ある山の麓の神事 その2

 まだ大正から昭和に移り変わった頃だった。


 元々このあたり一帯は湿地帯で、農業に適していたこともあり豊穣を祈るための稲荷信仰が盛んであったという。といっても全国何処にでもあるようなものでこれと言った特徴も無かったらしい。


 その頃には既に島田神社と呼ばれるお社が立っていた。しかし、元が小さな村であるから、全国に数多ある村社のうちの一つに過ぎなかったという。


 当時神社を管理する人間はいたが、便宜上の名義人、という程度であった。当然、満足に管理も行き届かずに、次第に社は朽ちていった。

 

 その頃、土着信仰のあったこの地域にある宗教者がやってきたという。男は柴田藤吉と名乗った。


 ちょうど世間では新興宗教と言われる新しい宗派が雨後の筍の如く出始めた頃だった。


 柴田は熱心に布教に励んだ。救いを求める者、赦しをこう者、悩む者、様々な人の悩みに耳を傾け、熱心に自身の信仰の素晴らしさを説いてまわった。しかし、それでもこの地に新しい信仰が定着する気配はなかった。


 結果、信者の数は一向に増えず、宗教者には徒労感と無力感だけが残った。


 やはり、古くからある地元に根ざした土着信仰はそう簡単に変えられるものではなかったのだ。


 男は絶望した。


 一人では何も変えられない。

 自分の信じている神はこんなにも素晴らしいのに。誰にも理解してもらえない苦悩が男を包み込んだ。


 もはやこの地で信仰を広げるには、自分の力だけでは難しいだろう、そう思ったのだ。


 そこで柴田は一計を案じた。

 やり方を変えたのだ。


 柴田は島田神社の管理をさせてほしいと願い出たのだ。もちろん、それなりの支度金を持参して。


 もとの所有者からしたら願ったり叶ったりだった。手ばかりかかって金にもならない土地を売ってくれ、というのだ。


 まだ国民全体が貧しい時代だった。お社の所有者は喜んで島田神社を明け渡した。


 もちろん、祀られている神を丁寧に扱うこと、柴田の信仰を持ち込まないことを条件に。


 しかしそれはお互いにとって建前に過ぎなかった。所有者からしたら一刻も早く手放したかっただけなのだ。


 こうして柴田は難なく社を手に入れることが出来た。


 それからというもの、柴田は方々からどうにか資金を工面し、社を手直し、拡張を行い、少しずつ立派な神社に変えて行ったのだ。


 そして同時に、神社の境内に摂末社を据えた。

 本殿のすぐ隣に設置したその社では、踏鳴大神という神を祀っていた。


 誰にも気づかれないようにひっそりと。


 これこそが柴田の長年の大願である信仰を広めるべく第一歩なのであった。神社が立派になるにつれて、神社を訪れる人も増えていった。


 同時に自身の用意した教義を大幅に見直し、繰り返し、神社を訪れる人々に説いて回った。


 教義の再構築にあたり、人々の生活を教義の中心に据えた。


 ──修行者、つまり信徒は大地の恵みを大切にする。生活の全てが祈りに通じている。その一点に絞った。


 何も用意は要らない。信じ、祈るだけである。


 そう説いた。


 誰にも知られていない新興宗教を受け入れてもらうのだ。誰もが参加できるものでなければならないと考えた。


 つまり、柴田は、信仰のためのハードルを大幅に下げたのだ。


 そのような戦略が身を結び、僅かながらも信徒は増えていった。


 それに従い、徐々に寄付も集まるようになった。


 寄付にあたっては、自らが地元の有力者に頭を下げることも珍しくなかった。いや、ほとんどがそうした努力で寄付を募ったといってもいい。


 こうした努力の結果、神社は地元では大きな社として人気を博すようになっていった。

 それから数十年後、老朽化した社の立て直しを行った。


 そこで柴田は、やっと、踏鳴大神と稲荷神を並べて祀るに至ったのだった。


 そして、同時に踏鳴神社、と名前を変えた。


 もっとも、その頃はふんめいさん、と愛称で呼ばれることも多かったのだが。これこそが男の願いだった。踏鳴大神の名を少しでも広める、その願いが叶いつつあった。


 しかし、やっとの思いで理想を叶えた男は、既に老いていた。


 苦労し、時間をかけて作り上げた神社を眺めながら、多くはないがこの地を訪れてくれる信者と共に晩年を過ごした。


 そして、それから十年程でその生涯を終えたのだった。


 柴田が亡くなった後、それまで住み込みで働いていた池田という女性が信仰を引き継いだ。


 この女性がやり手だった。


 地元の祭を拡大したり、踏鳴義祭をより特徴あるものにリブランディングして、一気に認知を獲得していったのだった。


 そして、他では見られない儀式はおんばいさんと呼ばれるようになったのだ。

 

***


 「と言うのがこの神社の大まかな成り立ちじゃな」


 「へえー、苦労したんですねえ。新興宗教の立ち上げなんて、並大抵のことじゃないでしょうけど、それにしてもその柴田という男、凄い執念ですね」


 「ああ、そうだね。だからこそこの地の人々に受け入れられたんだろうな。まあ、みんなここには好意的だと思うよ。今はな、代も変わっちまってちょっと距離を感じることもあるけどなぁ。別に嫌な気はせんしな」


 「貴重なお話ありがとうございます」

 「ああ、こんなおいぼれだがな、知ってることならいくらでも教えてあげるよ」

 杉本は老人に礼をいい、境内を散策して回った。


 神社の周りには立派な石垣が並んでいる。


 その中央に長い石段が積まれている。


 登っていくと、砂利の敷かれた参道と、手入れの行き届いた庭が見えてきた。


 朝日が眩しかった。杉の木の隙間から光の筋が差し込んでいる。綺麗な光景だった。


 視線の奥に神社の社殿が見えてきた。

 その手前が広くなっている。


 櫓が組まれていた。

 既に何人かが忙しなく走っている。


 祭りの準備をしているのだろう。

 右手の道をまっすぐ行くと、藁でかたどられた小さな小屋が見えた。


 ああ──あれがおんばいさんか。


 神社の関係者だろうか、二人が付近に立っている。

 

 ここまで見たところで一度出直すことにした。

 祭りは午後から夕方にかけて。


 それまでこの付近の他の寺跡を見に行こうと思った。

 

ある山の麓の神事 後編(執筆中)に続く


 *****

 

 以上が小野の残した未公開の投稿である。


 前後編に分ける予定だったのだろうか、本作の話の続きは未だ見つかっていない。


 引き続き本投稿について調査を継続し、発見され次第公開を行う。

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