第3話 稲尾家、賑やかに



 門。大きな門が、築地塀の中央に鎮座している。城門、と言ってもいいかもしれない。戦国時代の山城のような佇まいで門が佇立し、車を見ろしている。その脇には勝手口もあるが、車が通れる大きさではない。


「樫板と鉄板を合計四枚重ねた挙句、柊が趣味――というか、防衛のために張り巡らせた妖力結界装置が仕込まれた門よ。それこそ巡航ミサイルが直撃しても平気」

「柊ってのはミリオタなのか? なんでそんなこと」

「いざって時うちは魅雲村の防衛拠点になるわけだしね。地下の、今は訓練場くらいにしかならない広い空間も避難所って名目で作ったみたいだし」


 椿姫が語る内容は規模が大きすぎてイマイチ輪郭を掴みづらいものだったが、燈真はほとんど右から左に聞き流すような感じで受け取っておいた。稲尾家が金持ちなのは容易に想像できる。燈真は比較的裕福な家庭で育ったが、金持ちとは言い難い。なので、セレブの感覚はさっぱりわからない。

 車は自動で開いた門の先にある砂利敷きの道を進み、ガレージに停まる。自動車は他にミニバンが一台、セダンが一台、電気モーターバイクと自転車が置いてある。


「いかにも金持ちって感じだ」

「その分責務は果たしてるつもりよ。ま、私は別に家がどうって理由で退魔師やってるわけじゃないけど」 

「退魔師やってんだな。……それは、なんでまた」

「なんでだろうね。自分がすべきと思ったからじゃない?」


 椿姫はあっけらかんと答え、車から降りた。きっと彼女の中では答えが定まっているのだろう。その上ではぐらかされた気がしたのは、決して「気がしただけ」ではないはずだ。

 あえて言わないという態度の彼女にしつこく食い下がるつもりはなかった。多分、迷惑だろうし。

 燈真もリュックとパンの紙袋を手に車から降りる。


 敷地内には池があった。石橋が渡され、小島があり桜の木が植えられている。この真夏日に狂い咲く桜は、なんらかの妖術的な要因だろうか。

 まさか、死体が埋まっているわけではあるまい。梶井基次郎じゃないのだ。というか、死体が埋まった家に暮らすのは、妖怪だって嫌だろう。

 燈真は不思議に思いつつ池に近づいて、突然水面から顔を出した女に「おわっ」と間の抜けた声を漏らしてしまった。

 女は青緑色の髪をした人魚だ。美しい金色の瞳で燈真の顔をじっと見て、貝殻の水着をした胸元をわざとらしく見せてくる。燈真がそれをじっと見つめてしまうと、椿姫が「男ってバカね」、と言いながら背後から近づいてきた。


「誰がバカだ」

「胸、凝視してたでしょ。ったく……貝音かいね、ただいま」

「お帰りなさい。そっちの子は、最近言ってた新しい子?」貝音という名前らしい人魚はそう言った。腰から下の、鯉のような下半身はやはり青緑色で、鱗がキラキラ光っている。

「ほら燈真、名乗りなさい」

「漆宮燈真です。よろしく」

「よろしくね」


 貝音は微笑みを浮かべた。それから池の淵に腰掛け、椿姫からあんぱんを受け取って齧った。人魚もあんぱんを食べるのか、と思った。彼女は寡黙なのか、それ以上は喋ろうとしなかった。

 絵になる女性だなと思いながら、伊予が「ほら、こっち」と呼びかけてくるので、燈真たちは家――というか、屋敷に入った。

 玄関もいちいち広く、靴箱も立派なものである。燈真は沓脱板の手前で靴を脱ぎ、靴を靴箱に入れてかまちに上がる。


 それぞれの家には特有の匂いがある――と燈真は思っている。例えば燈真の家には常に生クリームのような匂いが漂っている。義母が菓子作りに夢中で、匂いが染み付いたのだ。

 稲尾家で言えばそれは炊き立てのご飯のような匂いである。稲の匂い、米の匂い。なんというか、ここにいるだけで腹が減るのは気のせいだろうか。


「おねえちゃん!」


 と、廊下に面した襖が勢いよくスパーンと開いた。同時に、燈真の胸ほどの背丈くらいの少女が飛び出し、椿姫に抱きつく。


「菘~! ただいま!」

「おかえりんぎ! しってる? きのこって、しょくぶつより、どうぶつにちかいんだよ」

「誰から吹き込まれたのそれ」

「グルグールせんせい。あと、きんるいとじんるいは、きんえんしゅなんだよ!」

「そんなわけないでしょう」


 菘はひとしきり姉とのスキンシップを楽しむと、燈真をじっと見上げた。

 純真無垢な紫色の瞳が、燈真をじっと見上げる。クリクリした宝石のような瞳が、燈真の藍色の目を射抜く。


「よ、よお……」

「とうま?」

「ああ。漆宮燈真。菘、だよな?」

「うん。いなおすずな。せかいいちかわいい、きつね」


 稲尾の狐は自信家揃いなのだろうか。菘は自分が世界一可愛い菘、とはっきり断言していた。だがなぜか、反論しようという気が起こらない魅力がある。

 菘は椿姫から離れると、「てあらいうがいしてねー」と言って部屋――おそらくは居間に引っ込んだ。

 三人は洗面所で手洗いとうがいを済ませ、居間に向かった。


 居間に入ると菘がちょこんと座って、隣の座布団をぽんぽん叩く。燈真は自分が呼ばれていると思ったが、どうやら椿姫らしい。椿姫はパンの紙袋片手に菘の隣に腰を落ち着ける。

 俺はどこに――と思っていたら、白狐の少年(人間に換算すれば十四歳ほどだ)が、「こっちこっち」と手招いてくれた。

 燈真は彼の隣に腰を下ろし、パンの紙袋を置く。


「稲尾竜胆。名前、聞いてたかもだけど」

「ああ、実は聞いてた。漆宮燈真だ。よろしく、竜胆」

「うん。よろしくね」


 素直ないい子じゃないか、と燈真は思った。生意気な様子はない。とはいえ、兄弟や親に対して刺々しくなる気持ちはわかる。血の繋がりがあるからこそ鬱陶しく思えることもあるのだ。

 上座に座るのは美貌の白狐で、その尾は九つ。彼女こそが稲尾柊だろう。平安の世を救った英雄。

 美しい――幽幻な魅力がある。夜空の月のような感じといえばいいのか、手の届かない場所にいる存在感があった。


「稲尾柊だ。燈真、この家は少しばかり騒がしいかもしれんが、まあくつろいで過ごせ」

「ああ……わかったよ」

「して光希と万里恵はどこだ?」

「伊予さんが呼びに行った。万里恵は散歩でもしてんじゃない? 猫だし」

「だーれが猫じゃい」


 と、どこからか声がして縁側から顔を出した女がいた。

 黒っぽい美女、である。

 黒地に白の猫柄が入ったTシャツに、黒っぽいスキニージーンズ。姫カットの黒髪の上には猫耳が鎮座し、腰からは四本の尻尾。四尾の猫又である。

 彼女はするりと椿姫の隣に座り、初めからそこにいたかのような、奇妙な安心感を伴う佇まいで座った。

 猫のような佇まい、振る舞いである。猫は家に居着くというが、まさにそんな感じだ。そこにいるのが当然のように、来たばかりの燈真でさえ思ってしまう。


「また胸見てる」

「見てねえ」


 確かに万里恵の乳房は豊かだが、今のは決して胸を見ていたわけではない。

 というか、椿姫だってしっかり大きな胸じゃないか――と言おうとして、そんな下手なことを言えば何をされるかわからないので口を噤んだ。


 と、廊下から足音。

 入ってきたのは伊予と、山吹色の雷のマークが入った白いシャツを着た少年。髪には焦茶色に白いメッシュが入っており、顔立ちは少女のようである。だが体つきが、男であると物語っていた。二尾で、なんとなく、ハクビシンを想起させる少年だ。小さく愛くるしいが、どこか野生の気配も隠しきれない――そんな感じである。


「お、燈真ってのお前?」

「ああ。その様子じゃ、俺の名前は知ってんだな。漆宮燈真だ」本日何度目かわからない自己紹介をする。

尾張光希おわりみつきだ。退魔師やりながら芸術家目指してる。種族は雷獣、ハクビシン系のな」


 変わった経歴だな、と思った。

 光希は燈真の右隣――左は竜胆である――にあぐらをかいて座った。微かに絵の具特有の匂いがした。


「光希、今日は油絵じゃないの?」竜胆が聞いた。椿姫が配り始めたパンを受け取る。

「ああ。今日は透明水彩で風景画だ。テレピン使うと部屋臭くなるからなあ」

「てれぴん?」疑問に思った燈真に、光希が「油絵の具溶かすやつ」と答えた。


 燈真は美術方面の話題に明るくない。強いて言えば授業中にノートの片隅に落書きをする程度である。

 渡された惣菜パンを受け取り、竜胆はアップルパイ、光希はフルーツたっぷりのカスクートを手に持つ。

 菘がマロンクリームパンを手に、「それじゃあ、いただきまーす!」というと、自然とみんなで「いただきます」を唱和した。


 燈真はたまごサンドを齧った。柔らかいたまごがふわっとしたパンに包まれ、クリーミーに潰されたたまごのしょっぱい味わいがふわっと広がる。胡椒の微かな刺激が、非常に上手いアクセントになっていた。


「うみゃい」と菘が、マロンクリームを頬っぺたにつけて言った。椿姫がそれをティッシュで拭ってやりながら、「よかったよかった」と笑っている。

 燈真は椿姫はしっかりしたお姉ちゃんなんだな、と思いながら、自分のパンを食べ進めた。


「燈真、焼きそばパン一口ちょうだい」

「別にいいぞ。ほれ」


 焼きそばパンを差し出すと、竜胆が口を開けてかぶりついた。まあまあな大きさの一口だが、許容範囲だ。

 獣妖怪が食べることも考慮しているため、中毒を起こす成分を含んだ玉ねぎは使用されていない。強靭な肉体を持つ妖怪だが、無敵ではない。種族的に毒になってしまうアレルギーはどうしてもあり、イヌ科である狐は当然玉ねぎはアウトである。なので、獣妖怪が利用する店はチョコや玉ねぎ、カフェインやアボガドは使用しない。

 燈真も焼きそばパンを頬張り、ソースの味わいと紅生姜の塩っぱさに満足感を覚えた。


 そうこうしているうちに、燈真は自然とこの家に抵抗というものを覚えなくなっていることを、自覚した。

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