王国付きの魔法使いは立ち止まらない
上倉 夜子
第一話 歓迎
1.最後の晩餐
今から約二十年前、世界は死んでしまった。
四季が消え、土は枯れ、水は濁って、人々は生きる術を失った。
今から約二十年前、世界そのものを統べる神が消滅してしまったのだという。
それでもこの世界は廻る。
エルベティーダは夏の美しい国だ。
国の周囲に留まらず、国の中にさえ緑鮮やかな木々や艶めかしい夏草が茂り、露店で果実や野菜を売る若い娘達の頭に色とりどりの生花が飾られている事も珍しくはない。
民が誇る程に美しい、夏の国。
けれどそれも国の中だけの話だ。一歩、国外に出れば荒廃した大地が広がり、隣国に向かうための飲み水を確保するのも難しい。
ならばなぜ、国内だけがこうも潤っているのか。
それはひとえに、国に――――そして王に仕える魔法使いの尽力によるものだ。
彼らは四季を顕現させ、枯れた土を潤し、濁った水を元に戻した。
世界が死んでしまっていたとしても、なんとか生活が出来るのは魔法使いのおかげだと、街の人々は彼らを称賛する。
――――王国付きの魔法使いを。
そして今日は、そんな王国付きの魔法使いが新しく誕生するかもしれない日だ。有能な魔法使いを育て、時には王国付きの魔法使いを輩出する教育機関、ザフィドアーリア魔法学校の卒業試験が行われる日。
そんな日の、夕刻間際。
「おい、お前! それを見せてみろ!」
スラム街への入り口にあたる路地で怒声が響いた。紺地に金のボタンをあしらった詰襟――――衛兵の制服を着た男が二人、砂色のマントを頭から被った人間を取り囲んでいた。頭からマントを被っているせいで顔は見えないが、衛兵の肩より下にある頭、その身の丈からして恐らく少女だろうとすれ違う人々には映った。
「……何ですか?」
発せられた声音は高すぎず低すぎもしない。凛とした印象もなく、ただ、抑揚がなかった。それでも少女だと判る音。
「そのマントの中にあるものを見せろと言っているんだ!」
抑揚のない声を二度目の怒号が掻き消す。
少女が被っているマントの背は不自然に上部に突出しており、明らかに何かを持っている。それに加えてその胸元は一部分だけ赤黒い何かが乾いたような色をしていた。
はぁ、と少女の薄紅色をした唇から溜め息が漏れる。
「どうぞ」
マントの内側から突き出された腕には、死んだ兎が三羽、抱えられていた。
「っ……、背中を頼む」
死んだ兎を眼前に突き出された衛兵が隣にいるもう一人の年若い衛兵に言うと、片割れの衛兵が少女のマントを頭から剥ぎ取った。絹のような黒髪が背に流れ、その髪をかき分けるようにして、少女の肩には小銃が担がれている。
「……近頃の禁猟区での銃声はお前のものか」
兎から目を逸らしながら衛兵は声を低くする。少女はまっすぐに切り揃えた前髪の下にある青い瞳で衛兵を睨み据えた。
「だったら何か? 狩猟可能な森の生き物は全部大人に狩り尽くされていて、そしてそれは売買にかけられる。……それならこの子たちは? お金のない人は少しの肉を食べる事も許されないんですか?」
一息に言葉を吐き出して、少女はちらりと路地の奥を見やる。この子たち、と指されたのは、スラム街で暮らす子供たちだ。
「サエリ……」
不安げな声で一人の子供から小さく名を呼ばれて、少女────サエリは安心を与えるように微笑んだ。視線の先には数人の子供。年齢はバラバラだが、皆、一様にして痩せている。着ている麻の服も汚れや破れが目立っていた。
「そ、それとこれとは話が違う! とにかく禁猟区の森での狩りは重罪だ、今すぐ地下牢にぶち込んで――――」
サエリの言葉に声を荒げた衛兵はサエリの腕から兎を奪うようにして取り上げ、はっとしたもう一人の年若い衛兵も彼女の肩から小銃を剥ぐようにして奪い取ろうとして、
「何、そいつ地下牢行きなの? だったら俺が連れてってやるよ」
不意の声に、衛兵たちは動きを止める。慌てて振り向くと、灰の色をした長髪の男がふらりと歩み寄ってくるところだった。銀の縁取りが施された薄墨色のローブと、片手には先端が丸くなった鉤爪状の杖を持っている。
「街の者か? この者は私たちが」
連れて行く、と告げようとした年若い衛兵を腕で遮ったのは、兎を抱えた衛兵だった。けれどもその顔はどこか呆然としていて、目の前で手を振って見せても瞬きひとつしないだろうと思わせるほどだった。そんな状態の衛兵を見て、年若い衛兵は不思議そうに灰色の男へと視線を移したが、男は既にサエリの肩を抱いて歩み去っていくところだった。
「いい加減、離してくれませんか」
衛兵たちから充分に離れてから、サエリは隣でこちらの肩を抱く灰の髪の男を睨み上げた。一瞬、きょとんとした灰色の目を向けた男は小さく笑って肩を抱く手を放してやる。
「おー、悪いな」
「いえ。……それで、あなたは私をどこへ連れて行く気ですか? 人攫いの類ならお断りしますが」
抑揚のない声が言葉を吐き出すのを面白そうに眺めて、男はつい、と骨張った指を進行方向へ向けた。そこには――――。
一言で言い表すのならば、サエリは圧倒されていた。
天井からぶら下がる大きなシャンデリア。
床に敷かれた青と金の刺繍が鮮やかな絨毯。
壁に掛かる高級そうな裸婦の絵画。
「…………なんで、こんなところに連れて来られたんでしょうか、私は」
一目で高級品だと判るそれらを内包したそこは、エルベティーダの王城――――謁見の間だった。
絞り出すようにして声を発したサエリに、男が何かを言うより早く屈み込む。右膝を絨毯につけ、左の膝を立てて、今まで肩に天秤のように担いでいた杖は、凛と男の右手の中で垂直に立てられている。
頭を垂れるその姿をサエリはただ、綺麗だ、と思った。
ぼんやりと男を眺めていると、視界の外で誰かの気配がして慌てて眼前に視線を向ける。空っぽだった玉座に音もなく歩み寄って腰を下ろしたのは、白いひげをたくわえた老齢の――――王。
「ラートイィス・オルヴィオン」
この国の王、ジオラ・フェレンナ・エルベティーダが見た目よりも若々しい声でサエリの隣の男を見据えた。ラートイィスと呼ばれた男が顔を上げる。
「衛兵より通達があった。お前が禁猟区の森を度々犯した罪人を勝手に連れて行った、とな」
どこか咎めるような声。ラートイィスはその声をまっすぐに受け止めるが、何を言うでもない。ただ、じっと国王を見据えていた。その瞳を受けながら、国王は一度だけゆっくりと瞬く。
「まぁよい。こうしてここまで連れて来たのだ、お前の処分は不問としよう。……さて、ではその者の処分に移るとするが、そうさな……無期懲役の地下牢への投獄が妥当であろう」
無期懲役、と言葉にしながら、国王の瞳がサエリに向けられる。けれどもサエリは表情ひとつ変えず、それを黙って聞いていた。
初めて禁猟区の森で獲物を狩った時から、こうなる覚悟はしていた。それが早いか遅いかの違いだと思考しつつ頷こうとした、矢先。
「恐れ多くも、我らが王。この者に最後の晩餐を許して頂きたい」
ラートイィスがそんな事を口にした。
静まり返る謁見の間で、くつくつと国王の笑う声だけが響いて、
「許そう。ただしこの者が愚かにも逃亡をはかった際は、ラートイィス、お前も同罪だ。刑の執行は二日後とする」
「……御意に」
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