小野亮介の話
警察による現場検証が終わったのは既に日も沈みかけた頃であった。
現場の状況から、二人が揉み合い亡くなったことは明白だった。
後日、事情聴取をするとのことで桐谷達は解放された。
また、警察が現場を調べていたところ、祭壇の下から複数人の骨の一部が大量に見つかったらしい。
生贄にされた人々の骨、そして梅乃の骨なのであろう。信者達は、参拝する客達は、皆この骨を拝みに来ていたことになる。
既に日は落ちかけ、山の合間から夕陽が差し込んでいる。
桐谷達を、踏鳴神社を、鳥居を、全てを赤く染めていた。これほどの事件があったにも関わらず、全てが美しかった。
振り返ると桐谷達の影の向こうにはおんばいさんの儀式を行っていた広場が佇んでいた。なんでもないただの空間だった。
皆、しばし無言であった。虎元の軽口すらも懐かしく思う。
桐谷はどうしても聞きたかったことを尋ねた。
「泉名さん…これで良かったのでしょうか。教団は、生贄は、これでなくなるのでしょうか」
「教主が亡くなったのです。これから様々な疑惑が日の目を見ることになるでしょう。教団は大打撃となるはずです」
「その、既に各地の神社に隠れている信者達は…?」
「ええ、相当に動きは悪くなるはずです。用意していた計画は一旦は白紙になるでしょう」
「そうですか…しかし、まだ…呪いは続くのでしょうか」
「五十年以上にわたって続く亡霊ですからね。既に多くの人が囚われている。亡霊は思うがままに肥大化し多くの人に取り憑いてしまった。そう簡単にはチャラにはならないですよ」
そう言うと泉名は黙ってしまった。
鳥の鳴き声が聞こえた。
木々の擦れる音が耳を刺激する。
既に風は冷たく、肌寒いほどになっていた。
夏が終わる。秋が近づいているのだろう。
もう一つ疑問に思っている事を聞いた。
「あの…小野さんは、なぜあの家で亡くなったのでしょう?本当に梅乃の呪いによって?」
「秋山──聖子さんによるものです」
「えっ、聖子さんですか…?」
『サトシ君』の話に出てくる秋山聡の母親、ではないか。
「な、なんで聖子さんがいきなり」
「小野さんにはね、内通者が居た。教団について情報提供を受けていたのです。だからこれ程表に出なかった教団の存在に近づけた」
「そ、その内通者が聖子さんだと…?」
「ええ。小野さんが初めて教団について知ったのは北白槍団地に行ったことがきっかけです。そこで秋山聖子さんの存在を知り、接触を試みたのでしょう」
「で、でも教団はお札の家については知らなかったんじゃ…」
「聖子さんだけはね、知っていたんですよ。彼女が入信する際に丁重な扱いを受けていたのはね、聡君の件があっただけじゃない。
秋山聖子さんの母親、紀子さんという方ですが、池村梅乃の友人だったのですよ。紀子さんもまた茨城の山間の出身だったのです」
「えっ、そんな繋がりが…」
「意外でしたか?ほら、トラくんは聖子さんのことを調べに行って、そのままお札の家まで見に行ったじゃないか」
「確かに…そうでした。全然気がつかなかったなぁ…」
「歳は随分と離れていたようですけどね。当時紀子さんは十歳そこらだったのかな。だからこそ大人の事情なんか関係なく交流できたみたいだ。例のお札の家にもね、出入りしていたはずだ」
梅乃は、言われなき差別を受けていた。しかし、子供にとってはそんなこと気にも留めなかっただろう。
「そこでね、池村さととも親交があったのかもしれない。いや、毎日のようにお札の家を訪れていたのだ。交流はあったのだろう」
「じゃ、じゃあそれで教団からは特別な待遇を…?」
「おそらくね。池村さとからしたら娘と仲良くしてくれた唯一と言っていいほどの女性の娘だ。信者達には事実は隠しながらも大切に扱えと命じたのだろう」
「聖子さんはあの教団の設立の経緯を知っていたのですか?」
「おそらくね。どこかで気づいたのだろう。紀子さんは過去に火事で亡くなっているが、幼少期にお札の家について、池村家について聞かされていたのかもしれない」
「で、でもそれならなぜ聖子さんは小野さんを…」
「彼女もね。梅乃の亡霊に当たってしまったのだろう。こんな馬鹿げた儀式など辞めさせたい、と思って小野さんに協力していたはずだけどね。
小野さんと二人であの家を訪れたはずです。そこまで来てやっぱり教団を守ろうと思い直したのかな。否、亡くなった母親が訪れていたその場所で、紀子さんの亡霊に取り憑かれてしまったのか」
「そ、それで小野さんを…」
「彼女の心の動きは正直分からないけどね。お札の家から山を少し下ったところで聖子さんに似た人の目撃情報があった。
山を降った街の中心地に住んでいるとはいえ遅い時間に、ましてや何もない山間で見かけるなんて不自然だ」
梅乃の亡霊は、そう簡単には消えないということか。
「せ、聖子さんは今何処に…?」
「さあね。遠からず見つかるでしょう。教団ももうガタガタだ。彼女もちゃんと償って、いつか元の暮らしに戻れるといいけど」
踏鳴神社の長い階段を降り終えたところで一息着く。
気の遠くなるような時間をここで過ごしたような、そんな錯覚に陥った。
暑さは和らいではいるものの額に汗が浮いた。
夕日は殆ど沈みかけ、赤く燃えるように桐谷の視界を刺激していた。
相変わらず森は風に吹かれ、ざあざあと騒めき、音を立てている。
桐谷は、ふと階段の上を、鳥居を見上げた。
そこに──。
小野が立っていた。
鳥居の脇、生い茂る木々の隙間に。
あの時、街の交差点で見た姿のまま。
こちらを見ているのか。
ああ──小野は今どんな想いなのだろう。
私は、小野の望みを叶えられたのだろうか。
この結末が正解であったのか。
その顔は。
怒っているのか──悲しんでいるのか。
分からない。
ぼんやりと、ただこちらを見ている。
「桐谷さん、行きますよ」
虎元の声がした。
視線を外し虎元を見る。
「ああ、すみません」
再び鳥居に視線を向けるが、そこにはただ木の葉が風に揺れるのみだった。
ひんやりした風が通り抜ける。
鳥達が一斉に飛び立った。
ああ、夏が終わるのだな──
そう思いながら帰路についた。
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