羊たちの庭
羊たちの庭 その1
平日の朝七時のことだった。
桐谷は東京駅にいた。
改札付近は会社へ向かう人でごった返している。
怪談師などと言う、いつ仕事がなくなるとも限らない如何わしい商売をしている桐谷にとっては、規則正しく出勤していく人々を見ると複雑な気持ちになるのであった。
憧れて入った怪談師という世界であったが、それは、自分には規則正しい生活であるとか、出世争いだとか、そんなことを真っ当に取り組める能力はなく、ただなんとなく好きなことの延長で日々糊口を凌げる、そんな程度の理由が根底にはあったのだ。
結局のところ。
怪談師を選んだのは、自分のどうしようもない欠点を知ってしまっていたためであり、消去法的に残された選択肢の中から選び取った最適解に過ぎなかったのだ。
所謂、自分は世間一般のレールから外れてしまった人間であり、また、レールに乗ることすら出来なかった人間だった。
だからこそ、桐谷は今、目の前を行き交う人々に純粋な羨望と、尊敬を感じるのである。
そんな桐谷が、なぜこんな時間にここにいるのかと言えば──
昨日の夜、突然虎元から電話がかかってきたのだ。
明日、あるところに行くからついて来てほしい、それだけだった。
どうせ予定などあってもなくても変わらないようなものしかないのだから、断る理由はなかった。
自身が依頼した調査は着実に進展していたように見えた。
ただ、肝心なところが何も分からず、視点を変えれば膠着状態とも見てとれる、そんな状況だった。
暫く指定された場所にいると、虎元が来た。
後ろに陰険そうな男が控えている。
泉名だった。泉名探偵事務所の所長、虎元の上司にあたる男だ。
「ああ、桐谷さん、お待たせしました」
虎元が調子よく話しかける。
待ち合わせの時間に遅刻してはいるのだが、特に悪びれる様子もない。
「ご無沙汰しております。いろいろ立て込んでおりまして、ご挨拶が遅くなり申し訳ありません」
泉名が口を開いた。
久しぶりに聞く声だった。
「ああ、泉名さん、お久しぶりです。てっきり今回の調査は虎元さんだけなのかと思いましたよ」
「ええ。お話はトラ君から聞いていたのですが。中々お会いするタイミングがなく、失礼しました」
「あ、と言っても、泉名さん、ずっとこの件の調査でアドバイスはしてくれてました。
小野さんの怪談を集めてみろ、とか、ほら、例の『サトシ君』の話から北白槍団地を探し当てたりだとか、色々役には立ってくれてました」
「よく言うよトラ君、今までの調査は殆ど僕の指示じゃないか。君は足としての役割もまともに果たしていないんだ。桐谷さんにも北白槍団地まで足を運ばせて。依頼人に調査させるなんて探偵失格だよ」
虎元はフォローしたつもりだろうが、泉名は意に返さない。それどころかしっかりとお灸を据えようとしている。
しかし、泉名は最初から調査の陣頭指揮を取っていたのだろう。薄々は感じていたのだが。
「まあまあ。どちらにしてもこんな訳のわからない依頼を受けてくれるところなんてありませんから。感謝してますよ」
それは本心だった。小野の霊を見た、とか、死人から電話がかかってきた、とか、そんな信じられない理由で調査を受けてくれるところなんてそう無いだろう。
「ところで、今日はどこへ?」
「ええ、おんばいさんの本拠地へ」
それだけ言うと、移動の時間が迫っているから、と急かされるように歩きはじめた。
おんばいさんの本拠地か…。そこに何があると言うのだろう。泉名は殆ど現地での捜査は行わない。虎元が中心になるのだ。この男が出てくるということは何か大きく事態が動くということなのだろう。
そこから新幹線で小一時間ほど移動しただろうか。
移動中は泉名は黙り続けていた。何か調べ物をしているようだった。
虎元は昼は何を食べようか、どうせなら土地のものがいいな、とか、夜はどうしようか、そんなことばかり話していた。
新幹線を降りてから、結局、時間がなくコンビニで昼食を買い、レンタカーを借りてすぐに神社へ向かった。
虎元は駄々を捏ねていたが泉名に却下されてブツブツ恨み言を言っている。拗ねているようだ。
目的地である踏鳴神社は赤城山の麓に位置していた。
変わった風習や大々的な祭りが行われていることで、最近、観光目的として県内外からも注目されているそうだ。
「あの、踏鳴神社ってあの、小野さんが亡くなる直前に書いた話のところですよね」
「ええ。おんばいさんという風習がある。前回は四ヶ月程前にありました。というか、杉本さんの話、前回の春のおんばいさんを見に行った時のレポートですよ」
ああ──そうなのか。杉本という人物から話を聞き、投稿を書き終えてすぐに小野は亡くなったのだ。
「今行って何かわかるんですかね。祭りの時期じゃないし、誰もいないんじゃないかと。
おんばいさんの風習がこの一連の事件に関係している、それはそうだとは思うのですが」
「ええ。ただ神主や神職の方はいるでしょう。話は聞けるはずですよ。
小野さんは青い服の男達や大柄の男、おんばいさんの話を調べていたことで嫌がらせを受けていたのでしょう」
「ああ、あの『DM』の話ですね。やはりそうですか…小野さんの行動が都合の悪い連中がいたのですね」
「おそらく、踏鳴神社の関係者でしょう」
「え…それじゃあ小野さんは──」
「そう、かなり答えに近づいていた。だから口封じをされたのでしょう」
「せ、泉名さんは、小野さんは自殺ではなかったと」
「ええ。ひとりで廃墟を訪れてそこに住む亡霊によって呪われた、そんなことありえません。そして、事件を調べるうちに虎の尾を踏んでしまった、そう考えるのが自然です」
「そ、それでは…今から行く場所は…」
「多少危険が伴うかもしれません。向こうはこちらの動きに気づいているでしょうし」
「ああ、やっぱりそうですか。桐谷さんにも届いたDMってやっぱり…」
虎元が聞いた。
「間違いないだろうね。ほら、北白槍団地ね、あそこは未だに信者の人がいるだろうし。大きな団地と言ってもよそ者はすぐに分かる。とくに桐谷さん目立つし」
ああ、そうかもしれない。
自分の容姿はこう言う時は不便なのだ。
現地での書き込みはあの一日だけだ。それだけでこの様なのである。
「大体、桐谷さんはその青服の男を鬼の形相で追いかけまわしたんでしょ。どう考えても危険人物だ。トラ君も結構聞き込みに行ってるじゃないか。永野さんのご自宅にも行ったでしょ。
向こうは小野さんのこともあって警戒してるだろうから、まあ何かしら怪しまれてる前提で行動したほうがいいでしょう」
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