第6話 伊集院を襲おうとする山岡に対面

 山岡の動きは早い。


 放課後が近づくにつれて、妙に落ち着かない様子だった。


 帰りのホームルームが終わるとすぐに、俺は歩き出した。山岡に先んじて、鍵を取りに行くためである。


 雪城さんには姑息なやり方と非難されたが、やってみる価値はある。


 俺が動いてもなお、体育倉庫が使われるのか。それとも、別の場所で山岡が暴走するのか。今回は何も起こらないのか。


 動いてみないと、結果は出ない。


 雪城さんは、俺の事情を知らないはずだ。ゆえに、姑息な手段をとるのに難色を示すのは仕方ないと言えよう。


 今回は、雪城さんに嫌な顔をされるであろうことを代償に、自分の選択を重視しよう。


「すみません。体育倉庫に、ちと忘れ物をしてしまいまして。体育倉庫の鍵を貸していただけますか?」

「あぁ。わかったよぉ」


 職員室で対応したのは、見覚えのない年寄りの先生だった。


「それで、君の名前は」

「た……」


 高月、と本名を名乗ることもできる。しかし、後から来た山岡に、俺が先手を打ったのがバレてしまう。


「高橋です」

「高橋くんね。使ったらしっかり返すんだよぉ」


 ゆったりとした語り口だった。


 偽名を使うほどかな、とは思ったが、慎重には慎重を期した方がいい。


 鍵とタグを繋げる輪っかに指を通す。人差し指でくるくると回しながら、職員室を離れていく。


 体育倉庫を開けるために、鍵を取ったのではない。あくまで、山岡の一歩先をいくためである。


 体育倉庫の近くで、山岡を待つことにした。鍵を回収できなかったとしても、いちおう現場にくる可能性がある、と踏んでいたからだ。


 もしも考えを変えて、別の場所にいってしまったらどうするのか。


「仕方ない。雪城さんを頼るか……」


 雪城さんにメッセージを送る。職員室の近くで、山岡の動きを見張っていて欲しい、と。


『鍵を取ったのですか? なぜ無意味でメリットのないことを?』


 雪城さんの言葉は人の心を鋭い刃で抉る。口頭でなく、メッセージの文面となると、より刃は鋭さを増す。


 メリットは少ないかもしれない。


 それでも。


 原作ルートから外れた行動が、未来にどう影響を及ぼすのかを知りたい。


 だから、やるのだ。


「ともかく、動きがあったら教えてくれ……と」


 わかりました、と雪城さんから淡白なメッセージが返ってくる。あとは動きを待つだけだ。


 待つだけとなると、暇を持て余してくる。周囲の景色に意識が向くのは、自然なことだった。


 早々に部活動をやっている生徒が見受けられる。きっと、スポーツ推薦がごろごろ集う強化部だろう。


 俺の所属する高校、つまり『ヤンハレ』の舞台となっている私立校は、勉強にもスポーツにも、それなりに力を入れているはずだ。


 ガチガチのスポーツなんて、前世の俺を思うと不向きだよな、なんて思った。


 暇をしている間に、体育倉庫の様子を見ておく。


 紛れもなく、密室だ。


 入り口に鍵がかかっている。窓も施錠されていた。


 体育倉庫から離れる。若々しい高校生の姿を見てぼうっとしていた最中、スマホが鳴った。


『現在、山岡が伊集院を引き連れ、下駄箱に向かっています。鍵を取りに行った様子はありません』


 了解、連絡ありがとう。それだけ打ち込んでおいた。


 場所を変える真似はしなかった。イレギュラーがあっても、原作に近い動きをするのかな。


 鍵を取りにいかなかったのは予想外だった。何かあてはあるのだろうか。


 下駄箱のあたりを見守る。体育倉庫に行くには、いったん外に出て歩かなければならない。


「いたな」


 伊集院が前を歩き、やや距離を置いて山岡がいる。体育倉庫にたどり着くまでは、他人の目線を完全に避けるのは不可能だ。


 だからこそ、やや距離を取って歩いていたのだろう。


 山岡が体育倉庫の入り口に立った。


「なに?」


 体育倉庫の鍵を、山岡が持っていた。


 職員室の鍵を持っていれば、山岡の動きを封じられるとばかり思っていた。


 まさか、スペアキーを持っていたとは。


 どうやって体育倉庫に侵入したかの経緯までは、原作に描かれていなかった。


 盲点だった。『ヤンハレ』のゲーム内では省略されてしまった、空白の部分が存在する。


 山岡は鍵を借りて、体育倉庫に入った。これはあくまで、推測の域を出なかったわけだ。


『山岡が体育倉庫に侵入。今後の動向についての連絡は、電話でおこないましょう』


 雪城さんからのメッセージに既読をつける。ややあって、電話がかかってきた。


『中で不穏な動きを感知した段階で、すぐに突入してください』

「そのつもりだ。雪城さんはいまどこにいる?」


 俺の居場所を伝えると、雪城さんは続けた。


『ご主人様と反対側にいます』

「俺にとっての死角を潰せるわけか」


 なにか起こるまで待って、助けに入る。


 偶発的に助けるならまだしも、少々心が痛むやり方だ。



 スマホから流れるのが、自然音だけになって、どれほど経っただろうか。


 静かな体育倉庫から、伊集院の甲高い悲鳴が響き渡った。


 走る。扉をこじ開けようとする。体育倉庫のドアは施錠されていた。


 鍵を挿し、中に踏み込む。


 砂と埃の匂い。


 眼前には、押し倒された伊集院と、その上に跨る山岡の姿があった。


「あ?」


 山岡は獣も同然だった。荒れた呼吸と血走った目を見れば、誰だってそう思う。


「山岡、お前、なにしてんだ?」


 すぐには返事がなかった。状況がのみこめていないようだ。


 山岡の下にいる伊集院を見る。


 ブレザーを脱がされ、ワイシャツがはだけている。ボタンが床に転がっていた。力づくで脱がされたのだろう。


 恐怖のせいか、涙を絶え間なく流している。嗚咽で呼吸が乱れている。


 潤んだ瞳は、確かに俺を見ていた。


 助けてくれ、と訴えかけるように。


「おい、なんで高月がここにいるんだよ!? どういうことだよ?」

「体育倉庫に忘れ物をしたんだよ。それはそうと、鍵を借りていないのに、どうして中に入ってるんだ?」


 くそっ、と山岡は吐き捨てる。


「忘れ物だ? それが、伊集院ちゃんとの素敵な放課後をぶち壊す理由になるのか?」

「おめでたい考えをしてるらしい。誰がどう見たって、伊集院を無理やり襲おうとしている構図じゃないか」

「襲う? いやいや。せっかくの愛情を蔑ろにされたもんで、しっかりわからせてあげよつとしただけじゃないか」


 ねっとりとした口調が鼻につく。


「言葉遊びはほどほどにしておけよ。お前がしているのは、れっきとした犯罪だ」

「犯罪? そうかもしれないな。だとしたら、俺はもう後には引けないな」


 山岡は、制服の懐に手を入れた。


 取り出されたのは、ダガーナイフ。


「動くな高月」


 刃先を伊集院にあてがった。


「俺の邪魔をするな。さもないと、伊集院の無傷は保障できない」


 助けて、と伊集院は無理やり絞り出したような叫びをあげた。うるさい、と山岡が刃先を近づけると、声がやんだ。


 ……待て、こんな過激な展開は聞いていない。


 あまりにも無茶苦茶な理論だ。無敵の人じゃないか……。

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