第18話 風邪をひいた雪城さん
あまりに華麗な伏線回収だった。
外で散歩して風邪を引くなんて、そんなバカな真似はしないでくださいよ、と。
彼女自身がそれを体現してしまうとは。一生の不覚、ともいうべきような表情を浮かべていた。
「自分の体力を見誤るなんて、メイド失格です」
「誰だって常に健康ともいかない。仕方ないさ」
「きっと体調不良なんて気のせいです。きっとあと数時間もすれば治ります」
強がる雪城さん。咳。ゴホゴホと連続で出る。明らかなる体調不良だ。
リビングのソファに座っている。絶対に寝た方がいい。
熱を測るよう促すと、しぶしぶ雪城さんは体温計を手に取った。
ピピッ。俺は液晶に目をやる。そこそこの高熱だ。
「……寝ます。申し訳ありませんが、夕飯は作れそうにありません。他の家事もそうです」
弱っていた――そんな現実を前にして、雪城さんの落胆はあからさまなものだった。
しょんぼりとした顔つきで、雪城さんは自室に向かった。
「一人か……」
家が広く感じる。ここは実質二人暮らし。一人が去ると、俺だけだ。
とりあえず家の掃除とか、食事作りをやるか。
洗濯は雪城さんがやるといっていた。自分の服を異性に洗われるのは気乗りしないという。
それもそうか。高校生とはいえ、雪城さんも立派な大人だ。十八歳となると成人年齢である。
ひとまず掃除をすることにした。土日は家を外しているぶん、埃がたまっていてもおかしくない。
掃除をやり始めると、あまりの広さに絶望した。終わりがまるで見えない。
常に綺麗だった一週間のことを思い出す。雪城さんは専業メイドではない。学業と両立させているのだ。
完璧を早々に諦め、最低限にとどめておく。
これしかやってないのだけれども。
全体の仕事量を思うと、もう一人メイドがいてもいいくらいだ。
現実問題、雪城さん以外に誰も雇われていない。彼女の才能がおおいに買われていて、本人の手に余ることもないということ。
……とんでもない有能メイドである。本人不在のときに、人の本当の凄さやありがたみが浮き彫りになる。よく言われることだが、本当だったんだな。
掃除と同時に、屋敷の探索もしていく。ここまでの日々で構造はなんとなく把握しているけど、改めてチェックしていく。
やはり二人だけで生活をするには広すぎる。本来は高月の両親も腰を据えて生活するような場所である。
高月両親の自室も掃除をした。あまり帰ってくることはないので、軽くでいいとのこと。
金持ちの部屋って派手なもんだろあと邪推していたが、実際はそんなこともない。
モノは少ない。洗練されている。掃除のしやすい部屋だった。
父の机の上には、写真立てが置いてある。いつの日に撮った家族写真だ。中学生くらいかな。
幼い雪城さんも写っていた。無愛想な感じは昔からのようだ。これもこれでかわいい。
雪城さんの家族構成は不明。とは言っても、ここにほぼ住み込みで働いているうえに、家族の情報を口にしたことはない。
あえてこちらから触れない方がいいだろう。どんな家庭環境であっても、雪城さんが雪城さんであることに変わりはない。
掃除を済ませ、夕飯にする。風邪を引いている雪城さんが、ガッツリ食べられるはずもない。
お粥を作ることにした。凝ったものを作る技量もセンスもない。
かつて作った記憶はおぼろげだった。ざっくりとしか覚えていなかった。
結局、ネットの知識をかなり参考にして作った。やればできるもんだ。
できあがったお粥を、雪城さんの部屋に持っていく。部屋に堂々と入ったことはない。どういう部屋なのかもわかっていない。
「失礼」
ノックの後、入った。
雪城さんの部屋は、わりあいにかわいらしいものだった。コスメ用品に洋服。女の子の部屋だ。
勝手に、ミニマリストのような殺風景な部屋を想定していた。ゆえに、ギャップは大きかった。
「お粥、作っておいたよ」
「ありがとうございます」
声が掠れていた。さっきよりも、風邪らしさが全面に出ている。弱っていることを、身体も認めてしまったようだ。
スプーンでお粥を掬い、雪城さんは口に運ぶ。
「……助かります」
「いやいや。口にあったかな」
「あわせる努力をしています」
「さらっと悪口を言うんだね」
「ごはんの柔らかさだとか、水っぽさは完璧です。塩分が足りないだけです」
「持ってくるよ」
塩を持ってくる。軽く振ってみたところ、雪城さんは満足げだった。
「絶品です」
「正直な感想だ」
「一口食べます?」
雪城さんは、さきほどまで使っていたスプーンでお粥を掬い、俺に差し出してきた。
かがむ。俺の口元にお粥が運ばれてくる。
もぐもぐ。
「本当においしくなってるな」
「わかっていただけましたか? 塩味というのは、やはり大事なのです」
流れでお粥を口にしてしまったけれど。
これって一種の間接キスだし、そのうえ風邪を引いた人のスプーンを使ってしまった。
「なにかおかしいことでもありました?」
「いや、俺の考えすぎだ。きっとそうだ。じゃなきゃおかしい」
あのクールな雪城さんがあんなふうにアーンをしてくるなんて、ふつうじゃ考えられない。
きっと熱のせいで頭がぼんやりとしていて、判断能力が鈍っているに違いない。そうじゃなきゃ辻褄があわない。
偶然の出来事だったとは思う。
だけれど、俺はこんな些細な出来事でさえ喜べるほど、雪城さんに傾倒していた。
「……いつも、ありがとうございます」
「いきなり感謝なんて、ご主人様らしくありません」
「らしくなくて結構だよ。言わずにはおられなかった」
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