第9話 午後のティータイム

 二階に上がると、そこはやはりというか魔女の家を彷彿させる内装になっていた。

 木目調の建材が剥き出しの柱に、建築物の花形といえる梁も丸太をそのまま使ったような荒々しいものが露出しており、精錬窯と蒸留装置から伸びたパイプが天井に伸び上がっている。

 空調もこだわっており、スチームスタイルの空調設備が設られ、レコードからはゆったりとしたバグパイプの音色が奏でられている。

 ライトはところどころに灯された退魔の青い蝋燭が差し込まれたカンテラで、店内に淡い光源をもたらしていた。


「すげえ……魔女の基地だ」

「オーレリアさん、います?」


 竜胆が声をかけると、奥の緞帳から腰をしゃんと伸ばした老婆が現れた。

 魔女の三角帽子を被り、ローブを着込んだ女性。長い鉤鼻と皺に埋もれた目に、ふさふさした眉毛。しかし、かつては絶世の美女に違いないという気品が、オーラとなって溢れている。


「柊のところの竜胆かい。そっちは……ははあ、柊の新しい弟子だね。噂になってるよ、音をあげず半月以上も修行に耐えてると」

「漆宮燈真です。……柊の修行って、そんなに脱落者が多いんですか?」

「来るもの拒まず。天下の九尾に教えを乞う機会など一生にも、転生してもあり得んというのに弟子が滅多に現れん。つまりは柊が鬼も真っ青なほど厳しいからに違いないね。坊やも散々な目に合ってるだろう?」


 老婆はそういって、ヒッヒッヒ、と笑った。

 まあ、散々と言えば散々だ。

 今まで受けてきた痛みを合算して数倍した痛みをこの短期間で味わったし、あり得ないほど殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた。それでも確実に強くなっている手応えがあったから食らいついてきたが、確かに普通は耐えられないだろう。修行で普通に治らない傷を受けた場合は柊が妖草の煎薬で治すほどなのだ。


「俺は頑丈さが取り柄ですし、それにやられっぱなしなんてごめんですから」

「見上げた度胸だね。気に入ったよ。……紅茶でもどうだい。竜胆は、冷たいミルクでも」

「よろこんで」「僕もご一緒します」


 店の一角にある丸テーブルに座った。燈真は出入り口に一番近い場所に、竜胆は窓際に。これは稲尾家のマナーであり、襲撃を想定した並びだ。守る対象を最も安全度の高い場所に座らせ、危険度の高い場所に稲尾の者が座る。無論、相手に相手なりのマナーがあれば、それが優先だ。

 出入り口は敵が突入してくる危険性が、窓は狙撃が飛んでくる危険がある。竜胆も曲がりなりにも稲尾の狐だ。術の起こり――妖力の波を嗅ぎ取れる「嗅覚」は備わっている。

 老婆はにっこり笑った。


「そんなことしなくても、儂はお前たちの十倍は強いんだがね」

「ご謙遜を。柊が言うには、村の四番手、と言うほどだそうですよ」

「買い被りさ。儂は物作りをするだけのしがない魔女だよ」


 彼女は吉川オーレリアと名乗った。英国の魔女と、日本人男性の間に生まれた半妖だという。江戸時代頃にイギリスからオランダに渡った魔女が、オランダと密かに交易があった港へ密航し、裡辺まで渡ってきたという。年齢は三百歳ほどで、あえて老婆の姿で過ごしているとのことだった。

 曰く、若い頃散々遊んだから、美貌はもう充分らしい。


 と、そこへ若い男性妖狐が現れた。二尾のアカギツネ系妖狐――おそらく、裡辺地方に生息するアカギツネの亜種・リヘンギツネ妖怪だろう。

 燕尾服を着込んだ執事然とした、二十代前半ほどの外見の彼は柔和な笑みで、ワゴンから食器を並べていく。

 アミューズと呼ばれる、ちょっとした食事に、ケーキスタンド。それから、紅茶。

 彼はまるでそれ自体がティータイムの一部であるように、高く掲げたポットから茶を注いでみせた。


「ごゆっくりどうぞ。母上も、商品の売り込みを忘れずに」

「お前は商売人だねえ……」


 青年が去っていく。

 燈真は、「いただきます」と言った。隣の竜胆も、氷が浮かんだミルクを受け取っており、いただきますと言って口をつける。

 一口飲むと、香り高い豊かな味わいが広がった。燈真は紅茶の茶葉に詳しくないがなんとも言えないが、フルーティで渋みが少ない。


「アフタヌーンティーと言ってね。これは英国で嗜まれる文化だが、母の時代にはなかったんだ。私が生まれて少ししたくらいに生まれた文化だそうだよ」

「そうなんですね。てっきり俺は、それこそ中世の頃から流行っているのかと」

「当時の貴族の食事会は野蛮なものだったそうだよ。……アミューズから食べて、下のお皿から上のお皿へ食べ進めるんだ。なかなかに格式高いものだろう?」

「作法、ですね。勉強になります」


 燈真は柊との修行の中で、年長者を尊敬する精神が芽生えていた。

 というか、と実感したのだ。

 燈真はアミューズの、スティックに刺されているフルーツを食べた。木苺とブルーベリー。甘酸っぱい。酸味の方が勝る印象で、目が覚めるような感覚がした。

 竜胆ももそもそと食べており、ゆったりと時間が流れる。


「さて、息子も心配するだろうし商談に入ろう。何がご入用かな?」


 オーレリアはそう言って、ブルーベリーを口に含んだ。


「それなんですが、俺は最近退魔師になったばかりで呪具に明るくないんです。どう言う商品がいいのかもいまいちわからなくて……予算は一応、三万円ほどを考えています」

「ふむ……初心者におすすめの呪具かい。得意な武器は?」

「素手です。金剛の術で体を強化して格闘術っていうスタイルですね」

「なら話は早い」


 指をパチンと鳴らした。すると、棚のフックにかかっていた黒い数珠が、ふわりと飛んでくる。

 オーレリアはスープを飲みつつ、それをキャッチした。


「護身の数珠だよ。妖力を流すと、結界を膜状にして体に覆い被せるものだ。金剛の術で硬くなった体も、常にその防御力を維持できるわけじゃない。妖力の息継ぎのような、継ぎ目。そこを狙って、悪辣な呪術師は攻撃を仕掛けてくるものだ」


 それを聞いた燈真は、スープカップを置いて、少し眉をひそめた。

 十二分に聞かされていた話だ。退魔師は人間や妖怪――悪意を持って妖術を使い人を傷つける呪術師とも戦う。往々にしてそれは、制圧や逮捕ではなく、殺害に踏み切るケースが遥かに多い。

 まだ、ヒトを殺す覚悟は燈真にはなかった。だが、そう遠くない将来、その判断を嫌でも迫られる。


「いいものを用意した。値は張るが、効果は充分以上。オーレリアの名にかけ保証しよう」


 下の皿の段の、サンドウィッチをオーレリアが一つ手に取った。竜胆はアフタヌーンティーが初めてではないようで、慣れた手つきでサンドウィッチをちぎり、食べている。

 後日燈真は、パンはキリストの肉体とも考えられ、ナイフとフォークではなく、手でちぎって食べるのが西洋のマナーらしいと、菘から聞いた。


 レタスとハムとチーズのサンドウィッチを口に入れる。シャキシャキと瑞々しいレタスの水分を弾くバターの塩味と、オリーブオイルの味わい。チーズの香りに、ハムの食感が合わさり、旨い。手作りだろうと言うことは容易に想像できる。

 燈真は紅茶を、ゆっくり口に含む。少し冷めてきたが、それはそれで味わいがある――かもしれない、と感じた。

 

「攻撃系の式符とかはありますか?」

「飛び道具系だね? オーソドックスな火術、雷撃術、氷結術、それから結界術を用意しよう。五、六枚ずつもあればいいかい?」

「はい」


 できれば予算以内であってくれと思ったが、野暮な気がして口には出さない。退魔師は、局勤務であればその道具も経費で落ちるが、バイト形態だったりフリーランス契約方式だと、交通費も呪具費も経費では落ちない。全部自前だ。その分、報酬が発生した際に局になんやかんや手数料をひかれることもないが。

 やはり、魔法めいた奇術で棚から札を五枚ずつ吸い寄せて、掴んだ。それぞれ術式陣を確認し、手渡す。


「合計、きっちり三万円だね。消費税分は、初回費用でおまけしてやろう。茶会にも付き合わせてしまったしね」

「ありがとうございます。正直すごく助かりました」

「素直だねえ……あんたみたいな根明は退魔師キツそうだよ、ヒッヒッヒ……」


 真ん中の段のローストビーフを、オーレリアが切り分けながら言った。


「こいつは昨日作りすぎてね。よかったら分けてやろう。あの可愛らしい菘ちゃんも、喜ぶだろう」


 それまで口を挟まなかった竜胆が、ふふ、と笑いながら、「大喜びですよ」と答えた。


 それからは雑談に興じ、三人はおかわりを持ってきた執事の妖狐も交え、ティータイムを楽しんだ。

 二杯目の紅茶はミルクをたっぷり入れ、今後も店を利用していこうと、燈真は胸の中で思った。


×


 店を出る頃には空は夕陽で赤く染まっていた。ちょっとのんびりしすぎただろうか。だが、家の人たちもある程度は寛容で、催促のメールなどはない。いざという時は念話で連絡を取れるので、その安心感もあるのだろう。

 燈真は竜胆の案内を元に、自ら前に立って路地を歩いた。竜胆はあれこれ指示を出すような野暮な真似はせず、適当な話をしながらついてくる。

 普通なら十分もせず出られる路地を、だいたい体感二十分ばかり彷徨って、ようやく車道に出た。

 その路地の出入り口に、一人の男が「はぁ」とため息をつきながら呆然と立ち尽くしていた。明らかに道に迷った風である。相当迷ったのか、脂汗までかいて若干具合も悪そうだ。


「どうかしました?」


 竜胆が尋ねると、その若い男はようやく気づいたとばかりに振り返り、ハット帽をとって軽く会釈した。


「こんにちは。ちょっと旅行でこっちに来たんですが、いやはや九龍城もかくやと言わんばかりの路地で……」

「ああ……ここ自体ある種の〈庭場〉構造になってますから、土地面積以上に広い空間になってるんですよ。重要なのはどこに行きたいのかをイメージすることですよ」

「イメージですか……ちょっと神社に参拝して、御朱印でももらおうかと……」

「そう思いながら歩いていれば、辿り着きますよ」

「助かった。……鬼塚と言うんだ。何か縁があったら、また」


 ひとあたりのいい笑みを浮かべ、竜胆は言った。屈託のない無邪気な顔で親切にされた男は、嬉しそうに微笑んで「ありがとう、少年」と礼を言い、歩いていく。

 その話を聞いていた燈真は、なるほどと思った。

〈庭場〉――妖力のみで構築された、特殊な空間構造。上等相当の術師や(中には一等級でも使える術師はいるが)、魍魎が用いる異空間だ。

 この村は、それ自体が〈庭場〉と隣り合った土地らしい。それで、あんな迷路のような路地が広がっていたのか。


「燈真も聞いてたでしょ。店の場所と出入り口さえ覚えておけば、楽に行き来できるから」

「ああ。今日は助かったよ」

「だろ。僕はこう見えても気が利く男だからさ」


 こういうところはいかにも椿姫の弟、と言う感じだ。

 燈真はふっと微笑んで、竜胆の頭を撫でた。


×


 魅雲常闇之神社。魅雲村にある、藍色の鳥居が特徴の変わった神社である。

 常闇之神社とこやみのじんじゃというのは裡辺地方でのみ見られる神社であり、主に妖怪から信仰される黒闇の女神・常闇を崇拝する神闇道じんあんとう系の神社である。

 いくばくの神使と、主神を祀り、人は輪廻転生の果て最期は闇に還るという教えに根ざすものだ。闇に還った者は可能性の海へ漂い、どこかの、あるいは誰かの宇宙で再び生命を芽吹かせる。

 裡辺地方に住んでいれば小学生でも知っている、ポピュラーな宗教だった。


 鬼塚真之おにづかさねゆきは帽子を脱ぎ、小脇に抱え鳥居の前で一礼する。

 この神社で祭りが開かれるのは八月十日のこと。その前に仕込みをしておかねばならない。

 真之は境内の奥にある雑木林に入る。無断で入ってはならない場所だ。特段禁足地ではないが、常識的に考えて入っていい場所ではない。寺社の林とは不入はいらずの森、あるいは禁足地として存在し、古くは鳥居の前に下馬の札があり、境内での魚や鳥獣の捕獲・殺傷を禁じられていた。

 特にこの神社では退魔局と提携し、禁足地への無断の立ち入りは退魔規定法に定食する行為として、五十万円以下の罰金、または三年以下の懲役刑が課せられる罰則である。一般的な司法ではなく、退魔規定法だが、それ自体はしっかり国会にも承認された立派な法である。


 端的に言えば、鬼塚真之は呪術師だ。

 他者を呪い、殺すことを生業とする者。その魂に、他者への絶望と世界への憎悪を宿した者だ。

 手にした札から、一つの箱を取り出す。

 楽園に至るため犠牲にした少女の肉で作った箱――禁后パンドラ

 その製法は、少女の母親の手で、少女を精神的に、肉体的に破壊し作るものだ。

 狂気と狂乱をもたらす、呪物。――いや、忌物いみものだ。この禁后の犠牲部位は腿。効力は全身を用いたものより遥かに低いが、充分なテストになるし、陽動にもなるだろう。


 ――早く手放したい。頭がおかしくなりそうな、異質な霊気をずっと感じる。心臓を氷点下まで冷え切った手で握りしめられているような感覚だ。さっきから、脂汗が止まらない。


「恨みはないが、理想のためだ」


 そう言って、真之は箱を地面の奥底に、埋め込むのだった。



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