第10話 サマーバケーション
――数日前。
学食カフェで行われた第一回バンド結成会議で「ドラムのアテがある」と口にした蓮美は、すぐに千春に連絡を取った。蓮美にとって同郷の友人である彼女は、中学時代である強豪吹奏楽部のパーカスリーダーの経験もある実力者であり、蓮美が知る中では、最も涼夏のお眼鏡に適う実力を持っているであろう人物だった。
「いつの間にそんな話になってるの……?」
経緯を説明された千春の、通話口ごしの第一声はそれだった。蓮美は、戸惑う彼女に口ごもるようにして答える。
「いや……その……バンド作るためにドラマーが欲しいって涼夏さんが言うから。だったら、千春ちゃんはどうかなって……」
「そもそもそこから。え、なに、結局やることになっちゃったの? バンド? 脅された? 弱み握られてない? 私、力になるよ?」
「だ、大丈夫だよ……! 涼夏さん、強引だけど……そういうことはしない、と思う」
「ふぅん……」
顔の見えない通話ごしで千春の顔色をうかがうことはできないが、声色から呆れているのだけは伝わった。
「それで……どうかな? 千春ちゃん、ドラマー」
蓮美の改めての問いかけに、千春の自嘲気味の笑い声が返って来る。
「蓮美ちゃんが買ってくれるのは嬉しいけど、あの先輩の期待に応えられないんじゃないかな」
「そんなことないよ! 千春ちゃん、私の知る中で一番上手だと思うし」
「蓮美ちゃんの知る中では、でしょ? 私より実力のある人なんて、同世代ですらいくらでもいる」
「そんなこと……」
「前に話したよね。私、高校じゃ一回もA編成に入れなかったって」
千春の言葉に、どこか諦めじみた冷めたいため息が混じる。
A編成というのは、吹奏楽部で言う〝レギュラーメンバー〟のことだ。大編成での演奏がウリの吹奏楽だが、もちろん大会では学校ごとに出場可能な上限人数は決められている。
弱小校ならそもそも上限いっぱいまで部員がいないなんてこともあるが、強豪校であればまず間違いなく全学年合わせて三桁近い数の部員がいるものだ。必然的にA編成に入れない、レギュラー落ちの部員が出てしまう。
中学ではリーダーとして打楽器パートのエースを張っていた千春だったが、高校では一度も〝A〟に足を踏み入れることができなかった。
大学で再会した最に、そのことを聞かされていた蓮美は、かける言葉を選ぶように口ごもる。
「それは……強豪なんだもん。仕方がないよ……上手い人が沢山いるのは」
「その中でA編成を勝ち取れなかった私を欲しいと思うかな。プロなんでしょ、あの人」
「うん……サマーバケーションって女子高生バンドで。私、バンドとかは全然だから、知らなかったけど」
「そうなんだ。初期のころは話題になってたんだけど……ちょっと待って。今、送ってあげる」
多少の時間を置いて、蓮美と千春のトークルームに一本の動画のURLが送られてくる。開くと、どこかの高校の教室で撮影したらしい、ホームメイド感満載の動画が再生された。
真っ先に蓮美の目がいったのが、セーラー服姿でムスッとした顔でベースを構える涼夏だ。どこかで見たことがある制服は、おそらく市内の公立校のものだろう。動画の中の彼女は、校則ギリギリだろう明るめの茶髪に加えて、すっぴんに近い薄化粧で、今より随分と幼く見える。それでも弦を弾く姿は暴力的で、アグレッシブで、今の彼女と比べても全く謙遜がない。昔からずっとこうなのかと、蓮美はある意味で安心にも似た笑みがこぼれる。
隣に並ぶのは、涼夏と同じ制服に身を包んだ、長いストレートヘアーをポニーテールに結ったギターの少女。彼女には、涼夏と別の意味で人を惹き付ける何かがあった。顔立ちがアイドル並みに整っているせいもあるだろうが、言うなれば立ち姿だけで人を虜にするようなカリスマ性。涼夏を見ていたはずの蓮美も、自然と彼女の方に視線が惹き付けられる。もちろん見た目だけではない。女子高生らしからぬ、ハードで精錬されたギター操作だけに留まらず、何よりもその歌声だ。
サマーバケーション――誰もが弾ける夏の解放感と熱量をそのまま曲にしたようなハードロックに負けないくらい、ギラついてパワフルな歌唱。一方で、雑に声を張り上げているわけではなく、透き通るような高音域から地獄の底で唸るような低音域までを自在に使い分ける、圧倒的な歌唱力。
聞き惚れるとはこういうことを言うのだろうと、蓮美は自分の身体が次第に紅潮するのを感じる。
そして、ひとりだけ別の高校のブレザーに身を包んだ、緩い巻き毛のドラム。尖った他ふたりに比べたら、柔和で親しみ深い印象の笑顔を浮かべている彼女だったが、その何食わぬ笑顔のままで駆け抜けるようなBPMのリズムを、的確にリードしている。押さえつけている感情を爆発させるような、他のふたりとはまた違った躍動感。吹奏楽ばかりに身を置いて、これほど激しいドラム演奏をあまり目にしたことが無かったせいもあるだろうが、蓮美の目からしたらほとんど異次元の演奏だ。
これがプロ――メジャーの音楽シーンを駆け抜けた人たちの演奏。
それも、今の自分とほとんど変わらない歳で。
涼夏に引きずり出されるまで、ずっと殻に閉じこもっていた蓮美は、自分が恥ずかしくなった。こんな演奏をする人から見たら、もっともらしい理由をつけて演奏を拒んでいただけの自分が、どれほど軟弱で、惨めな存在に見えていたのだろうか……と。
「この動画がSNSでバズって、サマーバケーションはメジャーデビューしたみたい。東北の辺鄙なところで生まれた学生バンドがハネるなんて、ネットの世界は夢があるね」
「え……!? じゃあこれ、デビュー前の演奏なの!?」
てっきりデビュー後のミュージックビデオか何かだと思っていた蓮美は、驚きを重ねることになった。言われてみれば、いかにもスマホで撮影したような画質に、外付けのマイクで直撮りしたらしい音質。それでも〝ぽく〟見えているのは、昨今の高性能スマホの恩恵なのだろう。
「正直、私はこれについていける自信はない」
通話口の向こうで、千春が冷静な口調で言い切る。
「でも……この人が、今からどんなバンドを作ろうとしているのかは、ちょっと気になるかな。蓮美ちゃんに声をかけるあたり、人と音を見る目は確かなようだし」
「そんな……私だって、これ見たら自信がなくなって来たよ」
「それこそ、そんなこと無いよ。蓮美ちゃんのサックスは、サマバケにも負けない」
すっかり落ち込んでしまった蓮美に、千春が元気づけるように笑う。
「私にどこまでできるか分からないけど、蓮美ちゃんが困ってるなら力になるよ。とりあえず、ドラマーとして立候補するくらいならね」
「千春ちゃん……ありがとう」
蓮美の声色が少しだけ穏やかになって、千春もいくらか安堵した。
もっとも、千春だって自信がないのは本当のことだ。それを押しても、涼夏にはもう一度、会わなければならないと思っていた。
あれほど嫌がっていた蓮美が、いきなり手のひらを返してバンドに加入したこと。よほど無理矢理な手を使ったか、断るに断れない状況になってしまったか……そのどちらも、千春の中での涼夏の印象ならありうることだ。
だからこそ、バンドをすることが蓮美の本心なのかを確かめたかった。もしもそうでないのなら……もしくは、再び蓮美が泣くような結果になってしまうのだとしたら、今度こそ救い出さなければならないと。
(私が合格を蹴って同じ高校に進んでいたら、彼女が吹部を辞めることも無かった……そうならないように、力になれたハズなんだ)
蓮美の高校時代のことに関しては、千春なりの後悔がある。こうして大学で再会できたのが、もしも天に与えられたチャンスなのだとしたら、今度こそ、自分だけはどんな時でも蓮美の味方でいよう。そう、堅く心に決めていた。
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