小木津総合病院の話 その2
それからすぐ後のことだった。
院長の代わりとして妻の小木津嘉代子が代表として就任することとなった。
同時に病院の雰囲気はガラリと変わってしまった。
スタッフの間にどんよりとした雰囲気が漂っていた。
それは、院長の死という暗い出来事も影響をしていたが、何よりもこの病院に来るようになった妙な集団が大きく影響していたと思う。
青い服を着た集団が頻繁に出入りするようになったのだ。
事務室ですれ違ったあの男──その仲間だということはすぐにわかった。
土地の権利が例の男に移ってしまったことが大きく関係しているのだろうが、同じような格好をした人間が出入りするようになるとはまさか思わなかっただろう。
代表に就任した院長の妻、小木津嘉代子は、その集団には好意的であったようだ。むしろ積極的に融和していくような考えだったようだ。
馬場が病院を訪れるたび、嘉代子は青い服を着た数人を伴って歩いている姿を見かけた。病院のスタッフとはいっさい行動を共にしないのに、である。
それどころか、まともにスタッフと会話しているところを見たことがなかった。
こういった行動が、よりスタッフの間に不信感を与え、全体的に暗い雰囲気をもたらしていたのだろう。
院内に蔓延した不信感というものは人の行動を変えていった。以前まで仲の良かった看護婦はどこかよそよそしくなり、若手のスタッフは必要以上のことをしようとしなくなる。
院内は荒れていき、掃除も満足に行き届かなくなった。患者にもそれは伝わるだろう。
自然と患者達は離れていった。
経営は更に苦しくなっただろう。
古くから働いていたスタッフも去っていった。
嘉代子はそんなことはお構いなしに青い集団と派手に行動しているようだった。
馬場はと言うと、そんな病院の変わりようを目の当たりにして、複雑な気持ちを抱いていた。
とは言っても、単なる納品業者にすぎないため、発注があれば届けに行くというだけなのだが。
しかし、若い馬場にとって、この病院に対して情や愛着というものを感じていたのは確かだった。
あの熱い男の持つ熱量、看護婦達の熱気、そう言ったものが好きだったのだ。
それから暫くして、嘉代子が全く病院に姿を見せなくなった。
スタッフ達は特に気にも留めなかったようだ。
仲のいい看護婦はどうせ居ても何もしないのだから、とそっけない態度であった。
その話を聞いた翌週のこと。
馬場は早朝、営業前の時間にいつものように納品に訪れた。
そうすると、すぐに異変に気づいた。
病院には明らかにいつもと違う雰囲気が漂っていたのだった。
青い服を着た集団が、病院を、建物の周りを囲んでいた。
二、三十人は居ただろうか。
それぞれが一定の間隔をあけ並んでいる。
皆無言で院内の方向を向いている。
但し、見ているだけで近寄ろうとはしないのである。
何かがあったのだ。
嫌な予感がする。
その集団の隙間を縫って院内に入る。
そこには、数名の看護婦達が困惑した様子で外を眺めていた。
「あ、馬場さん、いいところにきたわ。何が起きてるのかしら…」
「あの外の人たち、何してるのよ」
「ああ、普通じゃないですよね。け…警察呼びましょうか」
「で、でも代表のこともあるし…大ごとにするのはちょっと…」
そう言っているうちに院内の看護婦達が皆集まってきた。
しかし、彼らの目的がわからない以上、集まったところで何をすることもできなかった。
馬場と看護婦達は、どうする事も出来ずただ狼狽えていた。
そうして暫く経った頃。
「じゃ、じゃあ僕が話してきます」
「だ、大丈夫かしら、馬場さん、危ないんじゃない?」
「いえ、僕は病院のスタッフじゃないですし、一番関係性は薄い。僕が尋ねにいくのが一番角が立たないんじゃないかと」
とはいえ得体の知れない集団を相手にするのは正直怖かった。しかし、何もしない訳にもいかない。
意を決して玄関を出て、青い服の集団の元へ歩いていった。
真ん中にあの男がいた。
事務所の前でよく見かけた、そして院長夫人と行動を共にしていた男だ。
男は、無表情だった。
最初に見かけたときの人の良さそうな面影は全くなかった。
「あ、あの、どういったご用件でしょうか。か、看護婦さん達が怖がってます」
絞り出すようにそう声をかけると、真ん中の男を除いた全員が、一斉に腰を曲げ、前屈みの姿勢になった。
両手は後ろに回し、独特のポーズをとっている。
「あ、あの、聞いてるんですか!?なんなんですか、あなた達!」
恐怖に支配されそうな中、声を張り上げる。
すると、真ん中の男がゆっくりと片手を前に上げた。どこかを指さしている。
どうやらそれは病院のほうを指してるようだった。
その男の指す方向に視線を向ける。
そこは、普段看護婦達が待機している、二階のナースステーションのある方角だった。
「あ、あそこがなんなんですか!」
男は黙っている。
「な、何があるんですか!?」
一向に答える素振りはない。
あそこに行け、ということか──
馬場はそう理解した。
院内に戻ると、心配そうに外の様子を伺っていた看護婦達が駆け寄ってきた。
「馬場さん、あの人たちなんて…?」
「そ、それが」
とにかく訳が分からなかったが、事情を説明し数名の看護婦を伴ってナースステーションに向かうことになった。
暗い階段を上がり、二階が見えてくる。
階段を上がりきったそのすぐ向かいがナースステーションとなっていた。
来てみたはいいものの、いつも通りであり、何も変わった様子はない。
「べ、別に何もないですよね…」
近くの窓から外を覗く。
あの男達がさっきと同じ姿勢のままでいる。
真ん中の男はこちらを指さしたまま視線を向けている。
男と目が合った。
その瞬間。
パキンッ!
ドン!
突然大きな音がナースステーションに響いた。
何かの金属音とほぼ同時にものが落ちる音が聞こえたのだ。
「キャッ…」
看護婦達は小さく飛び上がった。
馬場は男から視線を外し、後ろを振り返った。
何も落ちるようなものは無かった。
いや、正確には…音はここで鳴ったものではないと、そう思った。
ナースステーションの後方にはドアがあり、そこから聞こえたような気がするのだ。
「い、今の音、こ、こっちの部屋からですよね…」
「え、ええ…多分そうよね」
そこには、看護婦達が休憩用や倉庫として使っていた部屋があった。
薄いベニヤで作られたドアの前で、ドアノブに手をかけた。
恐る恐るドアを開ける。
その部屋の真ん中には、黒い大きな塊が落ちていた。
否、よく見るとそれは人の形をしている。
「キャーーーー!!!」
看護婦達が悲鳴を上げた。
そこには、小木津院長の妻、嘉代子の変わり果てた姿があったのだった。
馬場は放心状態のまま。嘉代子だったものをぼうっと見ていた。
ナース達はすぐに警察に通報したようだった。警察が到着すると、速やかに現場検証が行われた。
病院を囲んでいた男達は馬場が嘉代子の遺体を発見してすぐ、その場から姿を消してしまったようだ。
警察が調べた結果、事件性はなく自殺として判断して間違いないだろう、ということだった。
その部屋は、倉庫として使っていたこともあり、部屋の天井は空調用のパイプが剥き出しになっていた。そこに紐をかけて首を吊ったのだろう、ということだった。
あの音は、嘉代子の重さに耐えきれず、パイプが割れる音と、その際に遺体が落下したことによるものだった。
それからはその病院は、ただ存在している。それだけだった。
看護婦は辞め、患者の受け入れもできなくなっていた。必然的に馬場が納品に来ることも減っていた。
そして数ヶ月が経った頃、病院は閉鎖されることになった。
結局、あの男達が何者だったのか、
嘉代子がなぜ自殺したのか、
全ては分からないままであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます