羊たちの庭 その4
「宇目の命真教会教主、盛沢──嘉彦さんですね。初めまして、泉名と申します」
「ああ、泉名様でしたかな。いかにも、私が宇目の命真教会の第二代教主を務めております、盛沢です」
「宇目の命…?そ、それは何なんですか…」
桐谷が呟いた。
「はい。我が教団名は信者以外は口外禁止とさせて頂いております。泉名様は教団の名をお知りになっておりましたか。あなた様のご友人からお聞きになったのですかね」
「せ、泉名さん…そ、そうなんですか?」
「ええ、まあそんなところですね。さて、盛沢教主、貴方にもお伺いしたいことがございます。よろしいですか」
「はい、なんなりと。ああ、その前に──」
盛沢教主は孝元を見下ろすように睨め付けた。
「おい、孝元。これは何という体たらくですか。永野様から写真を取り返せないだけでなく、真下との関わりを全てこちら様にお見通しとは。
あの女性も満足に御供様にすらできない。教団を危機に晒しておることが分かっているのですか」
清水孝元は全身を硬直させた。怯えているのだろう。
「も…申し訳ございません…ご教主様」
「全く。真下を発掘した実績を買って幹部にまで上げてやったにも関わらず。踏鳴神社の神主に抜擢してやった恩を分かっておるのか。所詮はそこまでの男であったかの──孝元よ」
「ご、ご教主様…ど、どうかご慈悲を…」
孝元は深く首を垂れ、平頭しただ謝るのみだった。清水孝元は──この男の放つ言葉に支配されているのだ。
「ふん、まあいいわ。さて、泉名様、先ほどの続きですな。佐島ひで実様の話でしたな」
「はい、なぜ真下を使い殺害するに至ったのですか。それをお聞きしたく」
「ええ。教団からの命令です。この男は本意ではなかったようですがな」
孝元のほうへ視線を向けた。
「当時の教団は、随分と排他的な政策を採っておりましたから。脱会ということには否定的であった」
「そうですか。先代のご教主の頃ですね。色々葛藤があったとお見受けします」
「ええ、その通りですよ。池村様が教団を立ち上げてから随分と日は立っておりましたが、当時の世相もあったのです。
如何に自分たちの結束を保つか、が関心事の中心でありました。その為に多少の荒ごとは致し方ないことです」
「そ、それだけですか…あなたは人の命を…致しかたないで片付けるのか」
桐谷がたまらず問いかける。
「あなた方にはあなた方の理があるように、私達にもまた理があるです。そのような犠牲の上で教団の支持は盤石なものとなっております。
ご理解頂けないでしょうが、それもまた致し方ない。どんな言葉も受け入れましょう」
盛沢は動じない。真っ直ぐ泉名を見据えている。
「そうですか。同意は出来かねますがご事情は理解しました。何れにしても教団はそこで真下と関わりを持ったのですね」
「その通りで御座います。泉名様の仰る通り、彼にはおんばい様に必要なご供養様を提供して頂いておりました」
「ところが、彼が亡くなってしまって生贄の取得に難が生じたと。そう言うことですね」
「左様で御座います」
「彼は──何故亡くなったのですか──?」
盛沢は微動だにしない。
「真下はもう使い物になりませんでした。長い事肝臓を悪くしておりましてな。病死です。
去年の暮れのことでした。
あの方に金を与えると、みんな酒やら博打に使ってしまう。まったく、信仰とは程遠い男で御座いましょう」
「まあ彼は信者ではなく協力者、ですからね。あなた方には救えなかったのですね」
「ええ、そうですねえ。とは言え何かと世話は焼いたつもりです。彼には伝わらなかったですな。それもまた運命と諦めるほか御座いません」
「彼が亡くなってからというもの、生贄の確保には苦労していましたね。小野さんや私があなた達に辿り着けたのも彼が居なくなったお陰──でもあります」
「本当に情けないことで」
「鈴木絵奈さんの殺害についてもあなた方が関与しておりますね」
──鈴木絵奈か。『SNSの投稿者』のインフルエンサーの女だ。
「ええ。彼女は非常に不安定な状態でありました。教団に入ってからも幾度も自らの命を断とうとする。
入信してから三年程経ちましたか改善の気配はない。それならばとご供養様に選びましたが、結果としては失敗に終わりました」
ご供養様…生贄という意味なのだろう。
「山梨の山林で遺体が見つかったと報道されています。確か犯人の羽多野弘樹という男が付近を徘徊していて身柄を捕獲されたと」
「なんとも情けない事です」
「貴方の姿と思われる人物が鈴木さんの写真に写り込んでいた。教団を預かる身としてはやや不用心ではありませんか」
「やはり慣れぬことはしないことですね。最初は熱心な信者として迎え入れていたのですが」
「鈴木さん自身が入信を希望したと?」
「ええ、彼女もまた傍目からは順調な人生のように見えますが、道に迷っておりました。迷っておれば救うのが筋と言うものです。彼女は私達の信仰に深い感銘を受けておりました」
「犯人の羽多野とはどう言う関係なのです?」
「別にどうというものは無いです。この孝元が何処からか探してきた男。雑な仕事ですな。簡単に警察に捕まりまして。お陰で、ご遺体の回収もままなりませんでした」
「わ、私が羽多野を見立てました…。教団の存在を悟られぬよう殺意を抱かせたまではよかったのですが」
孝元が平頭したまま呟く。
成る程、羽多野は自発的に鈴木絵奈を殺害したのか。羽多野が捕まっても教団関係者に捜査の手が伸びていないのはそのためか──
この男なりに充分に用意はしていたのだろう。
「羽多野が警察に捕まったことで、残念ながら遺体の回収は失敗したと。しかしおんばい様の儀式はすぐそこに迫っていた。急いで生贄を用意する必要があった。そうですね?」
「おっしゃる通りで御座います」
「そ、それは今年の春に行われた儀式ですか──杉本さんが参加した」
「そうですね。だから次のターゲットを永野トキ子さんに定めた」
永野トキ子──『帰らなかった老婆』の話だ。
「もう失敗は許されません。おそらく、ご教主自らが動かれたのでしょう」
「そうですな。永野様は山小屋からご供養様の写真を持って行ってしまいました。真下が亡くなったすぐ後のことです」
「写真は山小屋に置かれたままとなっていた。真下さんはなぜ写真を保有していたのですか?」
「私らとの共生関係を保つため、ですな。あの写真は我々と真下の活動の証──」
「成る程。つまりはお互いの犯罪を立証するものですね。何かの拍子に裏切られないための保険であったと。あなた方はそれが何処にあるかを知らなかった」
「まさかあんな山奥の小さな小屋にあるとは思いませぬでした。真下が亡くなり我々はやっとの思いであそこを見つけた」
「しかし、既に写真は持ち去られた後だったと──」
「左様で御座います」
「そうして永野トキ子さんに辿り着いたのですね。その頃既に永野さんは痴呆症が進行し、ご家族に引き取られていた」
そうか…教団側は写真の回収と、生贄の問題を纏めて解決しようとしたのか。
いや、それはつまり。
「ま、待って下さい、そ、それじゃあ杉本さんが見たおんばいさんの儀式では、その、永野さんが…」
「ええ。燃え盛る藁の小屋の下には。永野トキ子さんが据えられていたのですよ。写真の回収は叶わなかったが、おんばいさんの儀式は無事決行されたという訳です」
そうだったのか。
杉本の見た光景を想像する──。
燃え盛る炎の下に。木製の人形の下に。
永野夫妻の探し人が。
それでは儀式の最中、杉本が聞いた叫び声は…。
そして、その後永井さんの自宅に盗みにまで入ったものの写真は見つからなかった。先ほどの泉名の言葉によると清水孝元…彼が写真を捜索していたのだろう。
「泉名様の言う通りで御座います。辛うじてご供養様は見つかりましたが、結局あなた方には私たちの行動が露見してしまいましたからな」
飄々と言う。底の知れない男だ。
「それで──あなた方の目的は何で御座いましたかな?警察に通報するとでもわざわざ言いにこられたのですかな。残念ですがそれだけでは我が教団はびくとも致しませんぞ」
「ええ、そうかもしれませんね」
「な、何故ですか…全てが明るみに出ればそれまでなんじゃ…!」
虎元が取り乱す。
「いや、それは違うよ。こちらのお方はね、全てこの踏鳴神社が起こした出来事として処理するつもりですよ。宇目の命真教会にとっては痛くも痒くもない」
「えっ…」
桐谷も虎元も絶句した。
「ほほう、さすがですな」
孝元は呆気に取られた顔で教主を見つめている。
「それは考えれば分かります。あなた達の目的は信仰の維持と儀式の遂行でしょう。この場所に拘る必要はない。
あなた方は、いや、前教主の池村さとは自身の信仰を広めるためにこの神社を、この地を再興した柴田を利用したに過ぎない。
ここは──宇目の命真教会にとっては神聖な場所でもなんでもないのです。現にこの神社においては、誰一人あなた方は表に出ていないではありませんか。こちらの──孝元さんを除いて。」
清水孝元は全身が激しく震えている。知らなかったのだろう──。
「はっはっは、面白いですな泉名様、なんとも身も蓋もないことを仰る。確かにこの場所でなければならない理由など無い。信仰など何処にいても出来る」
「盛沢様…そ、それは…」
孝元は声を振り絞る。
が、それ以上には言葉は続かない。
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