第9話 あたしの屍を越えていく
一触即発の雰囲気を醸し出しながらも、十数分後にはスタジオのドラムセットを軽快に叩く千春の姿がそこにあった。無駄のないスティック捌きは、アグレッシブさよりはシャープな印象で、彼女のすらっとした高身長もあり、美しさすら感じる。
額から零れ落ちた汗が、ショートカットの髪を伝ってはじけ、爽やかなきらめきが舞った。
「……しゃらくせぇ」
涼夏はボソッとつぶやきながらも、千春のドラムに乗せられたように、足でリズムを取る。やがて演奏が止み、千春は汗を拭いながら挑戦的に涼夏を見た。
「どうですか? ドラムは専門じゃないので、あまり自信はないですけど」
「その割には、自信満々に叩いてたじゃねぇかよ」
「初めてではないので」
「ふーん」
涼夏は曖昧な返事をしながら蓮美の方へ歩み寄ると、首根っこを捕まえて部屋の隅へと連行する。
「あいつ、この間あたしに突っかかってきたヤツだよな」
「あー……ええと、そう、です」
蓮美は、目を泳がせながら申し訳なさそうに頷く。
「千春ちゃん……中学の時に、同じ吹奏楽部で。三年の時はパーカスのリーダーをしてました」
「強豪だったって言う?」
「はい。彼女は、私と違って高校も強豪校に進学できたので……なんて言うか、その辺の人よりは上手かなって」
「なるほど」
肩越しに様子をうかがうように、涼夏は振り返って千春を見る。千春は、スティックをふりふり振りながら、作ったようなイケメンスマイルで応えた。
「ドラムは専門じゃねーって。じゃあ、専門は?」
「パーカスは曲によって編成が変わるので、必要なものはなんでもやりますね。何でも卒なくこなせるほうだったので、空いたパートを埋めることが多かったです」
「言い方がいちいちしゃらくせぇな……」
「そんなつもりは無いんですが」
遠巻きに首を長くして沙汰を待つ千春に、涼夏は「うーん」と小さく唸る。
「とりあえず、仮加入ってとこだな」
「実力、足りないですか? それとも、この間のことがあるから?」
「千秋ちゃん、先輩はそういうので人を選ぶ人じゃない……と思うよ?」
「肩を持つなら、最後に日和んなよ」
「う、ごめんなさい」
蓮美の中途半端な擁護を受けた涼夏は、頭をぼりぼり掻いて視線を外す。
「なんかこう、バチッと来るもんがねーんだよな」
「バチッ?」
「上手いことは上手いんだが」
「あぁ」
千春は、何とも言えない評価に腹を立てるでもなく、むしろどこか納得している様子すらある。涼夏が、余計に煮え切らなくなったようで、荒い溜息とともに彼女に向き直る。
「音を合わせるのにドラムは必要だ。練習に付き合ってくれんなら、仮加入ってことでいい」
「良いんですか? 私みたいなぱっとしないドラマーで」
「上手いのは確かだ。少なくとも、軽音サークルのヤツよりは」
「それは、プロの言葉として、喜んでいい評価なんでしょうね」
「元プロ……な。話したのかよ」
涼夏が、ちらりと蓮美を睨む。
「ご、ごめんなさい。経緯を説明する時につい」
「別に良いけどよ……いつか知ることだ」
「あまり、いい思い出じゃないんですか? サマバケ」
「ち、千春ちゃん……!」
二人の視線の真ん中で慌てる蓮美をよそに、涼夏の表情からするりと感情が抜ける。
「どうなんだろうな。ただただ、精一杯やっていただけだ」
その声色には、怒りも、感傷もなく、ひたすらに空虚なものだった。問いかけた千春も困った顔で、小さく息を吐く。
「仮加入で良いですよ。そもそも、蓮美ちゃんに誘われてきただけですし」
「人が見つからなかったら、しばらく本番でも打ってもらうからな」
「分かりました。じゃあ、改めてよろしくお願いします」
千春がもう一度笑顔を浮かべて、ドラムセットごしに右手を差し出す。涼夏は、差し出された手を握り返さす、パチンとタッチするようにに叩く。不格好な合図だが、涼夏が彼女のことを仮にでも認めたことを示すには十分だった。
「とりあえずこれでスリーピース。形にはなったが、まだまだ問題は山積みだな」
「問題……?」
要領を掴めず首をかしげる蓮美の鼻先に、涼夏が人差し指を突きつける。
「ひとつ、この間も言ったがボーカルだ。あたしは無理。口がふさがる蓮美も当然無理。ドラムボーカルは……無くはないが?」
試すように視線を振られて、千春が肩をすくめる。
「カラオケは好きですけど、立候補できるほど上手い自信はないです」
「一応聞いただけだ」
「アテはあるんですか……? 私、そっちの知り合いは明るくないです」
「私も同じくですね。探せば居ないことはないだろうけど」
決を求めるように、今度は蓮美と千春の視線が涼夏に集まる。
「あたしも、今は特にアテがねぇ……が、今はギターレスバンドを音楽として成立させる方が先だ」
「千春ちゃんが加入して、形にはなったんですよね……?」
「問題、その二」
涼夏が、ピースサインを突きつける。
「曲がねぇ」
元も子もない爆弾発言に、ほかふたりは思わず固まってしまう。
「これも一応聞くが、作曲できるヤツいるか?」
ふたりとも、ぷるぷると首を横に振って大げさに否定する。涼夏も期待こそしていなかったのだろう。だよな、と小さく頷く。
「あたしも無理だ。そっちの才能はからっきしだ」
「えぇ……じゃあ、ど、どうするんですか?」
「外注する手もあるが……正直、このバンドの可能性もまだ未知数だ。当面はコピバンで行く」
「コピバン……?」
「コピーバンドのことだよ、蓮美ちゃん。他のバンドの曲をカバーするって言えば良いかな」
「ああ……なるほど」
「ステージに立たねぇバンドに価値はねぇ。最初はコピーだろうがなんだろうが、客の前で演ってナンボだ」
「コピーするバンドは……? この間聞かせて貰った、海外の曲とか……?」
「それでも良いが、お前、楽譜さえあればサックスで吹くことできるか?」
「え? えーっと」
蓮美は口ごもるが、しばらくして頼りなく頷く。
「やってみないと分かりませんけど……できるとは思います。最悪、楽譜がなくてもパートの音さえ聞かせてくれたら、どうにか」
「楽譜はある。パート別の音源も……おそらく手に入る」
蓮美の背中に何とも言えない悪寒が伝った。そんなことお構いなしに、涼夏はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、高らかに宣言した。
「このバンドで、サマバケのコピーをやる」
それは、涼夏にとっても挑戦だった。しかし、恐れも引け目も一切なかった。むしろ、心臓は期待で高鳴るばかりで、首の後ろが焦げ付くように熱かった。
新しいバンドで、サマバケよりもサマバケの曲を上手く演る。燻っていたこの一年で、彼女がずっと考えていたことだ。
もう一度メジャーに挑戦するために必要なこと。
最低だけど最高だったあの時の自分を――サマバケの屍を、越えていくと。
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