第9話 伊集院に圧倒される高月正直

 伊集院と放課後を過ごすことになった。


 原作でも、こんな流れがあった。ここから、伊集院とは親しくなっていく。いまのところ、ルートに乗っている。


 高校を出て、電車に乗った。多数の路線が交わる、いわゆるターミナル駅を、伊集院は指定した。高校からは一時間ほどかかる。


 話好きの伊集院が次々に話題を振るので、気まずい沈黙が流れることはなかった。


 電車を降りる。駅近の商業施設は、すぐだった。


 俺がしたいことは、特になかった。


 伊集院が満足してくれれば、それ以上望むものはない……そう言うと伊集院は、洋服とかコスメとかを見たいな、と答えた。


 ウィンドウショッピングが始まる。伊集院は、次々と色とりどりの服に着替えていった。キャッキャとしながら試着姿を見せる伊集院は微笑ましい。


「どう? 私の魅惑的なスタイルは」

「かわいいね。けど、ちょっと肌面積が目立つ」

「おじさんみたいなこと言わないでよ?」

「うぐっ」

「同じ学年なんだしさ、ね?」


 おじさんと呼ばれるには早いかもしれない。


 とはいえ、おじさんという言葉が刺さってしまった。前世は、二十代にさしかかったところだった。十代ではない。高校生の感性は失われつつある。若くはないんだぞ、と指摘された気分だ。


 試着という名目で、伊集院は魅惑的な体をさらけ出し、見せつけている。無理をしていかないか、なんて余計な心配をしている自分がいた。



 次々と店を変える伊集院についていく。そんな俺の後ろに、人の影を感じる。


 誰だ?


 振り返っても、誰もいない。見つけられない。


 気のせいと思って、俺は違和感から目を背けた。




 途中で、今度は俺の着せ替えタイムになった。


 さくっと終わらせるつもりでいた。なにせ、ここで伊集院からプレゼントとして、服を買ってもらうイベントが発生してしまうから。


 結論、買う流れは回避できなかった。買わなくていいよ、と断りはしたさ。


 休憩がてら入った喫茶店。


 サプライズだよ、と伊集院がさっき俺が見ていた服を手渡した。こっそり買っていたらしい。


「これで貸し借りなしってことにしたいの。モノひとつで済ませられることじゃないかもしれないけれど」


 断る素振りを見せたが、無駄だった。


 ここはひとまずもらっておき、伊集院に満足してもらおう。それが俺の選択だった。 


 またしても、原作ルートのなかに軌道修正をされてしまう。定められた道から逸脱することができない。


 二人分のコーヒーが運ばれてくる。一口いただく。


「急な話で悪かったと思うけど、高月くんと一緒に出掛けられてよかった」

「満足したようでなによりだよ」

「もしかして、気乗りしなかったかな?」


 いや、そんなことないよ。否定する。うまく誤魔化せた気がしない。


「無理しなくていいんだよ? 今回は、私の気持ちだけで決行したようなものだから」   


 空気が変わる。うまく流れを転換できるほど、俺は器用じゃなかった。


「逆に聞きたいんだが、俺と一緒で楽しめたかな?」


 こんなことを聞くべきではないと思いながらも、口は動いていた。空気を悪化させる一手じゃないか。


「当然だよ? ずっと楽しみだったもん。私の好きな高月くんと出掛けられるんだからね」

「それが、俺には不思議なんだ。一度助けられたってのが、心をおおいに突き動かすのかって」

「論理的じゃない恋もあるの。高月くんはね、いい男なんだよ。そうやって自分を卑下する必要はないくらいに」


 どうして俺に、否、高月正直に。


 思えど、追求しても仕方ないと思う。


 感性は人それぞれだ。伊集院と俺が、同じように考えるわけではない。


「たぶん私ってさ、あんまり人との距離感みたいなのがわかってないんだよね。だから人を戸惑わせちゃうことがある」

「多くの友人を作れているんだし、結果的に成功と言えるんじゃないかな」

「だからやっぱり、特別な相手っていうのがわからなくなるの。相手にとってそう思ってもらえたとしても、果たして自分にとっての特別な人ができるのか、考えることが多かった」


 そこに、高月くんが現れたわけだよ。伊集院は俺を見据える。


 一度視線を外し、伊集院はコーヒーを飲む。


 ふたたび視線を戻し、続けた。


「試しにだけどさ、私と付き合ってみない?」

「付き合う?」

「別に、いままでと大きくは変わらないの。ちょっと一緒に出かけたり、親密な仲になったりする」

「……すぐに答えは出せないよ」

「どうして?」

「一度落ち着いて決めた方がいい。俺には、いま伊集院が、熱にうかされているように見える。俺を選んだ後、夢から解き離れたとき。後悔させてしまうように思う」

「そういうよね、高月くんは。だから、お試し恋人くらいでどうかなって。バイトでいう試用期間。ダメなら、そこでおしまい」


 思ったよりも、あっさりとした取り決めだ。


 だが、伊集院は『ヤンハレ』のメインヒロインである。この後、暴走する未来を迎えかねない。いくつかのルートが、頭に入っている。


 本当に、お試し期間で途切れるとは思えていないのだ。なんだかんだ、伊集院との物語は続いてしまうのだから。


「はっきりと答えられない、というよりも、答えたくないって顔をしてる」


 よく見ている。


 単に俺が、本音を隠すのが下手なのもあるだろうけど。


「俺は伊集院を心から否定するわけじゃない」

「なら、私じゃ困る理由があるの? いや、それならそれで私も納得するよ?」


 プッシュの強さは、なかなかにヘビーなモノである。うっかり自分の心の内をすべてさらけ出してしまいそうな恐ろしさがある。


「それは……」


 答えあぐねていた。はっきりと、自分の思い人のことを告げるのはためらわれたのだ。


 沈黙が気まずくなる。いまさら誤魔化しの言葉を並べるにも遅いような頃合いになってくる。


 そのあたりで、背後にふたたび気配を感じた。


「まったく、見ていて呆れますよ。高月家の子息として、ありえない女々しさ、優柔不断さではありませんか」


 背後の声を俺は知っている。


 目を丸くしている伊集院を見なくても、誰がいるのかは見当がついていた。


「……雪城さん、どうしてここに?」


 制服姿の雪城さんは、凛とした態度で立っていた。腕を組んだ仁王立ち姿だった。

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