秋山聖子の話 その1

 この日、虎元はとある地方の駅前の喫茶店で人を待っていた。


 桐谷から北白槍団地での話を聞いた虎元は、何か手がかりになるものがないかと方々聞いて回っていたところ、ある情報を得たのだった。


 約束の時間を少し過ぎた頃の事だった。


「あ、どうも田邉です。連絡せずに遅れてすみません。ちょっとパートが長引いちゃって」

 忙しなく中年の女性が駆け寄ってきた。


 五十を過ぎたあたりだろうか、飾り気のない服装に疲れの目立つ顔をしていた。


 「あ、どうも、田邉さんですね。改めまして、泉名探偵事務所で助手をしております虎元です。お忙しいところ御足労頂いて申し訳ありません」

 向かいの席に座るよう促しつつ、注文を勧めた。


 「とんでもないですよ。こちらこそ、わざわざ東京から来ていただけるなんて。私もこっちでの暮らしが長いものですから、そんな都会の人と会う事なんて少なくって」


 「そうですか、改めてなのですが、秋山さんの話を伺わせて頂きたくて」


 「ああ、聖子ちゃんの事ですよね、そうでしたね、はい。聖子とは小学校から一緒でしたよ。虎元さんもご存知でしょうけど、彼女、いろいろ大変でしたからねぇ」


 注文したアイスコーヒーが運ばれてきた。


 「ええ、事件の事はお聞きしています。残念な事件でした。まずは聖子さんの過去のお話を伺いたく、その、聖子さんの子供の頃どのようなお子さんだったのでしょう」


 「うーんそうですね、まあ大人しい子でしたよ。暗いって言ったらアレですけど、よく一人でいました。友達なんて私含めても数人ぐらいだったんじゃないですかね?


 聖子はね、家のことで苦労していて。父親が酒に酔うと暴力振るうような人だったのよ。それで結構手を挙げられてたのね。顔にアザ作って学校に来たことだってありましたよ。


 父親が父親なら母親もなんですけど、水商売をやってたんじゃないかしら、いつも派手な格好していて…夜遅くまで働いていて家に帰ってこない。寂しかったと思うわ。


 そんなだから家では父親と二人っきり。逃げ場が無かったでしょうし。あんまり暴力が酷いときなんてうちに逃げ込んで来たこともあったわよ」


 田邉の声に力がこもる。


 「壮絶な過去ですね…そんな幼少期を過ごしていたとは…その、群馬県の団地に引っ越した先でも聖子さんのお話を聞かせてもらったのですが、そんなことは誰も」


 「そうねぇ、隠していたんじゃないかしら。あんまり自分からは言いたくない過去ですものね。

 それで、中学を卒業してすぐね。逃げるように家を出ていったのよ。と言ってもお金もないからね、この近くの安っぽいアパートに住んでたわ」


 「そうだったんですね……」


 虎元は田邉の言葉を聞きながら、メモ帳に手早くペンを走らせた。秋山聖子の幼少期がどれほど過酷だったか、その断片が次第に繋がりを見せてくる。


 田邉は少し息をつき、アイスコーヒーに手を伸ばして続けた。


 「それでね、聖子ちゃん、家を出てからしばらくして……あれは確か二年ぐらい経った頃だったかしら、突然お父さんとお母さんが亡くなったのよ。家が火事になってね」


 虎元はその言葉にピクリと反応した。

 「火事、ですか?」


 「ええ……それもね、なんだか不自然な感じだったのよ。火元はキッチンだったって聞いたけど、どうも放火の疑いもあるって噂になっててね。でも結局、原因ははっきりしなかったの」


 「不自然な状況……具体的にはどのようなことが?」


 虎元は慎重に聞き返した。

 田邉は眉を寄せて考えるように少し間を置いてから、ぽつりと語り始める。


 「家が火事になった時、近所の人が言うには……妙な話だけど、火事の前の晩に誰かが家の周りをうろついてたって。


 それに、火事が起きた時も、お父さんとお母さん、逃げられる状況だったはずなのに、どうしてか家の中で見つかったって聞いたわ」


 「それは…まさか何者かに?」

 虎元は口ごもる。


 「ええ、そう思った人もいたみたい。でもね、結局警察は事故として処理したのよ。タバコの火の不始末が原因で火を出したんじゃないかって。それで終わり」


 虎元は深く息をつき、さらに問いを進めた。

 「その時、聖子さんはどこにいたんでしょう?」


 「さぁねぇ……家を出て行った後、私もたまに連絡を取る程度だったから。ただ、火事の後に家の近くで見かけた人がいるって噂があってね」

 田邉は少し声を低くした。


 「あの頃、聖子ちゃんは仕事も住む場所も安定してなかったらしいわ。火事の話を聞きつけて、戻ってきたのかもしれないけど。誰も真相を知らないの」

 

 虎元はしばらく考え込むように黙り込んだ。秋山聖子が逃げるように家を出た理由、それでも戻る必要があったとしたら──それは何かしらの未練なのか、それとも別の事情があったのか。


 考えたくはなかったが、嫌でも一つの可能性が頭に浮かぶ。


 しかし、今はその話を聞きに来たのではない。その後の秋山聖子を知りたいのだ。


 「なるほど、ありがとうございます。それでその後、聖子さんは結婚されたんですね」


 「そうですね。火事があってから一年ぐらいしてからかしら、アルバイト先で会った人でしたね。心機一転、遠くに引っ越して、一からやり直すことにしたみたいです。


 まあ、周りからも変な目でも見られてたからね、遠くに行きたかったんでしょう。その先のことは虎元さんもご存知の通りかと」

 

 「そうですか…それで群馬県の北白槍団地に住み始めたのですね。それからはもうこちらには?」


 「ええ。もうここには何十年も戻って来てなかったんです。だから、聡君の事件の事もニュースでしか知らなくって」


 「なるほど…聡君の事件は結構報道なんかでもされていましたからね…。それで、こちらに戻られたというのは、本当なのでしょうか」

 

 「ええ。少し前かしら。本当に偶然ですけど、再会したんです」

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