2.アランという男
そんなやり取りのあと、王城の外へと連れ出されたサエリはそのままラートイィスの行き付けだという酒場へ連れて来られた。一番奥の席に腰を下ろすなり、
「あなた、何者ですか?」
サエリがラートイィスに問いかける。
その問いに僅かに目を見開いたラートイィスの口角が持ち上がり、
「――――王国付きの魔法使い様さ」
流れる水のような滑らかな声で、そう口にした、が。
「信用できません」
ぴしゃりとサエリが言い放つ。
「……信じろよ。弟子にしてやっから」
「は? 弟子になんてなりませんし、どうせ無期懲役の投獄ですし、それがなくても……私は誰も信用しません。自分とあの子たち以外は、決して」
あの子たち、と口にしながら、サエリは窓の外を見た。スラム街の方角。今夜は夏にしては少し冷える。あの子たちは大丈夫だろうかと、そんな事を考えているうちに、金髪の給仕の青年が葡萄酒とパン、季節野菜のサラダによく煮込んだ牛の肉を手早くテーブルに並べていく。
「なんの話だい? ラートイィス」
と、飲み物と料理を並べ終えた青年がラートイィスに笑いかけた。どうやら知り合いらしい、とサエリは無視を決め込んだ。幾らこの目の前のラートイィスという男が信用ならなくても、べらべらと他人の事情を話したりはしないだろう。罪人が酒場で最後の晩餐だなんて、笑い話にもならない。
「あははははは、それは大変なことになったねぇ!」
「……」
大笑いする給仕にサエリは頭を抱えた。
目の前の灰色の男は、こともあろうかこの青年にことの顛末をすべてべらべらと喋ったのだった。しかも、面白おかしく適当な脚色まで加えて。
辟易して頭を抱え続けるサエリの肩に、ふと掌が乗せられる。何だ、とばかりに視線だけを動かすと、給仕の青年がにこにこと笑って言った。
「僕、アランっていうんだけどさ。君、どうせ投獄されるのなら一つ頼みを聞いてくれないかな?」
「は?」
「黒曜の森は知ってるよね? 立ち入り禁止のさ。そこへ届け物をして欲しいんだ。どのみち無期懲役なら、もう一つくらい罪が重なったって変わりやしないよ」
終始にこにこと笑いながら言い切ったアランという給仕に、初対面の人間にいきなり何を言い出すんだ、と口を開こうとしたサエリをラートイィスの笑い声が遮った。
「はッはぁ、そりゃいいな! よし、今日の飲食代、お前持ちにしてくれンなら行ってやるよ」
「はぁ!? 私は行くなんて言ってませんし、ここの代金だって払ってもらうつもりはないんですけど?」
「お、払えんのか、小娘。ここはちっとばかし高いぜ?」
挑発的な言葉を返すラートイィスに、サエリは懐から小さな袋を取り出して中身を確認する。そのまま真顔で黙り込んだ彼女を見て、ラートイィスは馬鹿みたいに笑って呼吸困難になりかけていた。
そんなやり取りを眺め、決まりだね、と笑ってアランは奥に引っ込んで行った。届け物とやらを取りに行ったのだろう。サエリはいつまでも笑っているラートイィスの脛をつま先で蹴り上げて、木で出来た杯になみなみ注がれている葡萄酒を呷った。
「……そもそも、立ち入り禁止の森に人なんて居るんですか?」
サエリの呟くような問いに、ようやく呼吸困難から回復したラートイィスがパンを齧りながら答える。
「案外、生きた人間じゃなかったりしてな」
「幽霊だとでも?」
「ロマンチックだろ?」
「どこが」
「つうかよ、お前、目上の人間に対する敬意ってもんが感じられねぇんだけど? 敬語使ってりゃいいと思うなよ?」
「あなたに払う敬意はありません。どうしても敬意を払って欲しいなら、本当に王国付きの魔法使いだって私を信用させてみたらどうですか? こんなちゃらんぽらんな人間、誰がどう見ても王国付きの魔法使いには見えないし、どうせ城の小間使い程度なんでしょう?」
「おっ前なぁ……」
こめかみに青筋を浮かべるラートイィスを無視して牛の肉を切り分けていると、アランがひょっこりと姿を現した。そうして肉を切り分けているサエリへと手紙の括り付けられた小包を差し出す。
「これをヘレネッタ・アンリエッタ・ガーディラという女性に届けてくれるかい? 森に行けば会えるから」
「……はぁ」
サエリが渋々ながらナイフを置いて小包を受け取ると、アランは頼んだよ、と言い残してまた店の奥へと消えていく。口の中では、上質な牛の肉がほろりと崩れて溶けた。
酒場を出ると、ラートイィスは手近なところに停まっていた荷馬車の御者を見付けて交渉に取り掛かった。黒曜の森の手前までなら、と約束を取り付けて荷馬車の荷台に乗り込んだのが数時間前。時刻はもう深夜だ。それでも小銃と小包を抱えたまま眠ろうとしないサエリを横目に、ラートイィスは荷物を避けて横になりながら深く息を吐いた。
「お前、そろそろ寝ろよ」
「嫌です。寝込みを襲われるなんて真っ平ですから」
「お前みたいな小娘、誰が襲うかよ」
そう二度目の溜め息を吐いたラートイィスは緩慢と起き上がり、その場に胡坐をかいて座る。
「そんなに他人が信用できねえか?」
「できませんね」
「なんで」
なぜ、と問われて、サエリは自嘲気味に笑った。信用など到底できそうもないが、少しだけ、誰かに聞いて欲しくなったのかもしれないな、と思う。
「双子の妹がいたんです。私が十歳の時までサラティカヘイムで両親と四人で暮らしていて……でも、十歳の誕生日に、妹は私のために売られてしまった」
それからは誰も、両親すら信用できなくなった。精神的な症状を理由にしてエルベティーダの伯母のところを頼ったが関係が上手くいかず、スラム街で夜を明かす事が増えた。あそこは誰かを排斥しようとしない。それが、ひどく居心地がよかったから。
そこまでを一息に語って、サエリは小さく詰まっていた息を吐いた。そういえばこいつを見付けたのもスラム街の辺りだったな、とラートイィスは納得した様子で双眸を細める。
「なるほどな。禁猟区の森で狩りをしてたのは、金がないだけが理由じゃなかったわけだ。自分の食い扶持を稼ぐためじゃなくて、スラムのガキ共に食わせるためだった、か?」
こくりと無言でサエリが頷く。その目が眠そうで、それでも懸命に起きようとしているのを眺めてラートイィスは小さく微笑んだ。
「やっぱり俺の弟子になれよ、お前」
「まだ言ってるんですか、この小間使い、が……」
悪態をつきながら、サエリの意識は眠りに落ちた。衛兵に捕まったり、初めて王城へ行ったり、そこで無期懲役を言い渡されたりと、少しばかり疲れたのだろう。座ったまま眠るサエリの手から小銃と小包をそっと取り上げて脇に置いてやり、ラートイィスはマントの上からでは分からなかった華奢すぎるほどに細い体を揺れる荷台に横たえた。
月が薄れ、雲に陰った陽が昇る。
翌朝、眠ってしまったことを後悔しながら荷馬車の荷台を降りると、サエリは僅かに目を見開いた。
荒れた荒野の向こうに深い緑が生い茂っている。
国の外の死んでしまった世界で、そこだけが森として生きていた。
黒曜の森と呼ばれるものがあるのは知っていた。知ってはいたが、見るのは初めてだった。
生きている。こんな荒野で。水も土も枯れ果てた地で。その森は確かに生きている。
サエリは袖で目元を拭った。
これがどんな感情なのかは、分からなかった。
「ありがとよ。飲み水も、助かったぜ」
少し遠くの方でそんな声が聞こえる。振り向くと、ラートイィスが御者に札束を押し付けていた。誰がどう見てもかなりの大金だ。そんなに金を持て余しているのかと思いつつ、サエリは御者を見た。
壮年の、ひとのよさそうな男。自分の飲み水を分けてくれたり、毛布を貸してくれたりと、何かとよくして貰った。
礼をしようと口を開くが、素直に言葉が出て来ない。
「っ……」
「おう、嬢ちゃん。少しは眠れたかい? 揺れが酷くて悪かったね。あんな森に何の用かは知らんが、誰かに見付からんように気を付けてな」
どうしよう、と口を開いたまま固まるサエリの視線に、御者が気付いて笑いかける。それは、とても人好きのする笑顔だった。
そのまま荷馬車は行ってしまう。
「ありがとう、ございました……」
頭を下げてようやく絞り出した声があの笑顔に聞こえないことは知っていた。それでも。それでも、絞り出した声が、いつか大声になればいいと願った。
頭を下げたままのサエリの髪に手を置いたのは、ラートイィスで。
「頑張ったな」
そんな一言を残して、さっさと黒曜の森の方へと歩いて行ってしまう。頭を上げたサエリは肩に小銃を担ぎ直し、しっかりと小包を抱えてラートイィスのあとを追った。
森の中に足を踏み入れる。
長身のラートイィスの頭よりもずっと高い位置で木々の葉が揺れて、サエリはぼんやりとそれを見上げた。足下の土も乾いていない。それどころか少し湿っていて、やはりこの森が生きているのだと知る。
だが、そんな僅かな感動も長くは続かなかった。
歩けど歩けど、人のいそうな場所に辿り着かないのだ。
「あのアランって人に騙されたんですよ、もう帰りません?」
二時間ほど歩いたころになってサエリはぼやき、ラートイィスは立ち止まる。したたかに鼻先をその薄墨の背中にぶつけたが、帰る気になってくれたのだろうかと顔を上げた――――刹那。
「うわぁああああッ!」
獣の匂いと気配、そして少年のものらしき悲鳴が、五感を貫いた。
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