第14話 束の間の休息、伊集院との電話
昼間は活動的だった。
疲れもたまってくるというもの。本日泊まる旅館についた頃には、だいぶクタクタだった。
今回は和室に泊まることになっている。温泉街の雰囲気にピッタリである。眺めのいい露天風呂があるのは、大きなポイントだ。
畳の上に大の字で転がる。
「だいぶ気が抜けていますね」
雪城さんに見下ろされるようなかたちになる。このポジションは悪くない。
「寝不足なのを忘れていたよ」
「カフェインは疲れをとってくれるわけではありませんからね」
「根本の疲れをとるのは、こういうダラダラすることなんだよ」
「温泉もそうですかね」
「その通り」
転生してからここまでの日々は、楽しいだけでなく、疲れをともなうものだった。
自分ではない身体に乗り込んだ。感覚がまるで違う。慣れるのに時間がかかるものだ。
「美肌効果が売りのようです。かなり期待しています」
「やっぱり肌の美しさは大事なんだ」
「当然です。外に出ても恥ずかしくない、ある程度小綺麗なメイドでありたいものです」
雪城さんらしい口ぶりだ。かわいくあり続けたい、みたいなストレートな言い方は絶対にしなさそうだ。
部屋でダラダラしていると、夕方と呼べる時間になってきた。外はまだ明るいので、実感は湧かなかった。
「お風呂から出たら、近くの休憩スペースで落ち合いましょう」
「賛成」
言って、出る準備をする。部屋にある浴衣を物色し、荷物袋に詰めた。
風呂。久しぶりの大浴場。
人が多い時間帯だった。混んでいようと風呂は風呂。心躍ることに変わりはない。
体をサクッと洗う。
まずは、中のお風呂に浸かった。
「生き返る……」
心の底から気持ちいい。たまらない。
頭がぽわぽわとしてくる。自分が置かれている状況を、湯気と一緒に消し去ってしまうおうかと思った。いまだけは。
置かれている状況、と言葉を濁しているが。
伊集院のことである。
温泉旅行と称して、俺は地元を離れた。ヤンデレという地雷原から一時避難をしたかったのだ。
ずっと逃げるわけにもいかない。いずれ日常は再開する。
ひとりの時間になって、考える余裕ができた。現実逃避をし続けるのもしんどくなってきたのだ。
「どうすればいい、俺は……」
考える。アルキメデスよろしく、名案が浮かぶのを待つ。
このまま伊集院のペースに乗せられてしまうと、完全に伊集院ルートになってしまう。俺の周りの世界が、伊集院中心のものになってしまう。
「リスクは分散しろ、とも言うよな」
他にもヤンデレヒロインは存在する。彼女たちとも同等の熱量をもって接したらどうか。全員のルートを同時に解放するか?
そうしたら、ヤンデレ同士での蠱毒が始まるんじゃないか。ドロドロの恋愛模様が描き出されそうだ。
怖すぎる。全員が暴発し、原作越えの大惨事になる恐れがありありだ。
「それをやるなら、全員とラブラブなハーレムエンド? あの激ムズと名高い?」
自力ではクリアできなかったルートだ。結局ネットの攻略情報をもとに、かろうじてエンディングをむかえたやつだ。
結局のところ、ハーレムエンドは奇跡の産物だ。わずかな選択肢の違いで成り立った、ギリギリの綱渡りだ。
もはや、正解のルートからは外れている。正しいルートを進めている自信がない。
ぶつぶつと、周りに聞こえない小声でひとりごちていた。アイデアを整理していくためだ。続けてはみたものの、うまくいかない。
気分転換のために、露天風呂のエリアに出た。雪城さんの前評判通り、圧巻の景色だ。ひんやりとした山の空気。頭がしゃっきりとする。
俺にできるのは、そのときにベターと思える行動を選ぶことだだけだ。
原作では描かれていない余白の部分も、破滅エンドを避けるためには意識しなくちゃいけないのだろう。
実際のところ、そんなのキリがない。原作通りにコトが運ぶとも限らない。
ただ単純に「諦める」だとか「完璧な立ち回りを断念する」だとか。ハッキリ言いたくないから、迂遠な考えに走ってしまった。
風呂から上がり、休憩スペースに直行した。伊集院さんはまだ戻っていなかった。
待っている間に、本棚に置いてある一昔前の漫画でも読もうか。
そう思っていた。
手荷物のなかにスマホを見て、考えを改めた。
『伊集院:ちょっと電話かけるね。高月くんと、ちょっとお話ししたいから』
そのメッセージを皮切りに、十数回の着信がきていた。
あぁ、まずい。なんで出なかったのという話になりそうだ。
伊集院はまだしばらく帰ってこないだろう。とりあえず、電話をかけておこう。
コールをして数回で、伊集院は出た。
『全然出てくれなったね。どうしたの?』
「ちょっと用事があってな。出るに出れなかったんだ」
『彼女の電話を差し置いて、なんの用事?』
「お試し彼女を超えて、本物の彼女みたいな口ぶりだね」
『話を逸らさないで。なにしてたの?』
答えないとダメらしい。
「散歩だよ。スマホを家に置いていたんだ」
『それなら仕方ないよね。いっけない、束縛彼女みたいな真似しちゃったね。嫌だった?』
「ちょっとびっくりしたかな」
『ごめんごめん。無視されたかと思って、意地悪したくなっちゃったんだ〜』
さっきまでの若干重めな雰囲気は抜けて、黒髪ギャル伊集院という当初のイメージに戻った気がする。
「そういや、どうして電話を」
『なんとなく。用事がなければ、電話しちゃダメかな。仕事じゃないでしょ?』
「俺の恋愛経験値が低いだけ?」
どうだろう、と伊集院がはぐらかす。
『もしそうだとしても、私がガンガンレベルアップさせるからね』
ヤンデレ対応スキルだけ極端に高い、歪なステータスになりそうだ。
『いまから会える?』
「いま、から」
『そう。家とか、とにかくそう遠くにはいないでしょう?』
まさか、伊集院と二人きりで旅行していると言えるはずもない。もし本当のことを口にした暁には。
終わりだ。地雷原を警戒せずに全力疾走するようなもんだ。
「あぁ、きょうは厳しいかな」
『散歩するくらいの余裕はあるのに?』
いけない。ついた嘘に綻びが生まれる。新たな嘘により、改めて整合性を取る必要が生まれる。
「あんまり絶好調じゃないんだ。伊集院に体調不良を移したら、申し訳ないし」
『それでもいいよ。聞いている感じ、絶不調という感じでもなさそうだし』
高月くんなら、風邪の共有だって全然アリだよ、なんて言ってくる。
なにを言っているんだ。この感じだと、いろいろ理由をつけて俺と出かける流れになってしまうんじゃないか。
『いけるよね?』
返答に窮する。どうする。血の巡りがよくなった頭をうんうん捻っても、断る理由が出てこない。
視野が狭くなっていく。いつの間にか下を俯いている自分がいた。
「どうして絶望顔で電話しているんですか」
見上げる。雪城さんが戻っていた。割合に早い上がりだった。
いや、俺が思索に耽っていたために、割合に風呂上がりが遅かったのだろう。
誤算だった。驚きのあまり、言葉が出ない。
「せっかくの二人旅というのに、苦い顔をしている場合ではないじゃないですか」
雪城さんの言葉は、決して大きな声ではなかったと思う。
なのだけれど。
『え、どういうこと?』
「どういうもこういうも……」
『雪城さんと二人旅行? なんで? お試し彼女の私がいながら?』
俺が押し黙っていたせいで、周りの音を拾ってしまったのか。
つくづく、やることなすこと裏目に出ている。
『浮気じゃん』
短い一言は、暗く澱んでいた。そのあとしばらく流れた沈黙が、俺を突き刺すようだった。
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