羊たちの庭 その6
「何を仰るか。我々が崇めるおんばい様、宇目の命様の御霊にひれ伏し、そして許しを乞い、そして救いを求める。其れこそが教義の中心であり、真理である。それ以上には御座いますまい」
「成る程。こんなにも長い間続いていると、不思議にも思わなくなってくるのですね。小野さんは──気付き始めていましたが」
「小野様ですか。あの男が何を分かってるというのでしょう」
「小野さんが何処で亡くなったかはご存知ですね」
「はあ。お亡くなりになったという話は聞きましたがな。どこぞの山奥の廃屋でとはまた驚きましたわ。
まあ私達のことを調べておるとは気づいてましたから、忠告はしておりましたが。まさか先にお亡くなりになるとは」
例の『DM』の話のことだろう──。
しかし小野さんの事件に教団は関与していなかったのか。
桐谷はまだその廃墟を見たことがない。友人の最期を思うと、なんとなく避けていたのだ。
「やはりそうでしたか。最初はあなた方の仕業と思っていましたが、その気配が一向に見当たらない。
ただ、少し違和感があります。真相に近づいていた小野さんをあなた方は見過ごしていたのですか?」
「ええそうですね。こちらに危害を加えようとなれば話は別ですが、真下が死に、それから生贄の調達でも綻びが出ておりました。遠からず刷新は必要とも思っておりました。
不用意に小野さんに手を出すよりは看板を付け替える準備を急いだほうがよい、そう思っておりましたかな。まあそれより先に泉名様方が来てしまいましたが」
「そうですか──あなた方はあの場所がどう言うところかご存知無かったのですね」
「あ、あの、泉名さん、小野さんの亡くなった、あの、お札の家ですよね。そ、それがなんだと言うのですか!この話とどんな関係があるのですか!」
桐谷は堪らず声を上げた。
「関係も何も。桐谷さん、あの場所はね。宇目の命真教会初代教主、池村さとの娘。池村梅乃の家ですよ」
「む、娘…!?」
「な、何と…」
「い、池村様に、む、娘様が……いらっしゃると?」
盛沢教主は初めて動揺を見せた。
「ええ。池村は意図的に隠していたのでしょう。池村さとは教団を立ち上げるずっと前、夫の池村耕三との間に一人娘の梅乃を授かった」
「ま…まさか。いやしかし……。う、梅乃様とおっしゃいましたか、そのお方はどこに……?」
「残念ですが、池村さとが教団を立ち上げる前に亡くなっています。所謂当時の流行り病によって。
しかし、その出来事が池村さとがこの教団を立ち上げるきっかけとなったのです。いわば、あなた達の信仰の原点です」
「教団を立ち上げるきっかけ…ですと」
「池村はあなたにはそのような話はしなかったのですね。まあ無理もない。カリスマ的な教主に暗い過去など不要ですからね。というよりも、絶対的な地位であった池村にしたら、聞かれもしなかったから答えなかっただけかもしれませんが」
「い、池村様はそのようなことは…何も。踏鳴神社で宮司になる前は教師をしていた、とはお聞きしておりましたが」
「ええ、池村さとは茨城県のとある学校で教職に就いていました。そこで同じく教師をしている耕三と出会い結婚、梅乃が産まれたのです。不幸なことに梅乃が一九歳になる頃、流行り病により倒れてしまいます。
当時は病気に対する差別的な意識がまだあった。梅乃は、池村一家は人々から謂れなき中傷に晒された。思い悩んだ一家は、周囲の目もあり隔離と療養目的で山の中腹にある一軒の家を梅乃に与えたのです。
耕三とさとは甲斐甲斐しく梅乃の面倒を見ていたのです。大事な一人娘ですからね、当然でしょう。しかし、不幸なことに耕三もまた同じ病に倒れてしまう。
さとが家中にお札を貼り始めたのもその頃だった。藁にも縋る思いだったのでしょう。どこぞの札撒きからもらってきた札を家のあちこちに貼って回った」
「そ、それじゃあ、い、今も残るその家にお札を貼っていたのは…池村さとだったんですか」
「ええ。しかし、必死の祈りと、懸命な介抱の甲斐なく梅乃は、耕三はこの世を去ってしまった」
さとは一人残されてしまった──のか。家中が札で満たされた、家だけを残して。
「池村さとは悲しみに暮れた。そして、周囲の流行病への偏見の目もあり教師を辞め、姿を消したのです」
「そ、そして踏鳴神社に…辿り着いたのですか。し、しかし何故それが宇目の命真信教を立ち上げることに繋がるのですか」
「梅乃を世間から忘れさせないため、です。彼女は葬式すら出せなかったのです。周囲の人間が許さなかった。辛かったのでしょう。これでは──亡き人との別れも出来ない。
そして池村さとは、ただ一人残され、世間の理不尽の中で梅乃の亡霊に取り憑かれた。梅乃のために残りの人生を捧げよう、そう考えたのです。否、そうしなければ耐えられなかったのでしょう」
さとは梅乃を失った悲しみに暮れ、神に、信心に絶望した。その想いを抱えて生きていくことを余儀なくされた。しかし世間はすぐに梅乃のことなど忘れてしまう。
ならばと、形を変え彼女を現世に留める方法を取ったのか。
「宇目の命という名も、梅乃の名を冠しています。漢字はただの当て字でしょう。そして、おんばいさん──漢字では御梅さんと表します。これも、梅乃さんのことだ」
「教団が続く限り、梅乃は人々に忘れ去られることはない…ということですか」
虎元が力なく呟く。
盛沢は、俯いているのか…表情は分からない。
そんな盛沢を、孝元は見つめている。
「そう考えてみるとおんばいさんの儀式もまた意味のあるということが分かる。
茅葺の小屋はお札の家を模したものです。木製の人形は梅乃の肉体を表現したものだ。地面に埋められた生贄と共に燃やすことで梅乃の魂に生贄の身体を捧げる。
梅乃の魂に新しい肉体を与え、荒ぶる魂を鎮める、と言った趣旨なのでしょうか。また一方で小屋を棺に見立てて、火を灯す。火葬を模したとも見て取れます。娘の葬式すら出せなかった母親としての意匠なのでしょう」
「そ、それじゃあ…私達が信じていたものは…」
「そんなものは最初から存在していないのですよ。池村さとは極めて個人的な理由で教団を立ち上げた。
全ては梅乃の魂を鎮め、彼女の存在を永遠のものにするためです。この教団が残り続ける限り梅乃の魂は生き続ける。だから、それに必要な権力にも固執した。
あなた達はその為の、駒でしか無い」
これは──池村梅乃の亡霊なのです。
泉名は云った。
そうか、これはまるで亡霊ではないか。池村さとのみならず、多くの信者、被害者が彼女の亡霊により人生を狂わされてしまったではないか。
なんという邪悪な、なんという悲しい亡霊なのだろう。
「盛沢教主、だからこんな儀式などさっさと辞めるべきです。前教主は亡くなった。もうこの教団の信仰にすら固執する意味はない。初めから何もないのですから。
このまま無意味に被害者を増やし、犯罪者を生み続ける、忌まわしき仕組みを続ける理由はあなた達にはないでしょう」
「う、うるさい!黙れ!」
盛沢は拒絶した。
「そ、それがなんなのだ!我が教団はそんなことでは…」
「そんなことでは何だというのですか」
もはや全てが泉名の術中にはまっていた。
「あなた達の信仰は全てが梅乃のためだった。それ以上の意味はない!」
「う、うるさい!もう我々は…引き返せないところまで来ているのだ!」
「そうですか、残念です。それでは教主、次は貴方の話をさせて頂きます。盛沢教主、いや、盛沢嘉彦さん。貴方が教団に与する前の事だ」
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