第8話 プレゼントを用意なさい!

「面白きこともなき世を面白く……」


 燈真は椿姫から押し付けられた幕末史と書かれた分厚いハードカバーを読んでいた。幕末の動乱記――彼女の親友で、姉貴分でもある万里恵が駆け抜けた時代の偉人を書き記した書物だ。

 当時の妖怪がどう生きてきたのかを知るためには、人間の、表の歴史を知る必要があると椿姫は言った。その考えには賛同しているが、それまで成績が振るわなかった高校生にいきなり分厚いハードカバーの歴史書を押し付けるのはどうなのかと思ってしまった。

 それでも妖怪史と人類史は表裏一体である。切っても切り離せない双子のような間柄だ。燈真は今朝、走り込みと柊、光希との組手修行を終えてからこっち、ずーっと本を読んでいた。

 途中気遣った伊予がコーヒーを淹れてくれて、燈真が好きな焼き栗を置いてくれた。まあ、栗は半分以上菘に食われたが。


 高杉晋作は長州藩の長州藩士・高杉小左衛門(小忠太)のもとに生まれた高杉家の長男で、幼少期は病弱だったという。高杉家を背負って立つ男児として期待されていたが病弱であり、それを心配に思った父は彼を剣術道場に預け、体を鍛えさせたらしい。とはいえ並外れた度胸を持っていたことは確かで、処刑と聞くと打首やなんかを見に行って度胸試しをしていたという。

 そんな高杉晋作だが、父の意に反して高杉晋作は剣術にのめり込み、またエリート学校であったが頭でっかちな明倫館に嫌気がさし、紆余曲折を経て親友・久坂玄瑞の勧めもあって松下村塾へ通うようになる。


 吉田松陰という、過去のやらかしを省けば教育者として最強の資質を持つ男に勉学を叩き込まれ、久坂と並び松下村塾の双璧とまで呼ばれた高杉は、上海へ留学。しかしそこで見たイギリスの植民地支配という現実に、松陰が教えた日本の危機を感じ取り、彼は帰国後実に行動的で、突飛な行いに出る。


 近代軍隊の先駆けと言われる奇兵隊を組織した高杉晋作は、発足早々部隊内のやらかしで奇兵隊責任者を降ろされたり、髪を丸めて出家すると言い出したり、英国の使いに古事記を延々語り聞かせて交渉をゴリ押ししたり、命を狙われた長州征伐では当初わずか八四名で挙兵。のちに四〇〇〇人の長州兵と十五万の幕府軍の争いは、あろうことか将軍の逝去も重なり長州軍の勝利で終わった。

 しかし高杉晋作は当時不治の病だった肺結核を患い、波乱万丈、濃密な二十九年間の人生に幕を下ろした。

 そんな彼が言い残した辞世の句が、「面白きこともなき世を面白く」であった。下の句も続くとする学説もあるが、真偽は不明だ。ただ燈真は、それを必要だとは思わなかった。

 死に際に人が何を思うのか、そんなことは燈真にはわからない。まさに死の裁定が下されようというときに、これ、と決めた結論を出せる方が不思議だ。せいぜい、大切な人や、大切な事柄を思い浮かべるか、死を恐れ生に執着するのが関の山だ。

 だから、「下の句がない」というのを含め、その「詩」ではないかと思った。

 少なくとも燈真は、そう、解釈した。


 幕末史。その括りは黒船襲来から戊辰戦争までの十五年ほどを指す短い期間だ。だが、学校では教えてくれなかった様々な偉人の、様々な人生がある。

 薩長だけではない。佐幕側も、国を思えばこその保身だったのだろうと思える。勝てない敵に喧嘩を仕掛けたって仕方ないと、冷静に考えた行動だったのだ。

 だが燈真だったら――きっと、自分は倒幕派に加わっていたと思う。自分が安定した考えに依ってしまいがちだからこそ、それに対して自らに反論をぶつけ、行動する。それに、誰かの言いなりになり、奴隷のように扱われるなどごめんだった。自分はこの世界でただ一人の生命なのだから。


 読む手を止めて、燈真は思考に耽り、それから五冊で三〇〇円の大学ノートに客観的に考えた史実をピックアップし、青ペンで自分の考えを添えた。

 つくづく自分は文系だと思う。数式を解く楽しみがある――というのは、わからないと否定はしないものの、燈真にはなかなか味わい難いものだ。

 だが誰かの物語を垣間見て、あるいは追体験してその思想や歴史的背景を読み解くのは本当に楽しいし、心が躍る。


 そんな八月八日の午後一時半。昼食を終えた燈真たちはのんびりと居間で過ごしていた。燈真はまあ、椿姫に本を読めと言われていたわけだが、なかなかに悪くない時間である。


「にいさん、ヒトのしんとーあつは?」

「二八五ミリオスモルだろ。プラマイ五ミリオスモル」

「最近の中学生はレベル高えなあ」


 燈真は呆れ顔で菘と竜胆のやり取りにツッコミを入れた。


「いやこれ、姉さんに教えられただけ。なんでそれを言いたかったのかしらないけど」


 話を聞いていた椿姫がお茶を飲みながら答えた。


「生物の浸透圧は妖力の伝達効率に関わるのよ。燈真は先祖が妖怪とはいえベースが人間だから、知識として頭に入れておきなさいってこと。妖怪感覚で妖力流したりすると、毛細血管から血ぃ吹き出して大変なことになるわよ」

「姉さん、あらゆる生物には他者の妖力を弾く特性があるんだよ? たとえば念力の基礎術で人体を操れないのもそれが理由だし、相手が操る術に干渉しづらいのもこれが原因じゃないか。だから解術げじゅつ系の術師は煙たがられるって」

「それは被術者が抵抗を解けば別。燈真が妖力による、流れのリセット――幻術だったりなんらかの毒を解いてほしいってときに、間違った妖力を叩き込んだらかえってダメージになるでしょ」

「そっか、そうかも。そういうケースもあるのか」


 なんだか高度な妖力議論をしている気がする。

 解術とは相手の術を解析し読み解く術である。結界や封印物の解析・解除、攻撃術の無力化など、直裁的な戦闘能力はないがいるといないのとではその組織が取れる戦略が大幅に変わるタイプの妖術師だ。

 というか、妖力って生物学の知識いるんだな、と思った。文系学生の燈真にはなかなか苦しい現実である。


「燈真、今のはあくまで考えの一種だからね。人によって勘と経験でやりおおせる奴もいるし。柊とか伊予さん、あと久留米支局長とかはまさにそれ」

「支局長はぱっと見ゴリゴリの理系だと思ったよ」

「あの人は民俗学や妖怪史を専攻するくらいの文系だから……」


 妖怪史とは、いうまでもなく妖怪の歴史的背景を学術的に読み明かした学問である。人と妖怪の関わりが盛んになったのは江戸中期ごろ、共生が本格的に始まったのは明治・大正ごろからだ。まして、異種婚が普通になったのは数十年前である。まだまだ若い学問だ。柊のような生き字引に話を聞きにくる学者も、時々いるらしい。ひょっとしたらたまに「茶に誘われている」といって家を出るのは、そういった取材もあるのかもしれない。

 燈真は将来大学に行くかどうか、まだ考えていない。ただ、許されるなら退魔師として活動していきたいという意識はあった。人からの感謝がダイレクトに伝わってくる仕事は、やり甲斐があるし、なにより報酬も悪くない。本格的に退魔局勤めになれば、安定して暮らせるだろう。地味に結婚願望がある燈真は、なんだかんだ安定して暮らせる仕事をしたい。


「ってかあんたらさ、誕生日プレゼント用意してくれた?」


 竜胆が「げー」っという顔をした。燈真はなんのことかわからない。


「なんのこと言ってんだ」

「私の誕生日よ! 明日なのよ! まさかほんとに気づいてなかったの!? なんか真剣に本読み始めちゃうからまさかとは思ったけど! 竜胆もなんかずーっと勉強してるしさあ!」

「フリだったのかよ! 朝早くからどんだけ真剣に読んだと思ってんだ!」

「はーめんどくさ。燈真、いこ。こうなると姉さんうるさいから」

「しょうがねえなあ……」


 椿姫はむすっとした顔で菘をモフる。彼女はされるがままの顔で、折り紙を折っていた。さっきから万里恵に質問して手裏剣を折っているのだ。タコ仮面という特撮ヒーローの武器の一つに手裏剣があり、彼女はそれを真似しているらしい。

 燈真は諦めて立ち上がり、一旦部屋に戻る。

 ジャージから外行き用のカジュアルな服装――と言ってもシャツとジャケット、チノパンだが――に着替え、財布と退魔師ライセンスが入った合皮のパスケース、携帯エレフォンをポケットに入れる。

 竜胆も同じような格好で準備を整え、二人で玄関を出た。


「あら、おでかけ?」

「姉さんが誕生日プレゼント用意しろってさ」

「強引だよな」

「毎年のことじゃないの」


 貝音曰く、椿姫のプレゼント催促は毎年のことらしい。

 貝音は夏本番の魅雲村の暑さを、池の冷たい水に浸かってやり過ごそうとしていた。

 なおこの池は居間の縁側前の池と地下空間で繋がっており、行き来ができる。稲尾家の財力が見え隠れする仕掛けだ。

 人魚は下半身の魚の部分の筋肉と血に酸素を溜め込むことで、長時間の潜水が可能な種族だ。地下道を通るくらいなんでもない。


 門の脇にある勝手口の鍵を開けて外に出て、燈真と竜胆は取り止めもない二転三転する話題で盛り上がりながら街へ行く。

 徒歩で大体四十分も歩けば、人通りのある場所へ出れた。特に急ぎの用事もなければ、時間制限があるわけでもない。門限は、退魔師の仕事を除いてもフリー。そもそも妖怪は夜の種族であり、人間のリズムに合わせてほとんどが昼行性になっているが、実際は夜行性妖怪の方が多い。


「竜胆、安くていい雑貨屋みたいなのあるか?」

「コング・ヒヒって店があるよ」

「ヒヒ? って妖怪の狒々ひひか?」

「そう。伊豆から来たみたいなんだけど、その店主が平成二年に創業したんだ」

「平成二年っていうと九六年前か」


 現在は西暦二〇八六年である。紆余曲折を経て、特別な事情を除いた科学技術はすべて平成末期レベルで制限されているが、それを考えても平成二年とはだいぶ昔である。

 平成時代の科学技術の成長速度は、人類史においてもありえないほどの速度であったという。日本史の授業でも、先生たちが口を揃えて「あの当時の人間は非常に焦っている印象があったな。背中に剣先を突きつけられてるみたいだったよ」と言っていた。特に、当時を知る妖怪は皆そう言っている。加えて、自殺率、自己幸福感の低さも過去類を見ないほどに高かったらしい。

 それを思えば、技術に縛りがあるとはいえ今の時代の方が幸せかもな、と燈真は思う。まかり間違っても自分は何かに追い立てられて、崖っぷちに立たされた挙句すぐ後ろの安全圏から飛び降りろ、頑張れば飛べると無責任に連呼されることはない。


「椿姫って何が好きなんだ? いや、購買でよくサラダチキン買ってんのは見るんだけどさ」

「姉さん学校でも鶏肉食べてんの? ほんと好きだなあ……僕も好きなんだけどさ。……あーっと、姉さんは意外と、飾り物とかが好きだよ。でも、実用性があるものが嫌いってわけじゃない。でもプレゼントなら賞味期限があるものは好まないね。旅行のお土産でもその土地の工芸品を買ってるし」

「意外だな、ケーキでも買ってけば喜ぶかと思った」

「ケーキはプレゼントしなくても食べられるし」


 そりゃそうだ。伊予なり柊なりが予約しているだろう。

 などと言っているうちに竜胆は路地に入った。魅雲村は、碁盤上とは言い難い構造である。地理的に一見さんお断りという雰囲気があり、地元のものでなければどの道がどこへ通じているのか分かりづらい構造だ。

 竜胆についていくと、一軒の木造家屋が雑居ビルに挟まれて、存在していた。

 怪しげな店である。


「ここは退魔師も利用する店だよ。一般の妖怪なんかはここで護符を買うんだ。……一階は、普通の雑貨屋だけどね」


 一階にはコング・ヒヒのネオンの看板があり、二階にはクラブ・ソーサレスの文字。二階は見るからに魔女の秘密基地という雰囲気である。パイプを繋いだ煙突から、緑色の煙が上がっていた。

 ドアを開けると、ベルがガランガランと音を立てた。


「らっしゃい。……稲尾のところの坊ちゃんか。久しぶりじゃないか。そっちは……親戚か?」

「同じ白髪だけど、違うよ。でも内弟子だから、家族みたいなもん。今日は姉さんへのプレゼントを買いに来たんだ」

「なんだ、もうそんな時期か。三〇〇年も生きてると一年があっという間に感じるな」


 カウンターの向こうで葉巻を吸っていた大男がロッキングチェアから立ち上がる。

 くすんだ茶髪に、橙がところどころ混じった髪を後ろに撫で付けている。顔は男臭いが端正で、ワイルドな印象。その微笑みも、どことなく野獣を思わせる渋みと剛気を入り混じらせたものを感じた。


猿飛謙三さるとびけんぞうだ。猿飛でいい。少年、名は?」

「漆宮燈真です。五等級退魔師やってます」

「ほお、退魔師か。じゃあ上の姐さんの店のことも覚えておいてくれ。使える呪具が色々ある」


 猿飛はそう言って椅子に座り直し、葉巻を加えて雑誌のクロスワードパズルを始めた。


「この店は税金対策なんだって。他の店ですごい利益があるから、あえて利益の出にくい店で税金をうまいことやりくりしてるとか」

「本人の前で言っていいのか」

「まあ僕は本人から直接聞いたし、いいんじゃない?」


 ちらと猿飛を見るが、彼は全く意に介していない。聞き慣れないジャズがうっすらと流れる中で、電球色の電気が付けられたそこで雑誌を眺めてペンを回している。


 燈真は気を取り直して商品を選び始めた。

 椿姫は置物でも大丈夫――置物といっても、範囲が広い。

 棚に並ぶのはどこかの国の工芸品を模した和製作品であり、大量生産品ではないということは一個一個微妙に違う作りからもわかった。値段自体はやや割高だが、手作りとなれば当然か。燈真は光希という存在がそばにいるので、ハンドメイド作品にお金を払うことに抵抗はなかった。


「これいいなあ」


 燈真は一つ、面白そうなものを手に取った。

 それは黒い狐をあしらった箸置きである。陶器でできたツルッとした手触りで、研出蒔絵で狐目と鼻が描かれている。

 芸術家がそばにいるから、ものを見る目が少し出てきたのだろうか――一ヶ月前の自分なら絶対にこの作品の良さはわからなかっただろう。

 光希曰く、作品との出会いは一期一会らしい。


「燈真、それにする?」

「いや、これは俺の買い物にする。椿姫のはもうちょいデカめのもんにしようかなって」

「燈真もハンドメイドにハマった感じ?」

「かもな」


 それから小一時間店内を回って、燈真は椿姫へのプレゼントを見繕った。

 それはマグカップである。

 白い、やはりそれも陶器である。黒い筆を使った達筆で「狐」と書いてある、なんとも主張の激しいものだ。

 自信家の椿姫にはぴったりだろう。


「姉さんらしいかもね。僕はこれ」

「狐の花瓶?」

「うん。姉さん椿の造花とか飾ってるし」

「名前繋がりで愛着あんのかね」


 などと喋りながら会計する。猿飛にお金を払って、「今後ともご贔屓に」と言われながら、燈真は上を指差した。


「せっかくだから上も見ていかないか? 俺、呪具専門店って見たことないし」

「いいよ。夕飯までまだまだ時間あるしね」


 そういうわけで、二人は少し寄り道をすることとなった。

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