ある山の麓の神事 その4

 午後三時。再び神社に足を踏み入れた杉本は、境内の喧騒が少しずつ静まり、空気が張り詰めていくのを肌で感じた。いよいよ、おんばいさんの儀式が始まるのだろう。

 

 茅葺きの小屋の周囲に集まった神職たちは白い装束に身を包み、その後ろには作務衣を着た信者たちが控える。彼らは皆、儀式の中心である小屋をぐるりと囲むように整然と並んでいる。

 

 そのさらに外側には、杉本を含む一般参拝客たちの見学スペースが広がっていた。人々は肩を寄せ合い、固唾を飲んでその瞬間を待っている。


 杉本は幸運にも小屋の正面、神主らしき男性のすぐ後ろに陣取ることができた。視線を小屋に向けると、開け放たれた入り口の奥に横たわる木製の人形が目に入った。

 

 その周囲には、古びたお札や破魔矢、お守りなど、参拝客が持ち込んだと思われる縁起物が雑然と置かれている。儀式の神聖さと、その周囲に漂う少し混沌とした雰囲気が見事に調和していた。


 神主が高らかに祝詞を唱え始めた。

 

 ──清め給え、護り給え、踏鳴の大神よ。

 

 その声は鋭く、堂々としていて、辺りのざわめきを一瞬でかき消した。

 

 同時に、周囲の神職や信者たちは一斉にこうべを垂れ、両手を背中で組む。杉本の周囲も自然と静まり返り、全員が息を潜める。いよいよ、儀式が始まるのだ。


 やがて、豪華な衣装に着飾った年配の男が松明を手にゆっくりと現れた。その後ろには鈴を鳴らす若い神職が二人従い、儀式の重々しさをさらに引き立てている。

 

 松明を持つ男が小屋の前に立ち、力強く祝詞を唱え始めた。彼の口上はゆっくりと、重く、威厳があり、杉本はその声に圧倒されるような感覚を覚えた。

 

 ──古(いにしえ)の昔より、我らの祖霊(それい)を見守り給いしおんばいの大神よ


 ──ここに祓いの炎を立て、あらゆる穢れを焼き清めん。


──人々の罪咎(つみとが)、日々の苦しみ、災厄の影をここに捧げ


──浄火(じょうか)と共に空高く送り給え。


 そしてついに、男が松明を振りかざして茅葺きの小屋に火を放った。乾いた茅葺き屋根は瞬く間に炎を上げ、その火勢は見る見るうちに小屋全体に広がった。


 轟々と燃え上がる炎の音が耳を突き、熱気が見学スペースにまで届く。

 

 周囲を取り囲む神職や信者たちは、祝詞を唱えながら手を合わせ、祈りを捧げている。その光景には一種の荘厳さがあり、一般参拝客たちも自然と手を合わせて祝詞のリズムに身を委ねていた。


 炎の勢いが増し、それに呼応するように祝詞を唱える声がいっそうの熱を帯びていく。


 その時。


 ガアアアアァァァ!


 杉本はふと奇妙な音を聞いた。それは叫び声のような、不気味な響きで、一瞬獣の咆哮のようにも感じられた。

 

 しかし、儀式の熱気と周囲の熱狂に押されて、その音に気づいた者は誰もいなかった。気のせいだろうか。杉本自身もその声が何であったのかを確かめる余裕はなく、再び目の前の炎に意識を戻した。


 炎はやがて茅葺き小屋を完全に包み込み、その構造を次第に崩していった。炎が続く間、神職や信者たちは祝詞を途切れさせることなく唱え続けた。

 

 その光景は、どこか現実離れした非日常的な雰囲気を醸し出していた。一般参拝客たちもその荘厳さに息を飲み、誰一人として声を発する者はいない。


 炎が沈静化し、小屋が完全に燃え尽きた頃、ようやく祝詞の声が静まり、辺りに静寂が訪れた。杉本は、しばらくの間、燃え残りから漂う煙が空高く昇っていくのを見つめていた。


 儀式が終わった後、人々の間には次第に喧騒が戻っていった。凄かった、とか、また見たいね、などと口々にしていた。

 

 このおんばいさんという儀式が広く人々に浸透していることを、その文化の重みを、杉本は強く胸に刻むこととなった。


 儀式が終わり、人々がそれぞれの余韻を胸に神社の境内を離れていく中、杉本は茅葺き小屋が燃え尽きた跡へと足を向けた。

 

 一般の参拝客の多くはもう帰路につき、周囲にはわずかに神職や関係者らしき人々が残っているだけだった。儀式の熱気は徐々に冷めつつあったが、杉本の中にはまだ得体の知れない興奮と好奇心が渦巻いていた。


 燃え尽きた小屋の跡には、灰になった藁や木の屑が積もり、そこからは未だに白い煙がゆらゆらと立ち上っていた。杉本は跡地に近づき、足元に注意しながら慎重に覗き込んだ。すると、灰の隙間から、燃えた小屋の下に僅かに暗い空間が見えた。


「これは……?」


 杉本は思わず声を漏らした。その空間は意図的に作られたもののようにも見えたが、詳細はわからない。祭りの準備の一環として設けられたものなのか、それともこの場所に元から存在していたのか――その判断はつかなかった。

 

 煙の立ち上る熱気に包まれながら、杉本はしばしその暗い穴に視線を落とした。

 

 杉本はさらに身を乗り出して覗き込んだが、その時、不意に背後から声をかけられた。


「危ないですよ。あまり近づかない方がいい。」


振り向くと、神職の一人がこちらを見つめていた。儀式の後片付けを任されたのであろう、白い装束の裾をたくし上げている。


 「これは……この下には何かあるのですか?」


 杉本が指さしながら尋ねると、神職の男は一瞬だけ冷たい表情を見せた後、こう答えた。


 「小屋の下には、穢れを集めるための空間があるのです。ここに集まったものは全て浄化され、神様にお返しするための大切な場なのです」


 男はキッパリと言った。儀式は終わったとはいえ、ここは神聖な場所、一般の人の立ち入りは許可されていないから、とそれ以上の質問は許されなかった。


 *****


 以上が、杉本によるおんばいさんの儀式の体験記である。小野が何の目的でこの儀式についての情報を収集し、書き留めていたのか、引き続き調査を行う事とする。

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