着いて呑気に眠っていたのである。その様子がなぜか愛らしくて、追い出さず、共に暮らすことにした。思えばあの段階で、お互いに妖怪の素養があったのかもしれない。


 ちょっと鈍臭くて、愛くるしくて、抱きしめると温かい、優しい匂いがする彼女。

 そんな彼女との暮らしは満たされていた。貧しい暮らしで、人里に降りてきた彼女らは日雇いの仕事をこなして安い賃金をもらい、それでなんとか生活必需品を揃えて高架下にブルーシートと段ボールで作った家を建てて暮らしていた。

 退去指示を繰り返す市役所と、ホームレスの争いは日常茶飯事だった。時々退魔局の局員もやってきて、無責任に「君たちの働き口がある」と宣ったが、そんなわけがない。退魔局の工場は野良妖怪たちの募集でとんでもない倍率である。違法スレスレの、というか普通に盗みさえ働いた焜たちが働けるわけがなかった。

 汚れた野良妖怪は、一生汚れた暮らしをするしかない。


 ある晩、ポンの帰りが遅くて焜は心配になって彼女を探した。その日は縫製工場の仕事が入っており、六時には帰ると言っていたのだ。だが、三十分過ぎても一時間が経とうとしても、彼女は帰ってこなかった。

 彼女が使う路地を探していると、すぐに焜はポンを発見できた。

 ポンは数人の人間の男に乱暴されている真っ最中で、カッと頭に血が上った焜は奴らを殺してでも助けようとした。

 そこに現れたのが稲尾椿姫だった。彼女が男どもを一喝すると、彼らは怯えて去っていった。

 焜はその時はまだ彼女の下の名前など知らなかったが、月白の毛並みと紫の毛先で稲尾の狐だと悟り、密かに嫉妬と、そして感謝をした。


 しかしその日からポンはやたらと正義感が強くなった。口を開けば「退魔師になる」ばかりで、ときどき危険な喧嘩の仲裁にまで割って入るようになっていた。

 焜の不安が的中したのは、それから四ヶ月後のこと。

 テントの前に、どちゃっと湿った音がして何かが転がった。

 焜がそこに出ると、ズタズタに切り裂かれ死にかけている、狸の姿のポンが転がっていた。


「おねえちゃん、ごめんなさい……むちゃ、しちゃった」


 血だけではない。微かに、精液の香りもする。

 あいつのせいだ。

 稲尾椿姫が余計なことをしたから、こうなったのだ。


 それは逆恨みと言っていい感情だったが、焜にはどう処理していいかわからなかった。

 そうして彼女は本格的に呪術師としての生涯を歩む決意をするのだった。息を引き取ったポンを失いたくなくて、気が触れた焜は彼女の遺体を喰った。ポンと暮らした家を燃やし、そうして流浪の武者修行に出た。

 野良妖怪、家持ち妖怪問わず喧嘩を売り、叩きのめし、時に返り討ちにあって己を鍛えた。


 稲尾椿姫を殺せれば、この身が朽ちても構わない。真之にそう言って、無理を通してヤオロズの上澄みを受け入れたのだ。

 絶対に、殺してやる。

 焜の原動力は、あまりにも虚しく哀しい、復讐心だった。

 妹を傷つけた連中は皆殺しにした。住処を特定し、家に生首を投げ込んでやった。姿を見せず、神出鬼没の焜を退魔局が危険視した頃に、クーを拾い、気づけば真之を兄と慕い、また家族を得ていた。

 自分たちのような存在が、幸せに暮らせる世界であればいい。――富を独占するクソ野郎が、弱者を搾取する社会など滅べばいい。


 どいつもこいつも、殺し尽くしてやる。善人のフリをした、傲慢で身勝手な独善に酔う独裁者どもなど、皆干し首にしてやる。


×


 炭が剥がれ、肉がぼこぼこと波打って再生し、五〇キロ近い狐が顕現する。その尻尾は六本。ゆらめく赤黒い妖気は明確に瘴気を纏い、彼女の頭部を狐の頭蓋骨が外骨格よろしく覆った。


「まだやる気か……!」


 と、その時山の奥で膨れ上がる妖気を感じた。

 これは、まさか――。


「燈真……?」


 なぜかわからないが、確信に近い予感を抱いた。そして負けじと椿姫も人型の変化を解き、狐の姿に戻った。奇しくも五十キロ級の狐の姿である。

 金色の狐と月白の狐が睨み合い、そして、最後の決闘が始まるのだった。

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