羊たちの庭 その7

 まだ何かあるのか。泉名は悪魔の如き形相で話し続ける。


 「あなたがまだ小学生ぐらいの頃です。あなたの家は父が出て行き、病気がちな母とあなただけが残った。


 いよいよ貯金も底をつきかけ、耐えきれなくなった母によりあなたは外に追い出された。一人で生きていく事を余儀なくされた。


 家を放逐されてから数日間、町を、村を、山をさまよい続け、なんとか生き延びていた。そうしてたどり着いたのが踏鳴神社だった。


 数日間まともに食べることもできなかった。立派な神社だ、一食ぐらいは恵んでくれるだろう、その程度の理由だったのでしょう。そして、そこで当時の踏鳴神社で神職として働いていた池村さとに出会った」


 「そ…それがなんの関係がある!」


 「これから話す話に大有りなのです。あなたは池村に自分の素性を、事情を打ち明けた。大層同情されたようですね」


 「ああそうだ、私は、池村様に救われたのだ!あの時私の手を握ってくれた池村様は、なんと慈悲深い、女神のようなお方であった。

 だから私は池村様のために、この命を、すべてを捧げようと思ったのだ。それの何が悪い!」


 「そうしてあなたは踏鳴の地で暮らすようになった。それは熱心に働かれたようですね。あなたなりに受けた恩義を返そうと必死だったのですね。それ自体は素晴らしいことです」


 「だからなんだ、盲信するなと言いたいのか、それとも犯罪をしていい理由にはなっていないとでもいうのか。今更そんなこと言われんでも分かっておるわ」


 「いえ、あなたが放逐されたご実家にも事情があったと言うことですよ。それをお伝えしなければいけない」


 「な、何を言うかっ…!」


 「盛沢教主、いや、盛沢嘉彦さん。残念ながら五年ほど前にお母様は亡くなりました。そのご家族から言伝があります。


 お母様、シズさんですね。晩年はあなたを家から出してしまった事、育てられなかったことを後悔し懺悔し、うわごとの様に毎日あなたの幸せを願い続けていたそうです。やはり母親ですね」


 「だ、黙れ!貴様、私を誑かす気だろう!そんな事で…」


 「最後まで聞いて下さい、教主。あなたが踏鳴を訪れたあと、池村さとはシズさんの元を訪れています。そこで、長い話し合いが行われた。


 あなたを、家に戻すのか、それとも踏鳴神社で引き取るのかを。しかし、シズにはまだ働き手としては物足りないあなたを育てるほどの余裕はない。


 思案の末、一つの結論にたどり着いた。あなたは踏鳴に引き取られることになった」


 「ほ、ほら、やはりあの人は…私を…捨てたのではないか!」


 「そうとも言い切れません。シズさんはその時身体を壊していた。だから働きたくても働けなかったんだ。


 しかし、病気は段々とよくはなってきていた。今は難しくとも、いつかは、いや、もう一年もすれば連れ戻せるはずだったのです」


 「だ、だからなんだ、結局私の元には来なかったではないか」


 「だから。そこで悪魔の契約が結ばれたのです。池村さとはすでにあなたの才覚を見抜いていた。現にあなたは若くして経営者として成功していたではないですか。そして池村の後釜にまで登り詰めた」


 「ど、どういう事だ…」


 「家に連れ戻したところで生活が苦しいことに変わりはない。結局はあなたに貧しい生活をさせてしまうでしょう。


 何より、満足のいく教育を受けさせてやる事も出来ない。シズさんはそのせいで随分と苦労してこられたそうです」


 「だから……な…」


 「だから、池村さとはこう提案した。この先、シズさんの子を引き取り面倒を見よう。出来る限りの教育を受けさせる。


 その条件として、生活が安定したら喜捨をする事、そして、シズさんは二度と子の前に姿を現さぬこと。


 その条件が飲めなければ今すぐに子供は踏鳴を出て行ってもらう、そう言ったのです」


 「ひ、酷い…」

 虎元が嘆いた。


 なんと残酷な、まさに悪魔のような条件だろう。


 「トラくん、池村さとは、狡猾な人間だよ。自分が有利な立場であると見抜き、より有利な条件を提示した、それだけでしょう。


 当時の踏鳴にとっては子供一人増えたところで大して変わりはない。こちらの盛沢教主は大成する素質を持っていた。そして、池村には絶対的な忠誠を誓うことは間違いないと踏んでいた。


 まあ、当てが外れたと分かればその時点であなたを捨てればよい、とても合理的な判断です」


 「う…嘘だ……」


 「嘘でも作り話でもありません。あなたのお母様の言い残した言葉だ。娘さん、あなたの歳の離れた妹にあたる人からお聞きしてきました」


 「わ、私はもう…五十年もの間、一体何を…」


 「あなたは、大切な母親に捨てられたと思い込んでいた。だからその面影を池村さとに見出していた。


 命の恩人である彼女を神聖視すらしていた。命じられたことには全て従った。さぞかし便利な存在だったでしょう」


 利用されているとも知らずに──と冷たく言い放った。


 「わ、私は……ずっと……そんな事も知らずに…」


 「現にあなたは池村から母親らしい愛情など微塵も感じた事はないでしょう?それを清廉で厳格な人と勝手に解釈した。あなたは、自分の信じたいものを信じただけだ」


 「く、、う……」

 盛沢は肩を落とし、項垂れた。


 終わった。


 この教主は今完全に敗北した。


 盛沢は震えている。言葉を失い青ざめている。


 先ほどの威厳は、とうに消えていた。


 「ぐ、ぐぐぐ…わ、私は……何のために。

 こ、ここまで人生の全てを賭けて来たのに…」


 「その結果がこれです。いいように利用されたあなたは信仰の名の下──否、池村への忠誠心だけで何人もの罪のない人間を殺した。


 その先には救いはない。当然です。池村の行動は全ては梅乃のため。信じるものすら無いのですから。もうこれで終わりです」


 そこには、小さくなったただの老人が居た。


 教主という名の、自らを覆っていたメッキは完全に剥がれてしまったのだ。

 

 梅乃という亡霊に取り憑かれ、妄信し、年老いてしまった、ただの哀れな男は今、絶望していた。


 その時。

 

 ガタン!!


 何かが倒れる音が響き渡った。


 一同が一斉にそちらに目をやる。


 煌びやかな襖の前に。


 孝元が居た。


 襖の奥に閉まってあったのだろう、

 手元には鞘の抜かれた日本刀を持っている。


 「はぁ…はぁ…、お、お前、騙しやがって」


 「こ、孝元、な、何をする…」


 「こ、孝元さん!」


 「お辞めください、孝元さん」

 泉名が叫ぶ。


 「だ、黙れ!黙れ黙れ黙れ!!!」


 孝元は激昂している。目は血走り一点を見つめる。その目は真っ直ぐと、盛沢教主を見据えている。


 「お、俺が今までどれだけ尽くしてきたと思っている!お前達が言うから、俺はなんでもして来たのだ。人まで殺させておいて。それなのに…今更何だと言うのだ!すべてまやかしであったと言うのか!」


 「や、やめてくれ……わ、、わしは知らなかったんだ」


 「孝元さん、止めるんだ!そんなことをしても意味がない!」

 泉名が叫ぶが、孝元には届かない。


 「今更知らないで済むか!騙しやがって!お、お前も地獄に落ちるがいい」


 「た、、助けてくれ。た、頼む、…し、死にたくない」


 盛沢は這いつくばり命を乞う。腰が抜けているのか。


 「情けない姿をしおって、盛沢!」

 そう言うと──。


 日本刀を手前に構えた。


 孝元が走り出す。


 盛沢は這いつくばりながら逃げる。


 その背中を、背後から。

  日本刀を振りかぶり──横一文字に切り裂いた。


 その瞬間、血飛沫が舞った。


 孝元の顔が赤く染まる。


 「ぎゃあああああああああ!」


 盛沢は断末魔の雄叫びを上げる。


 孝元の怒りは収まらなかった。


 「苦しいか盛沢!見苦しいぞ!最後ぐらい潔く死んだらどうなのだ!」


 日本刀を前に構え、再び襲いかかろうとする。


 盛沢は必死で抵抗する。最後の力を振り絞り孝元に掴み掛かった。


 二人は絡れ、揉み合いながら背後に聳える祭壇に身体ごと倒れ込んだ。


 「うおおおおおおおおおおお!」

 「うがあああああぁああああ!」


 轟音があたりに響く。


 それと同時に勢いよく血飛沫が舞う。


 豪華な祭壇に飾られた法具と共に、祭壇は一気に崩れ落ちた。


 白色の祭壇は赤く染まっている。


 祭壇に灯っていた蝋燭が倒れ、白布に燃え移った。煙が上がり始めている。まるで中央のそれを包み込むように。


 全てが一瞬の出来事だった。


 二つの塊は崩れた祭壇の中央にいた。


 「も、盛沢教主!孝元さん!」

 泉名が虎元が桐谷が急いで駆け寄る。


 部屋の外からこちらに向かう足音がした。周りで見張っていた信者達だろう。


 すぐに背後の襖が開けられ、誰かが入ってくる。


 孝元は。


 絶命していた。


 倒れたはずみで自身の持っていた刃で首を貫かれていた。


 盛沢もまた、既に息は無かった。


 悍ましい顔だった。


 まるでこの世の終わりを見たように目を見開いたまま。


 事切れていた。

 

 この世の地獄の様な有様だった。

 

 白布に燃え移った炎は、まるで生きているかのように左右に揺らめいている。煙があがり、天井付近は薄く霞み始める。


 背後には崩れ落ちた祭壇が。


 今にも二体の亡骸を飲み込まんと聳えている。

 そしてその下には、血溜まりのカーペットが二つの塊を包み込んでいる。


 嗚呼──。


 これはまるで──あの儀式の。おんばいさんの再現ではないか。


 何故だろう。地獄のような光景のはずが。


 美しく、艶かしく思えた。


 二体の人だったものが景色に溶けていく。


 泉名が信者達に何やら指示を出している。


 虎元は二人に駆け寄り抱き起こそうとしている。


 桐谷はと言うと。


 その場で狼狽えるのみであった。

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