第10話 誕生日会
八月九日。稲尾家ではこの日を
決まってこの日の魅雲村の天候は、狐の嫁入りである。今朝から、快晴の空から雨が降っていた。この雨は午前九時には止んで、今はすっかり晴れ渡っていた。
「おねえちゃんおめでと! わっちからのプレゼントは、ほっぺにチューです!」
ご馳走がずらりと並ぶ居間。
菘がそう言うなり椿姫に抱きついて、頬っぺたにムチュっとキスをした。椿姫は心底嬉しそうに菘を抱きしめ、頭を撫でる。
「いひー、これで百年頑張れる~~~~」
「ムフー!」
「バカ姉妹め」
竜胆は冷めた目でそう言った。燈真も若干、冷めた目である。気持ちはわかるが、椿姫の妹煩悩っぷりが凄すぎてスン……としてしまう。
柊も呆れ返った顔で「いいから放してやれ」と言って、グラスにビールを注いだ。毎日酒を飲んでいるが、健康被害はないんだろうか。
妖怪は頑丈な体をしており、酒に強い酵素を往々にして持つが、だからと言って毎日バカみたいに飲んでいれば流石に肝臓を悪くしそうである。
テーブルの上には寿司桶と、コャンチキンフードというチェーン店のフライドチキン、それからケーキが並んでいる。
燈真はノンシュガーのカフェオレを注いだタンブラーを、光希はノンカフェインコーラを、竜胆はリンゴジュース、菘はオレンジジュース、椿姫はノンカフェインココア、万里恵はミルクを、伊予は椎茸茶を手に、まずは乾杯をする。
「かんぱーい」
菘の音頭で、それぞれ器を掲げた。
柊は喉で噛むように、ゴクゴクとビールを飲む。見ていて爽快なくらいの飲みっぷりであり、一息でグラスを空にする。
さっそくだが、竜胆はプレゼントの狐の花瓶が入った紙袋を取り出し、「はい」と言って渡した。
「おー、竜胆。くるしゅうない」
「はいはいわかったわかった。ったく」
むすっとした顔で、竜胆はバフっと尻尾を床に当てた。庭先の庭では、貝音がチキンを頬張っている。ちなみに彼女からのプレゼントは真珠の首飾りで、椿姫はさっそく身につけていた。
包みを破き、椿姫は微笑みながら狐の花瓶を受け取った。
「ありがとね、竜胆」
「うん。ま、頼りになる姉だしね。ちょっと過保護気味だけど」
「まーあんたは一人めの姉弟だし尚更でしょ。ま、せいぜい強くなることね」
「わかってる」
実は竜胆も修行をしている。彼が得意なのは鎖鎌と弓。中距離武器と、飛び道具だ。特に弓の扱いは上手いを通り越して達人であり、百発百中の命中率である。目隠ししていても霊視で的を見抜き、ど真ん中を撃ち抜くほどだ。
次は光希である。彼は木彫りの狐を渡した。
「コツコツ作ってたんだよ。大事にしてくれよな」
「いいじゃん、可愛い。ありがと、部屋に飾っとく。次は万里恵?」
「私はぬいぐるみでーす!」
万里恵が背中に隠していたぬいぐるみを差し出した。
頭ほどもある大きさの、一頭身の狐ぬいぐるみだ。なんとも愛くるしい造形で、もちもちした手触りなのが、椿姫は持っただけで理解した。
「おー、フミフミしたい食感ね」
「でしょ。狐の姿に戻ってフミフミしたら気持ちいいわよ」
「いいね、菘にもフミフミしてもらお」
「む?」
菘はもうチキンを食べていた。もぐもぐ口を動かし、大きな瞳でぬいぐるみを一目見て、すぐにチキンに戻る。アルミホイルを掴んで、大きな肉にかぶりついた。
続いて伊予だ。彼女は、一冊の本を渡す。
「動物の写真集よ。四足獣を中心に、鳥類や爬虫類も」
「ありがと伊予さん。あとで読むね。んで、柊は? そりゃあもういいもん用意してんでしょ?」
「妾からは毎日ためになる言葉を送っておるだろ」
「はいはい出して。どーせ用意してんでしょ」
「ったくこの生意気娘は……」
ぶつぶつ言いながら柊が取り出したのは、木箱である。
「開けてみろ」
「重くはないわね。……筆?」
「妾の尻尾の毛で作った筆だ。お主くらいの歳くらいに、楓にも同じものを送った」
楓とは、椿姫たちの母である。現在は、退魔局支援のもと、人妖融和の奉仕活動を日本各地で行っている。
「ほえー。書き初めとかに使っていい?」
「自由にしろ。お主のものだ。……子供ができたら、己の毛で編んだものを送ってやれ。お主の戦衣の毛は、
その靖夫とは、椿姫たちの実父で、純血の妖狐だ。聞いた話によると、竜胆と瓜二つの面立ちをしているらしい。
「へえ。……まあ私の子が退魔師になるかどうかはまだわかんないけどさ。マフラーとか作ってあげようかな」
なお、妖狐が尻尾の毛を刈るのは滅多にないことだ。場合によっては、一生に一度も刈らないこともある。夏場に暑苦しくても、彼らは尻尾を誇るため毛を切ったりなどしないのだ。
だが同時に、妖狐の毛は妖術の媒体として非常に優秀であり、高値で取引される。特に、狐の姿――本来の姿の時に脇から取れる毛は、非常に高値で取引されるのだ。
狐腋の毛といって、非常に貴重なもので術の媒体としては最高品質。特に、健康な妖狐の毛は、非常に価値が高い。
九尾の尻尾の毛の筆となれば、一本一千万はくだらない値がつくだろう。柊はそれをしれっと渡したのだ。これは、普通に考えてありえないことである。
「伊予、ビールのおかわりを……」
「今日だけだからね。いっつもいっつも理由をつけておかわりするけど……」
伊予が脇に置いていたビール瓶を渡す。
さて、最後の大トリとなってしまったが燈真の番だ。
「俺はこれ。実用的なモンを選んだ」
「なんだろ……ペンとか?」
置いていた箱を渡す。
椿姫はそれを開けて、中身の、狐と書かれたマグカップを手に取った。
「ほえー、コップかあ。確かに必需品ね。ありがと、大事にする」
「おう」
さて、プレゼントを送り終えたらあとは楽しく食事である。菘はフライングしてチキンを食べていたが、ご愛嬌だ。すでに、いただきますはとっくに済ませていたし。
燈真は寿司桶からサーモンを選んだ。同じ釜の飯を食う家族だが、返し箸はした。親しき仲にも礼儀あり、である。
わさびを溶かした醤油につけて頬張る。脂の乗ったサーモンの、噛むとプツッとちぎれる食感と脂の甘み、海の香りが口に広がる。臭みを醤油とわさびがかき消し、酢飯の爽やかな甘酸っぱさが、口の中にふわっと広がった。
そういえば、生魚は夕方に食うと美味いと聞いたことがある。というのも人間の嗅覚は一日の終わり頃、夕方に鈍くなるから生魚特有の臭みに鈍感になるからだとか。ネット情報なので確証はないが、しかし燈真は嘘だな、と思った。明るい時間の寿司なのに、こんなに美味いではないか。
竜胆は大トロである。艶やかな赤身のマグロが乗ったそれを、美味そうに頬張った。
「あっ、私の大トロ」
万里恵が慌てて大トロを取った。椿姫は「別にいっぱいあるでしょ」と言いながら、さすが狐、いなり寿司を迷わず掴んだ。
光希はトロの軍艦。ネギは載っていない――獣妖怪の大半は、ネギが御法度なのだ。
菘はチキンを骨になるまで食べてから、いなり寿司を選んだ。「うみゃーい」と言いながら、満面の笑みで頬張る。
伊予チョイスは渋い。シメサバの寿司を選んで、醤油もつけず、そのまま食べた。なんというか、大人の選択という感じである。
では最年長柊は何を選ぶ――そう思ってそれとなく見ていたら、玉子を選んでいた。
いや、それはむしろ菘の選択では? と思ったが、黙っていた。何をどう食べるかなど、そのひとの自由だ。
「寿司は玉子が美味いな。わさびなんぞは外道だぞ」
「柊わさびダメなのか?」
「わ、わるいか」
「悪くはないが、意外だなって」
燈真は素直に思ったことを言った。柊はてっきり、おろしたてのわさびさえそのまま食べられるくらいだと思っていた。辛口の日本酒を美味しそうに飲めるくらいだし。
あの、つーんとくる感じがダメなのだろうか? 同じ辛いでも、確かにわさびの辛味は独特と言えるかもしれない。実際、鼻に刺すあの辛さで好き嫌いが分かれるほどである。
燈真は、好きの部類だった。寿司と刺身にはわさびがないと、と思う人間である。
「貝音にもお寿司もってこ」
椿姫は取り皿に寿司をとりわけ、草履を履いて庭に出た。
「貝音、お寿司!」
「ありがと椿姫。……ふふ、首飾りで少し色っぽくなったんじゃない?」
「素材がいいのかな」
「相変わらずねえ」
寿司を受け取った貝音は、椿姫と談笑しながら会話する。人魚は肉食魚なのだろうか。生魚を食べることに、特に抵抗はないようだ。まあ鳥類も強い種が弱い鳥を捕食したり、それこそ獣という括りではそれが顕著であるから、珍しくはない。サメはイワシの大群に突っ込んで、大口を開けて丸呑みに近い形で捕食するではないか。
人魚が実は肉食である、という知見を得た燈真は、彼女らとの付き合い方を一つ学んだ。貝音は端でマグロを掴むと、醤油はつけないこだわりなのかそのまま頬張っていた。
余談だが、燈真はすこぶる目がいい。マサイ族か、というくらい目がいいのだ。理由は、多分先祖の影響だと思う。こんなに血が薄れてもまだ妖怪やら神職の影響が出るのかと、自分でも呆れる。
と、椿姫が戻ってきた。菘は二本目のチキンレッグを手に取っていた。本当に好きなんだな、と思う。
燈真は軟骨の唐揚げをいくつか皿に乗せた。からしマヨネーズを少しつけて、バリバリと噛み砕く。光希は鶏頭の素揚げを取って、頬張っていた。
ハクビシンの食性は雑食。人里に降りてくるような個体は畑の家庭菜園だったりを主に食べるが、肉食の傾向もある。特に妖怪化したハクビシンは狩りを本能的に学び、あえて山に帰っていって武者修行的に力を磨く者もいる。この辺は、ほとんどの妖怪がそうだ。彼らは半端な知恵で社会に出ず、まずは冷静に牙を研ぎ、山と里の「境界」で人間を観察し、学ぶ。
元来妖怪は、境界に住まう存在だ。
ヒトと神の世界の、その境界。そこに現れ、畏怖と警告をもたらすのがかつて神であり、そこから下ったのが――落ちぶれた神というのが古典的な妖怪という存在なのだ。
雷獣なんてわかりやすい。雷――すなわち神鳴。それが地に落ちてきたものが、雷獣という妖怪である。
妖狐も田畑、農作の神の使いのなれ果だ。
そう思うと、燈真は異質な空間で暮らしていることになる。
この家は、山の麓――まさに、山と里の境にある。そこにある妖怪屋敷。……これは、偶然だろうか?
「どうした燈真。腹でも痛いか?」
柊が心配そうに聞いてきた。
「あ、いや。妖怪の家で暮らしてるのが、今更ながら不思議だなって」
「そうか……? 妾は別に、人間の一人二人居候したって別に……」
「ズボラなのか、柊」
「失敬な。妾は繊細だぞ」
「どこがよ」
椿姫の手厳しい一言が炸裂し、柊がなんとも表現し難い微妙な顔をして、呻く。ひょっとしたら思い当たる節があるのかもしれない。
まあ、燈真は柊や椿姫が人間に対し悪意のある妖怪じゃないことを知っている。もしそうなら、少しでも悪意があるのなら回りくどいことをせず直裁的に支配を実行するはずだ。
全盛期を折り返したとはいえ、未だ柊は「全人類が訓練し、退魔師になったとしても相討ちに持っていくことが限界」という規格外にも程がある力を持っている――と噂されている。
一説には、その気になれば一夜で大陸を焼き払うとか、七日あれば惑星の生命を根絶やしにできるとか言われるほどだ。
最強、というにもどこか異質で、妖怪という枠を壊して飛び抜けた存在なのだ。一国のトップでさえ、柊の前では顔色を窺うほどである。だからこそ、彼女は表舞台を去ったのだが。
「まあでも、今まで普通に都会で暮らしていれば魅雲村自体が特殊だからな。安心しろ、一年二年すれば、なんとなく慣れる」
「つっても俺、療養で来てんだぞ。そのうち帰ることになるかもだぜ」
「実際帰るか残るかを決めるのは誰でもない。燈真だろ。他人に人生を投げ渡すな」
柊はそう言って、チキンを一つ掴んだ。
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