第2話 朝に絶品コーヒーを淹れるメイド

 雪城さんを不意に見つめただけで、冷たすぎる反応をされた。バッサリ切られてしまった。


 まじか。


 ゲームでは、主人公とはあくまでふつうの関係を築いていたはずなんだが。あの冷たさは、クールという言葉の範疇を超えている。


『ヤンハレ』の舞台裏で、雪城さんは正直をうっすら嫌っていた。俺の知らないだけで、それが現実なのか?


 現段階で判断するのは早計だ。まだ分からない。そう信じるしかない。


「浮かない顔ですね、ご主人様。そういえば、朝は弱いんでしたね」

「雪城さんに冷たくされちゃ、清々しい朝も憂鬱なんだ」

「冷たい? いつもどおりじゃないですか」


 さも当然、といった口ぶりだった。


「そんなことよりも、早く朝食にしましょう」


 俺のショックを気にするそぶりすら見せず、雪城さんは促す。


「おいしいコーヒーが淹れてあります。冷めないうちに、ご主人様に召し上がっていただきたいのです」

「うれしいな。朝のコーヒーはたまらないんだ」


 受けていたショックが、ちょっと癒された。俺のためにコーヒーを淹れてくれたと思うと、胸のあたりがじんわりとあたたかくなる。


「毎朝のことなのに、新鮮なリアクションですね。頭でも打ちましたか?」

「ま、似たようなところかな」


 頭を打ったどころか、人格ごと入れ替わっているんだがな。


 本来そこにあったはずの「高月正直」の人格は、どこへいってしまったのか。いまのところ「俺」の人格が主導権を握っている。「高月正直」が出てくる気配はない。


 ただ、「高月正直」のすべてが消えたわけでもなさそうだった。


 毎朝コーヒーを淹れて、という言葉を聞いたときに、「俺」には存在しない記憶が無意識のうちに浮かび上がった。きっと、体が過去のことを覚えているのだろう。不思議な感覚だった。



 高月家の邸宅は随分と立派だった。ファンタジー小説の貴族の屋敷、とまではいかないが、金持ちの家って感じだ。


 一戸建て住宅であり、階は二階までだ。その分、敷地面積は広い。俺の寝ていた自室は、ベッドに机を置いても、なおもスペースが有り余っていた。


 記憶が確かであれば、広々としたガレージがあったはずだ。大人数でバーベキューをやっても問題なさそうな庭もある。


 ダイニングはかなり広々としていた。八人がゆったりと座れる長机が置かれている。


 朝食は出来立てだった。トーストに目玉焼き、そしてサラダ。


 席に着くと、雪城さんがコーヒーをティーカップに注いだ。高級感のある香りに包まれる。


「ミルクは?」

「ブラックがいいかな」

「なかなか珍しいですね」

「いや、たまにはブラックもいいかなって」


 コーヒーに関する記憶は、ふっと蘇っていた。あまりブラックコーヒーは好まない、と。


 だが!


 俺はブラックコーヒーが飲みたかった。せっかく品質の良さそうなものをいただけるなら、まずそのままの味を楽しみたい。


「いただきます」


 少量だけ飲む。


「苦味が強いね」


 間違いないおいしさだった。たまらない。だが、この舌は「高月正直」のものである。苦いものは、あまり得意じゃないようだ。


「ミルク、入れます?」

「ミルク少なめ、砂糖多めで」

「かしこまりました」


 すぐにお好みの味に調整してくれた。適量は心得ているようで、飲み直したときの味は格別だった。


「天才的にうまいね」

「ありがとうございます。ご主人様にお褒めいただけるのが、なによりの喜びですから」


 相変わらず表情が固い。変化が乏しい。


 だが、俺は見逃さなかった。


 雪城さんが「なによりの喜びですから」と口にした後、一瞬だけ頬が緩むのを。

 あまりにちょっとした変化だ。だけど、大きな一歩である。真顔に近い、コンマ数秒の微笑みでも、俺にとってはオアシスだった。


「ありがとうございますっ!」

「そこはどういたしまして、ではないのですか。物心ついた児童でも分かりそうなことですが」

「いや、間違っちゃいないんだ。俺も雪城さんに感謝したいと思ったんだから」


 そうですか、と相変わらずの口調だった。腑に落ちない、と言いたげだった。


 コーヒーから始まり、本日の朝食は完璧だった。「俺」はすくなくともこの味が初めてなのだ。新鮮な感動が止まらない。


 うまい、うまいという言葉を使いまくって、朝食が終わった。


「……変です、きょうのご主人様は。朝から見つめたり、なにも変わり映えしない朝食に感動したり」

「いやぁ、当たり前って大事だと思ったんだ」


 さっぱりとした感じで言う俺に対し、雪城さんは言葉を選んで続けた。


「その、なんていえばいいでしょうか」

「はっきり言ってくれていいぞ」

今朝けさのような態度を取られると、調子が狂ってしまいます。きょうはどうも頭のネジが外れているようなので、早めに帰ってゆっくり休むことをおすすめします」

「俺が頭おかしいって? ストレートすぎない?」

「はっきりいってほしい、とおっしゃったのはご主人様ですから」


 うっ、と言葉に詰まる。なにも否定できない。


 雪城さんの感想はもっともなものだろう。長らくそばにい続けた相手の人格が、別人に乗っ取られたら、どう感じるか。


 人格の乗っ取りを知らなくとも、違和感を抱いて当然ってもんだ。


 雪城さんのワードチョイスは研ぎ澄まされた刃みたいだが、言わんとすることは理解できた。


 さしあたり、いろいろ突っ込まれそうだが、「俺」に慣れてもらうのを待つしかない。俺もある程度、高月正直らしさを意識するつもりだけどね。


「なんといわれようと、自分らしくやっていくつもりだ。もし、これまでと違うように見えても、俺は俺なんだから」

「今朝がおかしい、といったのが間違いだったのでしょう。ご主人さまは常日頃からおかしかった、というのが正しいのですね」

「より悪口になってるんだが!?」

「意見を汲んだまでです」


 朝からキレッキレだ。このままだと、夜になる頃には満身創痍になりそうだ。


「いけない。私としたことが、無駄口を叩いてしまいました。もう高校に行かないといけませんね」

「やべ。制服すら着てない。歩いて間に合うか?」

「この際仕方ありません。車を出しましょう」

「車?」

「はい。免許は持ってますから。早生まれなので」


 雪城さんは高校三年生。免許を持てる年齢だ。


 しかしまあ、雪城さんが運転できるなんて裏情報は初耳だ。


「いけるのか」

「少々揺れますので、注意してくださいね」

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