羊たちの庭 その5

 「孝元、お前も察しが悪い奴よの。何故お前のような半端ものが、このような神社の神主になれたと思うのか」


 「し、しかし…私は今まで教団のためにどれほど…!」


 「黙りなさい。我々のお陰で充分過ぎる程いい暮らしを送ってきたであろう。お前のような人間が人々に敬われ、金だって使いきれぬほどあったではないか。これ以上何を求めるというのだ」


 「そ、、それでは私は…」


 「この神社の終焉と共に全ての罪を引き受けるがよい。お主のお陰でこの教団はより高みへと向かっていけるのだ。これ以上に名誉なことはないであろう」


 盛沢は冷淡な表情で孝元を見る。


 彼は今。


 簡単に。


 切り捨てられたのだ。

 

 否──切り捨てるための登用だったのか。

 

 孝元の顔は青ざめ、血の気が引いている。俯きわなわなと震えているようだ。


 「泉名様、そこまで分かっていて、ここに来られたのですね。ご苦労なことですな。我々はここから立ち去るのみですぞ」


 「そうは行きません。最初に申したとおり、私は今日、ご教主に生贄などという意味のないことを辞めて頂くために来ました」


 「ほほう、まだ言いますか。口の減らないお方ですな」


 「ええ。探偵をやっておりますもので、依頼人に与することはしなければならない。ご教主、もう少しお伺いしたいことがあります。

 生贄の儀式、おんばいさんが始まったのは、確か1985年、昭和六十年の頃ですね」


 「ええ。先先代の神主が亡くなり池村様が神主となられてから。確か三年後のことでしたかな」


 「初代宇目の命教団の教主、池村さとは自分の教義を広めるためにこの神社に潜り込んだ。そしてその目的は成功した。池村はこの神社の神主となった。


 この必要以上に豪華な神社は──器だけ残し中身が入れ替わってしまった」


 皮肉なことだ。先先代の神主である柴田もまた、自身の信仰を広めるためにこの神社を乗っ取ったのだ。


 それが僅か数十年のうちにまた別の信仰によって上書きされてしまったのだ。


 「大願を叶えるためで御座いましょう。異なる信仰を持つ同士、共生の道を歩んで行けばよいのです。柴田様の信仰していた神は今もここに鎮座しております。決して」


 無碍にはしておりませぬ──と云った。


 「そうですか。柴田の信仰ごとここを切り捨てるおつもりなのに言うではないですか。まあいいでしょう。


 それにしてもあれだけの大々的な儀式、安定的な生贄の供給など、それなりの規模の信者と資金力が無ければ実現は難しいのではないですか?」


 「ええ。資金面では特に苦労しましたな。こじんまりとした田舎の神社としてやって行くには困りませんがな。大きくしようとすればそれはやはり先立つものが必要というもの。最初はやはり上手く行きませんでした」


 「なるほど。あなた達なりに苦労した訳だ。それで小木津総合病院の乗っ取っりを画策したのですね。小木津の保有する資産と土地を手に入れれば一気に教団を大きくする足がかりになりますからね。


 あなた達の儀式に必要な生贄を手に入れながら、同時に資金問題も解決しようとした。まだおんばいさんの儀式が今の形になる前のことですね」


 「懐かしいお話ですねえ。私が入信して初めての仕事でしたかな。今思えばあれも雑な仕事でしたかな」


 盛沢は遠くを仰ぎ見た。


 「盛沢教主は当時の小木津総合病院に取り入り、当時の院長であった小木津を、小木津婦人を自殺に追い込んだ」


 「で、でも結局病院は廃業してしまったのでは」


 「そうだね。盛沢教主は小木津婦人に取り入り、院長を騙した。全てを手に入れた後、用済みとなった二人を自殺に追い込んだ。どんな手を使ったんですかねぇ。しかし、土地の権利、経営権を奪取したまではよかったが、中期的には上手くは行かなかったようですね。」


 「ええ。我々も病院経営という話になれば話は別。ただの素人集団でしたからね。ただ、目的は別にもありました。病院の保有する資産を狙っておりました」


 「え…でも確か小木津院長が自殺したのは資金繰りがうまく行ってなかったからだと」


 「そんなことはなかったはずなんだよ。患者からの評判も良かったし活気があった。いくら景気が悪くなってきた頃とはいえまだ経営は安定していたはずだ。噂を──流したのですね」


 「ええ。人一人が亡くなったのです。周囲の人間は何が原因だったのかを必死で探す。それらしい理由が見つかれば人々は安心するものです。


 患者を装った私たちの仲間が知った顔で吹聴するだけです。あとは勝手に真実として広がってくれましたよ」


 そうか、資金繰りに窮した結果自殺した、と言う話は後追いで作られた話だったのか。


 「と言うことは小木津総合病院にはやはりそれなりに手元資金はあったのですね」


 「ええ、暫く我々の活動の心配は要らない程度には」


 「成る程、その資金を足がかりとした訳ですか」


 「でも…その資金だって尽きれば同じではないんですか…?廃業してしまえば利益だって見込めない、ただの大きな建物に過ぎないじゃないですか」

 桐谷がたまらず尋ねた。


 「ええ、だから当時の教主である池村さとは一刻も早く信者の質を変えていく必要がある、そう考えたんだ。


 もう少し分かりやすくいえば──経営者や政治家など、権力を持つ人々を対象に布教活動を行うよう方針を変えて行った。この戦略は有効に働いた」


 「その通りで御座います。いかなる信仰も多くの人に広めるにも手元の活動資金は重要で御座います。池村様のご手腕は見事なものでありました。その過程で、随分と荒事も行いましたな」


 「そ…それはどう言う」


 「ええ、相手の望むものを与えるのです。殆どがより大きな地位や名誉、そして一番多かったのが政敵や競合先の失墜など、ですね。


 小木津総合病院で手に入れた元手と、それなりの組織力がありましたから、ある程度のことは出来るのです。勿論、非合法なことを請け負ったという訳ではありませんがね」


 「権力を持つ人々が、より信仰を強く意識するように仕向けた、ということですね。宇目の命真教を信仰することで幸せが、否、もっと俗物的なものですね。大きな成功が舞い込んでくると」


 「その通りです。あれよという間に信者もご喜捨も増えて参りました。池村様のお陰ですな」


 池村の手腕により教団は瞬く間に規模を拡大していったのか。まさに、信者達からすればカリスマ的な女性だったのであろう。


 「おんばいさんが今の形になったのもその頃ですね。池村さとが考えたものですね?」


 「ええ、実に良く出来ております」


 「ある意味では、ですね。仕組みとしては完成されている。藁葺きの小屋に木製の人形、その下に生贄を据え、火を焚べる。そして、幹部やより徳の高い信者達が周囲を取り囲み祝詞を唱えるのですね」


 徳の高い信者──喜捨の多寡により選ばれた信者ということだろう。


 「そ、それがどのように機能するというのですか…」

 虎元が聞いた。


 「おそらく生贄の儀式は幹部と、一部の信者しか知らない事実だったのでしょう。儀式に参加する事はつまり、罪の共有をする事──これは裏切り者を出さないための抑止力として働く。


 年に二回も立ち会い続ければ抜けられなくなる。むしろ、帰属意識もより高くなるというもの。


 そして、生贄の事実を隠した上で外部に公開することで耳目を集め、神社への参拝の呼び水としていたのです」


 「一挙両得、という訳ですか……それで教団は力を保ち続けたと」


 「この戦略は非常に上手く回ったのです。事実、今に至るまで幹部、信者達から情報が流出することはなかったのですから。小野さんがいなければ真相が明るみに出ることは無かったでしょう」


 「ええ、その通りで御座います。私達に賛同して頂ける方はいまや全国各地にいらっしゃいます。各地の有力な方にも我々の仲間はいる。


 踏鳴がダメでもまた新たな場所で同じことをすれば良いのです。ここにこだわり続ける理由はない」


 「そちらについても調べさせて頂きました。既にいくつかの神社であなた方の息のかかった者が準備を進めておりますね」


 「既に数年単位で準備しておりました。池村様が亡くなる際のお言葉です。こうなる事を予期していらっしゃった」


 池村は相当に用意周到だ──だからこそ教団は力を持ったまま長く続いているのだろう。


 「中身さえあれば器はなんでもよい、という訳ですか。まるで宿主に寄生して生きる寄生虫の如しですね。そうまでして信仰を維持したいのですか」


 「これも共生なのです。我々が信じる道に賛同頂けるなら形に拘る必要はないでしょう。なんと申されても我々は残り続ける。そして誰も気づかぬうちに増殖し。いつしか宿主をも──」


 喰い破ってしまうでしょう。


 表情ひとつ変えず教主は云った。


 「しかし、池村さとは、おんばい様、という名前と、儀式の形には拘っていたのではないですか。あなた達は所謂神事とはほど遠いこのしきたりを不思議に思ったことはないのですか」


 「はて。それは──どういう事でしょう」

 盛沢は怪訝な顔をした。


 「やはりあなた方も分かってはいないのですね。


 池村さとが教団を起こした理由も──おんばいさんを始めた理由も」

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