第15話 伊集院は負けても折れない

 浮気じゃん――まったくその通りだ。


 バレなきゃいいとかは関係ない。


 伊集院にからしてみれば、お試し彼氏が別の女の子とお泊まりに行ってるなんて、信じられないだろう。


「ごめん」

『謝ったら、過去に戻れるの? 別の女と旅行したって事実は消えるの?』

「消え……ないな。ここでは。一度きりの人生じゃ」


 もし俺が『ヤンハレ』のプレイヤーだったとしたら、選択肢のやり直しが効く。一度電源を落とし、セーブしてるところまで戻る。


 ここでは、やり直しが効かない。自分の選んだ行動の結果が、そのまま現実になる。


 付き合って早々、別の女と旅行するような男。そういう印象は拭いされない。


 我ながら最低である。


 ただ。


 雪城さんルートを選ぶということは、こういうことなのだ。そもそも、ルートを選ぶということは。


 恋愛レースは勝者と敗者を生み出す。


 結ばれるヒロインと、結ばれないヒロインをはっきりと分けてしまう。ハーレムエンドでもない限り。


 愛は人を豊かにする一方、傷つけるものにもなりえる。


『私にとっての特別は高月くん。でも、高月くんにとっての特別は、私とは思ってくれないんだ……そっか』

「俺は伊集院が大事だ。幸せでいてほしい」

『それが、私に黙っての浮気旅行?』


 言えるはずがない。黙るしかない、と思っていた。


 雪城さんに近づきたいのと同時に、ヤンデレによるしがらみから解放されたいという目的で企画した旅行なのだから。


「言ったら、怒ると思った」

『それは怒るよ。でも、黙っていかれたら、もっと怒る。裏切られたって思っちゃうよ』


 ごめん、と謝る。言葉が薄っぺらく感じてしまう。心のからの言葉ではないからだろうか。


『そもそもお試し彼氏、彼女ってのは、私が無理やり通した話なんだしさ。決定権は高月くんにある。そこは私もわかってる』


 この一週間を思い出す。何度も出かけたわけではないけれど、連絡はとり続けていた。


 雪城さんがいなければ、伊集院ルートはあり得た選択肢かもしれない。


 現実問題、雪城さんはいる。一番が雪城さんなのは揺るがないのだ。


『薄々私も分かってた。私を助けてくれたときも、零夏さんと連携してたんだっけ。それ以前に、雪城さんのことジロジロ見過ぎだし』

「俺ってそんなに?」

『うん。ズルいくらいに。私よりもずっとね。あーあ。幼馴染とか、長年のツレが負けヒロインってのが王道じゃないの? こんなのおかしいよっ』


 軽口をたたく伊集院の言葉は哀愁を帯びていた。薄々、自分の立場を勘付いてはいるものの、現実から目を背けようとしているように感じられた。


『ごめんね、困らせるようなことばかり言って』

「伊集院が謝ってどうするんだ。本当に謝るべきは、不誠実な俺の方で……」

『高月くんは悪くない。私が熱くなっちゃってただけ。高月くんの答えが変わらないだろうなって、分かってたのにさ』


 まさか、伊集院がそんなことを言ってくるとは思ってもみなかった。


 俺は伊集院のヤンデレ的な側面ばかりに囚われ過ぎていたのかもしれない。『ヤンハレ』のなかでの暴走を知っているからこそ、仕方のないところはあるんだろうが。


 伊集院も血の通った一人の人間である。天下の黒髪ギャルである。前世の俺よりも圧倒的に多くの人と関わっているのだ。人とのやりとりは洗練されているはずなのだ。


『いっけない。せっかくの零夏さんとの二人旅行なのに、後悔を残しちゃいけないよ

 ね』


 少々涙ぐんでいるように聞こえた。冷静さを保とうと努力しているのが伝わる。


「無理すんな、伊集院。俺が言えた立場じゃないのは重々承知しているが」

『泣いてない。笑顔で話してるから』


 泣いているだろうと心の中では思いながらも、伊集院は頑として譲らなかった。涙なんてこぼしていない、と。


『これだけは言わせて。私は恋に敗れたと思うけどさ。絶対に、諦めないから』


 どういうことだ、と質問する前に伊集院は続けた。


『勝ちようがない戦いだけど、私は完全撤退なんてしたくない。特別な人って思えたのは、高月くんが初めてだから。特別は揺るがない。高月くんにとっての特別、要するに一番は零夏さん。それなら私は、二番目の特別枠になりたい』


 二番目の女。そこに甘んじようと言うのか。


『これは敗北宣言じゃないの。もしも何らかの事情で、雪城さんとダメになったら、私にきていいからね。そのとき私の思惑通りなら、繰り上がり合格でトップの座だもんね』


 絶対に一番じゃなきゃいけない。全てを排除する。


 そんな伊集院の印象が念頭にあったものだから、いささか意外な決断に思えた。


 俺は伊集院のことなんか理解しきっていなかったんだ。ゲームで見た表層だけで、コテコテのテンプレなヤンデレと無意識にレッテルを貼っていたんだ。


『これからはクラスメイトとして、仲良くなりたいな。友達以上、恋人未満って感じで。連絡も、高月くんの許容範囲で、重い女みたいな感じで続けるつもり。ずるい女でごめんね? じゃ、これからもよろしくね。零夏さんとの旅行、楽しんでね』


 切れた。俺がいろいろ言うタイミングすらなく。


 相手の好きを尊重した上で、自分が一番になるのを虎視眈々と狙う。そして、自分のグイグイいく態度は崩さない――。


 敗北宣言をしたように見えて、バチバチに撤退を決め込むつもりでもない。


 あまりにもしたたかだ。俺には絶対にできない。黙って伊集院の話を聞くに終始してしまった。


「どうでしたか、伊集院さんとの電話は」

「お試し恋人がいながら、別の女と旅行する。それは浮気じゃないかって。いろいろあって、仮の恋人関係は解消することになった」

「男としてお終いですね」

「罵られる覚悟はできている」

「まったく、大事な伊集院さんを差し置いて。私は主従関係と弁えていますが、事情を深く知らない他人からすれば、十分誤解を生むものです」


 バレるように振る舞っちゃダメですよ、と雪城さん。


「私も不注意でした。電話の相手も気にせず、話を振ってしまい、修羅場を生み出してしまったようですから」

「伊集院からの電話だとは気づかなかったのか」

「……まぁ、そんなところになります」


 いささか間を空けてから、答えていた。歯切れが悪い。


 放っておこう。実際がどうだったのかなんてわからない。聞いても答えてもらえないだろうし。


「女の子を泣かせるご主人様には、きつく言っておかなければいけなさそうですね」


 雪代さんが目を瞑る。


 ややあって、再び開かれる。


「この女泣かせご主人様。人として最低。地獄に御百度参りでもしてくるべき大罪人……」


 最上級の蔑みの目だった。ブリザード。


 ド・エム的な喜びを上書きするように、こんなことを言わせてしまう俺の不甲斐なさよ、と思ってしまう。


 こんな風な男では、雪城さんはいっこうに振り向いてくれない。もっと成長しなくちゃならない。そう思った。


「……スッキリしました。男女の関係について、私が口出しするべきではないのですが。この話を引きずっても、旅行がどんよりするだけです。ここからは、これまで通りの旅行を再スタートしましょう。おいしいご飯が待っています」

「雪城さんっ!」

「私だって、完全に許しているわけではないです。切り替えることくらいはできます」

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