羊たちの庭 その3
「おんばいさんの儀式は、小屋の下に細工がしてあります。地面にちょうど人が横になれる程度の穴が掘られている。
そこに生贄となる人間を横たわらせ、遺影に見立てた写真を手元に置く。生贄となる人は、既に亡くなっているか、薬で眠らされているのでしょう。
小野さんのことはご存知ですね。あなた方の事を調べておりました怪談師です。この写真が小野さんの遺したSDカードに保存されていました」
そう言うと泉名は一枚の写真を差し出した。
そこには、全身が青い布に包まれ、横たわる人が写されていた。顔は白いガーゼに包まれ表情は分からない。地面には体を覆うように藁が敷かれている。
しかし、ガーゼの上からでも分かるぐらいに頬はこけており、痩せている。両手は腹部の上で握られており、その上に写真が置かれている。
「小野さんがこの写真をどのように入手したかは分かりませんが、あなた達のことを調べる過程で手に入れたのでしょう」
「ふ、ふざけないで頂きたい。趣味の悪い悪戯だろう。その、小野という男が仕組んだんだろう」
「慌てないでください。まだ写真はあります」
そう言って泉名は持参していた鞄から複数枚の写真を取り出した。
「せ、泉名さん、こ、この写真は…」
桐谷が声を出した。
「はい。永野さんのご自宅からお借りしてきました。孝元さん、永野トキ子さんはご存知ですね」
「し、知らん!」
「まあいいでしょう。永野トキ子さんはどう言った経緯かこの写真を入手した。これは、あなた達が生贄としてきた人々の写真だ」
「『帰らなかった老婆』に出てきた行方不明の老婆ですね…。で、でもなんでそんな写真を永野さんが…」
「これはね、赤城山キャンプ場近くの山小屋にあったものですよ」
「えっ、それじゃあ小野さんが子供の頃に訪れたあの…」
──『迷い込んだ山小屋』の話だ。
「そうです。小野さんが訪れた時、そこには例の大柄の男──真下晋太郎が居たのでしょう。
生贄の儀式の習わしなのか真下の個人的な趣味なのか、写真は毎回二枚ずつ印刷されていた」
「ああ、『デジタルプリント』の話ですね」
虎元が言った。
「一枚は儀式に使用され生贄となる人間と共に燃やされるが、もう一枚は真下が保有し、山小屋に置かれていた。弔いのためだったのかもしれません。
永野トキ子さんは、元々赤城山の近くに住んでいた。その頃から痴呆症はずいぶん進行しており、記憶は曖昧になっていたのでしょう。
何かの拍子に例の山小屋に迷い込んでしまった。そして写真を持ち帰った」
「そうだったのか…」
「おそらく小屋におんばい様という言葉を冠したお札があったのでしょう。それだけは覚えていた」
「ああ、それでおんばい様に貰ったと」
「だ、だったらなんなんだ、私たちは永野なんて人間はしらん!そんな写真がなんだというんだ!」
「そうですか。あなた達は永野トキ子さんを攫い、更に永野さんのご自宅に忍び込んでまでこの写真を見つけたかったのではないですか?」
泉名は目の前の神主を睨め付けた。
「え、じゃああの黒いスーツの男達は…やっぱり」
「教団の方々ですよ」
「ぐ…ぐぐぐ」
清水孝元は声にならない声を上げた。
「永野さんの痴呆症は相当進行していた。もう写真の存在すら覚えてなかったでしょう。
更に、本人は隠している意識はなかったみたいですが、決まった場所に置いてそのままになっていた。仏壇と畳の隙間にね」
「そ、そんなところに…いや、だから何なのだ!」
「ああ、これを取り戻せないと、ここでのあなたのお立場も危うくなるのではないですか?お渡ししましょうか?」
泉名はこれ以上ないというほど意地の悪い顔をしながら、目の前で写真をヒラヒラとさせた。
「な、何を言う!」
「この写真は、全て行方不明者の写真ですね」
ああ、それも『デジタルプリント』の話で出てきた。そして『迷い込んだ山小屋』では、小野さんの母親もまた…。
「その行方不明者の写真がなんだと言うんだ!」
「元々は真下晋太郎が保有していたものだ。真下はね、いわば人身ブローカーのような役割だった。あなた達は相当の金を渡し、その代わりに生贄となる行方不明者を──」
探させていたのだ、と云った。
「そ、そうか、元々行方が分からないのだから居なくなっても困らない、と。そう考えたのか」
「ええ、行方不明者の中にはね、家出だとか、事情があって家族の元を去った人たちが一定数いる。そんな人はね、真下のような男にとっては探しやすいんだよ」
「裏の繋がりか。真下は裏のルートで行方不明者を探していたのですね」
「あなた方は真下がどうやって探しているのかは知らなかったでしょう。しかし、教団からすれば彼は期待を裏切らない。ある種の信頼関係が成立していたのでしょう。
そして、ここにあるのは殆どが失踪届けが出された時の写真だが、一部、失踪した後に撮影されたと思われる写真がある」
一枚の写真を差し出す。
「渡辺忠夫さんです。彼はカメラ関連機器の販売や現像を行う会社で働いていたが、ある日失踪した。この写真はどうやらこの神社の前で撮られたもののようですね」
「そ、その人は、『デジタルプリント』の…?」
「その通りです。Wと表記されていましたが、その方です。例の話を信じるなら、渡辺さんは真下の後を追おうとしてそのまま失踪した。
真下は、渡辺さんを攫ってここまで連れてきたのでしょう。そして、真下は渡辺さんの写真を彼の働いていた店で印刷した。なんとも悪趣味ですね。
そしてあなた方と真下は、渡辺さんをあの廃病院、その昔に小木津総合病院と呼ばれていた廃屋に監禁した。そうですね?」
「ど、どう言うことですか泉名さん!」
泉名は知っているのだろう。しかし何故そんな事が分かるのだ…。
「あの廃病院はね、この方々が拉致した人を次のおんばいさんの儀式まで監禁するのに利用されていたんですよ。
二階のナースステーションの奥におあつらえ向きの部屋があるでしょう。中からは開かないようになっていましたね。
渡辺さんは偶然肝試しに来た若者が扉を開けたため、運良く逃げ出すことが出来た。一度は保護されたものの、結局連れ戻されてしまいましたが…」
「そ、それは…『或る廃病院にて』の話に出てくる…?」
「そうですね。若者たちが扉を開けた後、何者かが外に出ようと、扉に手をかけ、押した。それは、衰弱し、それでも懸命に生き延びようとする渡辺さんの姿だったのです」
なんということだろうか。ここで怪異が繋がるのか。
「その、若者のうちの一人、前田という男だったか──が喉を潰されたと言うのは…。馬場さんにお話を聞いた限りでは本当に起きた事だと」
虎元が尋ねた。かつて小木津総合病院に足を運んでいた男、馬場秀明の息子はその時の様子を証言してくれていたはずだった。
「ああ、そこに真下が居たんですよ。偶然なのか、異変を感じて駆けつけたのかは分かりませんがね。小野さんの怪談では突然苦しみ出したとなっていましたが事実は少し違った。
どうやら、その開かずの間から何者かが出てきたことに驚き、馬場さん達は先に逃げ出していたようなのです。
僅かな間、前田さんは一人取り残されているのとになった。まあ、気が動転していたでしょうし、些細は覚えていなかったようです。そこに小野さんは多少の脚色をしたと。
そして、途中で前田さんがいない事に気づいた馬場さんとご友人は急いで二階のナースステーションに戻ったんです。そうしたら」
前田が倒れていたのか。
「おそらく、真下が気づかれない様に近づき、背後から首を絞めたのでしょう。その隙に監禁されていた渡辺さんはそこを逃げ出した。
馬場さん達が廃病院に侵入した翌日、麓の町で渡辺さんが保護され、そして再度行方が分からなくなっていました。時系列から言って間違いないでしょう」
「真下がそこに居た…ですか。いや、そうか、あそこには大柄の男の亡霊という噂もありましたが…それでは」
「ええ、あそこが廃墟になってから出来た話ですね。生贄となる人を監禁するために出入りしていたはずですから。姿を見られて噂になってもおかしくはない」
黙って聞いていた清水孝元が声を上げた。
「な、何をいい加減なことを。全ては推測ではないか。大体、そ、その真下という男と、我々が関係してるなんて証拠はあるのか!無いではないか。さっきから適当なことをいう…」
「大いに関係してるではないですか」
清水孝元が言い終わるより早く泉名が口を開く。
いつの間にか孝元の纏っていた威厳はどこかに去ってしまった。
追い込まれているように見える。泉名の言葉がこの場を支配していた。
「清水──孝元さん。あなたが真下と教団を引き合わせたのでしょう。その功績が認められて幹部になることが出来た」
「な…」
「泉名さん、それはどう言う…」
「こちらの孝元さんはね、今でこそ踏鳴神社の神主を務めているが、その昔は北白槍団地で宗教活動をしていたのだよ。例の三号棟だったね」
「えっ、それは、『サトシ君』の話の…」
「ええ。当時まだ若かった清水孝元、いや、当時は清水孝夫という名前でしたかね──あなたは教団の勧誘活動に腐心していた。まだ入信してからも日が浅かった頃ですね」
「そ、そんなこと…」
「証拠なら山ほどありますよ。なんなら今も団地に住んでる方に貴方の写真でも見てもらいましょうか?」
孝元はついに俯いた。
「熱心な活動が功を奏し、団地内に少しずつ信者は増えていった。しかし、それは住人達に深刻な分断を生むこととなった」
ああ、その話か。桐谷は直接聞いていた。
「その結果──秋山聖子の幼い息子、聡君が亡くなってしまった…のですね」
桐谷が言った。
「ええ。孝元さん、覚えていますよね。あなたの行動が招いた結果だ。後悔したのではないですか」
孝元の視線が揺れた。動揺している。
後悔──していたのだろう。
「深刻な分断の隙間に落とされた彼女は精神のバランスを崩していた。周囲の人間は誰も気づくことが出来なかった。
たった一人で、孤独の中で、若い命が失われてしまった。悲しい事件でした」
暫く孝元は黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「ああ、そうだ…。私たちが気づくべきだった。遅すぎたのだ」
ついに孝元は認めた。
「だからあなた達は彼女を、聡くんの母親である秋山聖子さんを教団に招きいれた。放ってはおけなかったのですね」
「ああ、秋山さんはな、熱心に信仰したのだ。それで救われるならそれこそが我々の正しい在り方だろう」
「ええ、そう思います。しかし、問題はそれから先です。
佐島ひで実さんもまた、あなた達との関係の中で命を落とした。そして、そこで真下晋太郎との契約が始まるのです」
そうなのだ。桐谷はあの団地で、老婆から聞いた話によると──教団は脱会しようとする仲間を…殺したのだ。
「真下を雇い、屋上から突き落とした。なぜそこまでしたのですか?」
「そ、それは…」
「言えないのですか?」
「ぐ、ぐぐ…」
「聡君の死を悲しんでいたあなたが。聖子さんを信仰で苦しみから救おうとしたあなたが。なぜです?」
「う、そ、それは…」
「仕方ないですね。では隣の部屋にいる方にお聞きしましょうか」
泉名が姿勢を変え、振り返った。
「そこにいるのですよね?隠れてないでこちらに来たら如何ですか?」
泉名が大声を出した。
全員の視線が同じ方を向く。小さく、煌びやかな襖が見えた。
少しの間をおいて襖がゆっくりと開いた。
そこには神職の衣を身に纏った禿頭の男が立っていた。痩せた小柄な男だ。
「あ、あなたは…」
「も、盛沢──か」
桐谷は息が詰まりそうになった。
『或る廃病院にて』に出てきた青い服の集団を纏める男、『SNSの投稿者』に出てくる社長、そして『デジタルプリント』の写真を受け取りに来る男。
今まで話には出てくるが姿が見えなかった痩せた枯れ木のような男。その男の姿がそこにあった。
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