第4話 誰が為の主演
翌日の朝、燈真は窓から吹き込む涼しい風で目を覚ました。ぶら下げている風鈴が、軽やかで涼しげな音色を立てている。
体にかぶせたタオルケットを剥ぎ取り、腹筋の要領で体を起こす。昨日の夜、引越し祝いにと寿司の出前をとってくれたのだが、事前に燈真が大食いと聞いていたからか随分な量が出てきた。
裡辺の妖怪は比較的大柄で、相対的によく食べる方だが、それでも多かった。燈真は腹十一分目くらいは食べたと思う。
二階の窓から見える外の景色は、目に優しい自然の緑と空の青が共存していた。山の稜線が青と接触し、ふわりとボケているような、柔らかいタッチがここから見える。
まだ僅かに眠気が尾を引く頭を掻いて、燈真はベッドから出た。
部屋――自室である。稲尾家が用意してくれた燈真の部屋には、勉強机やローテーブル、本棚にタンス、エアコンやミニ冷蔵庫なんかが一通り揃っていた。
藍色を中心とした寒色系で部屋のインテリアは統一され、クールな印象がある。
タンスから、あらかじめ送っておいた着替えを取り出した。安物のシャツとチノパン。燈真はローテーブルに置きっぱなしの除菌防臭シートを取り出して、裸になって体を拭った。シャワーをするほどの寝汗でもなければ、特段出かける予定もないのでシートで拭くだけで充分エチケットになる。
新しいパンツに履き替えて、燈真は心臓移植でできたというには随分仰々しい、龍の爪で引っ掻いたような胸の傷跡を何気なく見て、部屋に近づいてくるテントンテントンという可愛らしい足音に気づいた。
言わずもがな、あの子だろう。
「とうまー! おきてるー!? ごはんできたってー!」
菘だ。ドアをトントンノックしてくるので、「入っていいぞ」と言ってやるとドアが開き、桜色の浴衣姿の菘が入ってきた。
狐耳のようにも、笑顔の絵文字ようにも見える簡素なデザインのヘアピンが二つ、前髪に取り付けられている。爛々と輝く紫色の瞳には純粋すぎる知的好奇心が宿り、燈真の部屋のモニターに向けられた。
「えっちなどうが、みてた?」
なんでそうなるんだ。
「見るわけないだろ、初日に。普通に、お笑い流してたんだ」
「げきしょう、おわらいカーペット?」
「そう」
激笑お笑いカーペットは、一時間の間に数十組のお笑い芸人が出てきて短時間の間にネタを披露する番組である。
ここからネット配信番組の階梯を駆け上がる若手も多く、あるいは、一発逆転で三、四十代の遅咲き芸人がブレークすることもある。
椿姫に勧められて見始めたのだが面白くて見入ってしまい、昨日は早めに寝ようとしたのに結局モニターを消したのは午後十一時を回っていた。
「とうま、きょうなにするよてい?」
「んー、なんも決まってねーんだよな。村の高校の説明会もまだ先だし、今日は暇だなあ」
燈真は夏休み明けから村立魅雲高等学校に編入することになっている。まだ七月上旬の現在、燈真は高校には通わない。
その保護者込みの三者説明会があるのだが、後日の話だ。
今日は完全に暇である。
「にいさんに、むらをあんないしてもらうのは?」
「竜胆に? いいかもな。あいつがいいって言ってくれたら、村の散策しようかな」
「にいさんもたいくつしてるから、だいじょぶ」
菘はもちもちした手を突き出し、サムズアップした。
いちいち可愛らしい少女である。燈真には決して
燈真はシャツに袖を通し、ズボンを履いてベルトを締めた。
上は黒、下は白っぽいチノパンである。なるべく出費を安く抑えたファッションなのは言うまでもない。例のもれず、これもアウトレット品である。
部屋を出て一階におり、洗面所で燈真は顔を洗って髭を剃った。男も十六になれば、個人差はあれ髭くらい生える。燈真は濃い方ではなく、ややチクチクしたものが出てくるくらいだが、気になった時になるべく剃るようにしていた。
髪も白ければ髭も白い。脇の毛も、陰毛も白い。燈真は地毛で、毛が白いのだ。父の家系の、神社系の血質であった。
居間に入ると柊が湯呑みで、おそらくキノコ茶を飲んでいるのだろう。昨晩、稲尾家で干しているというキノコ茶を飲ませてもらった。
お茶というよりはダシ汁に近い味わいだが、獣妖怪が口にしてもカフェインがないため健康被害がなく、カロリーも含まないため体重が気になる年頃の椿姫にも安心である。
柊が燈真と菘に気づき、「お、燈真を呼んできたか」と居住まいを正す。
「なんか用事だったか?」
「いや、出かけるつもりならその辺で豆菓子を買ってきてくれんかと思ってな。ツマミを切らしてしまってだな……いや別に、ないならないでいいんだが」
彼女は大の酒好きである。酒を美味く飲むためのツマミは欠かせないらしい。
燈真は「村を散策する予定だったから別にいいけど。覚えてたらな」と言ってから、竜胆に「竜胆、村を案内してもらえるか? 暇ならでいいんだが」と聞いた。
「いいよ、僕も退屈してたし」
「竜胆よ、さっき妾がお使いを頼んだ時はあんなに嫌そうな顔をしたのに。そうかそうか、つまりお主はそういうやつなんだな」
「エーミールはいいって。燈真は村を知らないだろ、教えなきゃ道に迷うって」
「それはそうだな」
燈真は定位置に座る。眠そうな光希が「おっは」と言いながら片手を上げた。二本の尻尾が、力無く持ち上がる。
「筆が乗っちまて、寝たの日付変わったくらいだぜ。眠てえ」
七月十四日の日曜日である。光希たち高校生は休みだろうが、休日だからといってグータラしないのは退魔師としての生活リズムを守るためだろうか。昨日は土曜日だが、学校も一時期はやったゆとり教育期間の頃の完全週休二日に戻ったので、椿姫たちがいても不思議ではなかった。少し前なら土曜日も半ドンで授業があったのだが(地域差により、まだ半ドン授業のところもあるが)。
燈真はそんなことを思いながら、椿姫と万里恵、伊予が運んできた朝食を受け取り、並べるのを手伝った。
今朝のメニューはハムエッグとサラダ、ウインナーと味噌汁、ほうれん草のおひたしの小鉢に、白飯、納豆というもの。田舎のお家らしい、質素だが食べ応えのあるメニューである。
全員に行き届いて座布団に座ったのを確認し、菘がぱちんと手を合わせた。
「それじゃあ! いただきまーす!」
「「いただきまーす」」
燈真は合わせた手を離して箸を手に取り、納豆に醤油を垂らして素早くかき混ぜる。納豆はだいぶ好みが分かれる食べ物だが、こうしてみんなの前で出るということは、稲尾家の面々は納豆が平気なのだろう。かくいう燈真も納豆は好きな部類であった。
朝食をゆったりと進める。五十五インチの大きなモニター画面にはネットモフリックスが放映する魔法少女のアニメが流れている。菘はウインナーを齧りながら見ていた。
ギンギツネの魔法少女と、ホッキョクギツネの相棒の魔法剣士が可愛らしく悪の怪人と戦う――概ね王道な魔法少女ものだ。だがやたらアクションシーンの力みようが凄く、凄まじく激しいバトルシーンが繰り広げられている。なぜか魔法少女もステッキで殴るという行為に出ており、魔法を一切使ってない(あとで菘に聞いたら治癒魔法の応用で筋力を底上げするというバフ魔法を使っているらしい)。
最近のアニメはすげーなあと思う。それか、ネットモフリックス自体が妖怪中心に人気があり、月額課金・プレミア課金・メンバーシップ課金などで儲けがあるから作品作りに還元できるのだろうか。
一時期アニメーター界隈はブラックの温床とまで言われたらしい。中学生の頃、アニメーターを目指しているという妖怪の男子が熱く語っていた。だが最近はあまり聞かない。令和十年代に流行った異種婚ブームで人口が増え、人手も得やすくなったからだろうか?
異種婚ブーム以来、半妖の子はなんら珍しくない。裡辺を中心に広まったものだが、現在では本州でも妖怪と人間が出会う婚活パーティーもあるらしい。
「シルバーフォックスパンチや!」
菘が叫んだ。
彼女は人間で言えば十歳前後。その割に精神年齢がひどく幼い気がするが、妖怪とはああいうものなのか、それとも何か事情があるのか。
まあ、誰も気にしていないし誰かに迷惑をかけているわけではない。後ろ指を指すような碌でもないやつは、軽く睨んで黙らせればいい――燈真は、出会って二日目の少女にそこまで入れ込んでいた。
「燈真、お前ロリコンか? さっきから菘の手元じーっと見てるけど」
光希が呆れ顔でそう言ってきた。
「違う。妹ってのはこんな感じなのかって思ってたんだ。血のつながらない弟はいたから、なんとなく同じ感覚だろって思ってたが違うんだな」
「俺らのアイドルだぜ、菘は。なんかありゃ椿姫か万里恵が文字通り飛んでくる。間違ってもいじめんなよ」
「子供をいじめる趣味なんてない。そんな雑魚みたいな真似するか」
「だろうな。聞いてるぜ、お前だいぶ武闘派なんだって?」
どこか挑発するような口調で光希が笑った。わずかに、甘いような毒を含んだ笑みである。
「お前みたいな生意気な妖怪も、何人か殴り倒してやったさ」
「いいね。でも、俺はこう見えて強いぞ」
大人たちは何も言わない。菘は「おとこって、ほんとばか」と言いながらデザートの桃のヨーグルトがけを食べ始める。
「バカ言ってないでさっさと飯食いなって。喧嘩するくらいなら風呂掃除でもしなよ」
竜胆がハムエッグをもしゃもしゃ食べながら言う。
まあ、もっともだ。そんなくだらないことに労力を使うなと言う気持ちはよくわかる。
「まあ喧嘩はいいか。怪我すんのもバカらしいし、ほんとにやったら柊に長々説教されるし」
「そうだな。ってか俺今日竜胆と村散策行くんだよ。光希、どうする?」
「俺美術部で提出する作品仕上げるからパス。グリザイユでやるのまだ二回目だから慎重にやりたい」
グリザイユとはなんだろう。宮殿の名前だろうか?
「燈真が今考えたのはヴェルサイユね」
椿姫が冷静に突っ込んだ。
「なんでわかったんだ」
「私も初めてグリザイユって聞いた時そう思ったから。その時の私と同じような顔してたし」
ちなみにグリザイユ――グリザイユ画法とは下書き・線画にグレースケールで陰影を置き、上に置く色に質感を持たせるれっきとした画法の一つである。基礎的なデッサン力はもちろん、光源の概念をしっかり理解しているかどうかで作品の出来栄えに雲泥の差が生まれるものだ。
まあ、光希に言わせればどんな画法であれ「基礎基本ができなきゃ小手先の技なんて意味がない」とピシャリと言い放つだろう。
「高校出たらぜってえ裡辺藝大に入るぞ……」
光希はそう執念を燃やし、残りの納豆ご飯をかき込んでいた。
燈真は将来の目標がはっきりしていて羨ましい、と素直に思った。
自分はどうしたいのだろうか、と、また小さな不安が熾火のように火を放った。
焦っていては仕方ない。とはいえ、人間換算で言えば同い年と言える光希がこんなにしっかり藝大に入る、芸術家になるという目標を持っているところを見ると、全然ダメなんじゃないかと思えた。
その様子が、煩悶が顔に出ていたのだろう。柊がゆったりとした口調で声をかけた。
「比較は毒だぞ。己の尺度で生きよ。わがままで自分勝手なくらいがちょうどいい」
「それが祟って逮捕されたんだよ」
「なら迷惑をかけぬ範囲で、だ。いいか、お主の人生の主人公はほからぬお主だぞ。他人に主演の座を譲る馬鹿者がおるか。神がセットアップした舞台で踊るのが我らの役目なら、いっそ己を主役と思って舞い踊ってみろ。一度振り切れば、全部どうでもよくなる」
「天上天下、唯我独尊ってやつか」
「そうだな。仏教は、あまり詳しくないが……まあそうだ。己がこの世で最も尊いと気づく」
柊がしっかりとした説教を行なって、燈真は真剣に考えた。箸でウインナーを摘んで、一口で一本食べる。
塩味と肉の甘みを感じつつ、燈真は今一度、考えた。
自分が主役――か。
では。
「もし、自分の物語が台無しになったら、どうすればいい?」
「誰かのために生きればいい。妾はそうした。家族のために生きておる」
柊は茶碗を置いて手を合わせて「ごちそうさま」と言って、お茶を啜るのだった。
燈真はその言葉の意味を、噛み締めるように何度も胸の内で反芻するのだった。
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