第7話 ヤンデレ堕ちする伊集院

 話が違う。そう言ったら無責任だろうか。


 原作通りであれば、山岡とは単なる殴り合いで事件を解決へと導いた。


 今回は、ダガーナイフという得物がある。


 気が動転している山岡とあれば、後先考えず刺してきたって不思議じゃない。


 いけるだろうか。刃物を手にした山岡を制すことができるのか?


「早く立ち去れ。聞こえなかったか」

「しっかりと聞こえている」

「なら、見たことを忘れて、ここからいなくなれ」


 無理な注文だ、と俺は言ってのけた。


 わかっているのか、と声を荒げる山岡。


 目を瞑り、覚悟を決める。前世の俺なら戦えなかったかもしれないが、この「高月正直」の身体をもってすれば、やれるはずだ、と。


 左を見る。ドッチボール。一歩動き、手で掴む。


 山岡の右腕に目掛けて振りかぶる。


 直撃。ピンポイント。からんからん、と金属音が聞こえる。


 痛みのためか、山岡の腕が震えている。


「おまっ……」


 意表をつくことができた。


 さきほどまでの威勢が、一瞬、消え去った。ナイフさえ排除すれば、原作と変わらない。


 後はこの身体の性能に任せる。山岡を制圧するだけだ。


 伊集院を差し置いて、山岡が俺の方に寄ってきた。


 拳が飛んでくる。感情に任せただけの、捻りのない攻撃だ。


 かわす。反動で前に出た山岡の足を引っ掛ける。


 山岡は顔面から勢いよく転んだ。鈍い音がする。


「いってぇ……」


 すかさず山岡にのしかかり、身体の自由を奪う。


 しばらく抵抗する素振りを見せたのが厄介だった。ただ、ややあって無駄な足掻きはやめた。


「ちくしょう……なんで俺が、こんな目に……」

「勘違いするなよ、それは伊集院のセリフだろうが」

「俺は悪くない。世界がおかしいんだ。愛をもって接していた俺を受け入れない世界が」


 山岡には同情することはできなかった。


 自分がなにを願うのも、望むのも自由だ。しかし、世界は、必ずしも自分の思い通りになるとも限らない。


 無理やり思い通りにするために、山岡は超えてはいけない一線を超えてしまった。これはいけない。


「これはお前の望んだ未来じゃないだろう。伊集院が結びつくこともかなわない。むしろ、伊集院は心に深い傷を負ったはずだ」

「くそっ、くそっ、くそが……」


 山岡は口を閉ざした。いまさら後悔しても、もう遅いだろう。





 数分後、女性の教師がやってきた。


 俺が山岡と格闘している間に、雪城さんが事情を伝えてくれたようだ。


 男性教師はあえて呼ばなかった。伊集院の心をいたずらに傷つけないように、と多くの耳目をひかないよう配慮してのことだという。


 職員室へと連行されるとき、山岡はこちらを見据えていた。なにを言うわけでもなかったが、確かに俺の瞳をじっと見ていた。


 残された伊集院に語りかけていたのは、雪城さんだった。


 今回のことは、伊集院にとってトラウマになりかねない。少しでも心が楽になるよう、雪城さんは親身になって寄り添ってくれた。いつもは冷徹な雪城さんらしからぬ一面だった。



 ここは同性に任せた方がいいと踏んで、俺はあまり伊集院と語らなかった。


 ありがとう。その一言を聞いて、俺は見捨てなくてよかった、と思った。





 * * *


 一週間後。


 当日を含め、数日間は大変だった。先生方に事情聴取を受ける時間が長かったのだ。


 山岡のしたことは、れっきとした犯罪である。ただ、おおごとになるのを恐れた学校側は、この事案を学校内で解決しようと試みた。


 結局、山岡は自主退学というかたちをとった。経歴に傷がつかないように、という学校側の配慮だ。


 そんなもんいらないだろう、と思ったもん、が、学校が下した判断に、ケチをつけられる立場ではない。

 

 ところで、なぜ山岡はスペアキーを持っていたか。


 どうも山岡は体育係だったようで、六限の体育で一度借りた際、そのまま放課後に近くの鍵屋に直行し、スペアキーを作成したらしい。計画的犯行だったことがうかがえる。


 あともう一点。


 山岡が伊集院を脅すために使ったものの正体は、結局分からなかった。知りたければ、伊集院に聞くしかない。人の傷を抉るような真似はしたくないので、こちらから尋ねるつもりはない。


 しばらく伊集院は欠席した。受けたショックを思えば、それもそうだろう、という話だ。


 学校側は事件を隠すのに必死だったが、「山岡という男子生徒が伊集院に襲いかかった」という噂を食い止めることはできなかったらしい。



 今日、久々に伊集院が姿を見せた。もはや、事件前の学校生活ともいかないだろう。事件の被害者である、というレッテルは消えない。


 伊集院がドアを開けると、一瞬沈黙が流れる。そしてまた、日常が始まる。


 こんな気まずい雰囲気が、早くなくなることを祈るしかない。


 伊集院は努めて明るく振る舞っていた。やはり、強い人だと思う。



 昼休み、伊集院は俺のことを呼んだ。


 人目につかない、カウンセリング室を選んだ。そこであれば、他人からどうこう言われる心配のない、聖域だと言っていた。


「高月くん。助けてくれて、本当にありがとう」


 事件当日以来、二度目に聞いた感謝の言葉だった。


「どういたしまして、なのかな。俺は、たまたま居合わせてしまっただけの人間だ。助けられたのも、成り行きに過ぎないと思ってる」

「あそこに来たのが偶然で、成り行きだとしても、それは関係ないの。刃物を持ったあいつに、果敢に挑む姿が、かっこよかった。もし来てくれなかったら……考えるだけで、恐ろしくてたまらない」


 あのまま俺が介入しなかったら、伊集院の心は、完全に壊れてしまっただろう。


 むろん、未遂で止めたから伊集院は傷ついていない、というつもりはない。程度の問題だ。


「これから私、周りから好奇の目に晒されると思う。噂に尾ひれがついて、大変だと思う」

「そうかもしれないな」

「たとえみんなが、私から一枚隔てた距離をとっても。高月くんは、変わらず私のそばにいてくれる?」


 すがるような目つきだった。


 伊集院ルートのフラグを立てないように振る舞わねば、と転生当初は思っていたが。


 こっちの都合で、困っている女の子を見捨てられるほど、俺は薄情ではなかった。


「断るほど、俺は腐っちゃいないよ」

「優しいね」

「俺は、伊集院が思うような人間ではない」

「腹の中でどう思っていようが、関係ないんだよ。正直くんは、私を助けてくれたんだから」


 事件が発生するのを察知していながら、山岡を泳がせていた。そんな俺は悪魔だと思う。真実は語らないでおく。それが、俺にできることのひとつだ。


「そういえば、雪城さんだっけ? 私を落ち着かせてくれた人。正直くんのメイドさんなんだってね」

「うぇっ!?」

「あんな綺麗な人をそばに置いてたなんて、同じ女の子として嫉妬しちゃうよ?」


 俺と雪城さんとの関係が漏れているなんて。基本的には学校でそのことを口にしないはずなのだけれど、今回は別なのか。


「しばらくは、私と正直さんに頼ってくださいね、ってさ。ああ見えて、うちのご主人様は優しい人ですから、って」

「まじ?」


 伊集院が、雪代さんの口調を真似て言うものだから、俺はドキッとしてしまった。


 あの冷徹無比な雪城さんが、俺を褒めるような言葉を?


 いやいや、そんなはずはない。口先ではなんとでも言えるからな。


 それでも、認めてもらえる嬉しさは至上のものがあった。


「だから、その言葉通り、正直くんには私の特別になってもらおうかな?」

「ん?」


 嫌な予感がする。


 伊集院が立ち直ってよかったと思う反面。


 この後に待ち構えていることを考えると、少々荷が重い。



「正直くんはさ、私の前に颯爽と現れた王子様なんだよ? 誇張を抜きにしてね。誰とでも仲良くをモットーにしてる私にできた、初めての特別な存在なんだよ? ちょっと重いかな? いや、私みたいなタイプは、一度熱くなるとそこしか見えなくなるから、仕方ないよね。うんうん。別に、いままで通りフランクにいくだけだもん、大丈夫だよね? もしかしてこういう女の子って、正直くんは嫌かな?」


 あぁ、やはりそうだ。


 このままでは、伊集院ルートに突入するだろう、というのは、火を見るより明らかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る