小木津総合病院の話 その1

 馬場秀明の話はこうだった。

 

 昭和六十年頃のこと、馬場は就職してすぐ先輩に案内され、小木津総合病院を訪れた。


 医療機器の販売や卸を行う会社だったため、得意先である病院に挨拶回りをしていた時のことだった。


 小木津総合病院は活気に溢れていた。


 病院に活気がある、と言うのも変な話だが、そこで働いてる人々は皆、患者を広く受け入れ、献身的に介護し、医師達は診療に手術にと目まぐるしい働きをしていたと思う。


 そういった努力からか地元からの評判は高かった。


 院長の小木津信二は熱意のある男だった。


 苦しんでいる人を救うために日夜問わず働き、その熱意が従業員達にも伝わっていたのだろう。


 医療機器卸の担当として挨拶をした際も、熱のこもった口調で言葉を交わしてくれた。当時、就職したての若造だったにも関わらず、である。


 ──君達のお陰で私たちは患者を見ることが出来るんだ。


 ──是非よろしく頼むよ。一緒に頑張って行こう。


 それ以来、馬場は小木津総合病院に商品を届けることが使命と感じるようになっていた。どこか小木津という男の熱意に惹かれたのだろう。

 

 それから半年ほど経ったある日、病院で変わった人を見かけた。


 その日はいつものように事務室に商品を届けた後、看護婦と軽く談笑をしていたところに。


 全身が青い服に身を包んだ男がやってきたのだった。青い服と言っても手術着のようなものではなく、お寺の坊さんが着ているような作務衣に似たような服だった。


 看護婦は慣れたように言葉を交わした。

 「あら、いらっしゃい。院長なら今会議中ですよ。あと三十分ぐらいで終わるはずだから待ってて下さいな」


 事務所に入ってくるのだから関係者なのであろうが、目立つ服装をしているので強く印象に残った。


 また、多忙である院長に会いに来れる関係性というのもどこか引っかかっていた。


 それからと言うもの、商品を届けるたびに青い服の男と事務室ですれ違うようになった。人当たりが良さそうな顔をしているのだが、底の知れない、どこか無機質な印象のある男だった。

 

 それから更に三ヶ月ほど経ったあと、久しぶりに院長とすれ違った。


 馬場はその時の驚きを今でも覚えている。


 小木津院長は別人のように窶れ、顔は倦み疲れていた。髪は白髪が目立ち、一気に老け込んだように見える。


 「ああ、馬場君、久しぶりだねえ。元気にしていたかい?」

 すれ違いざまに話しかけられた。


 院長の声は変わらず熱量を持ち力がこもっていた。多少声は掠れていたがそこには変わらぬ熱い男がいた。


 「小木津院長、ご無沙汰しています。お陰様で変わらず商品を届けさせて頂いてます」

 動揺を悟られないようにいつもと同じように答える。


 「いいねぇ。君たちのお陰でこの病院の将来は明るいよ。これからも我が病院をよろしく頼んだよ」


 力強く肩を叩き鼓舞された。

 そこにはいつもと変わらぬ院長の姿があった。

 目は真っ直ぐとこちらを見据え、熱意が籠っている。


 少し安心した。


 その後も少し会話を交わしたあと、院長は診察室に歩いて行った。


 その後、仲の良かった看護婦に院長の様子を尋ねてみた。


 「ああ、だいぶ老け込んじゃったでしょう。院長も苦労してるのよ。ほら、最近景気も良くないでしょ。経営も大変みたいよ。


 患者さんは来てくれるんだけどねぇ、無理な診察はしない方針だからね。患者さんにとってはいいんだろうけどねぇ。


 それだけじゃあやってけないって誰が言ってもね。院長も信念を曲げないのよ」


 知らなかった事実だった。


 そして、看護婦の言葉にはどこか冷笑が含まれていたような気がして妙に引っかかった。

 

 そして次に病院を訪れた時のこと。


 いつものように事務室に商品を届けに来た。配達用の車から大量の荷物を下ろし、病院の事務室へ運び込む。


 その途中で異変に気がついた。

 にわかに病院が騒がしいのだ。


 看護婦達が何やら慌ただしく部屋を出て行ったのだ。


 無意識に後を追った。


 胸騒ぎがする。


 何か良くないことが起こったのではないか。

 直感でそう思ったのだ。


 院長室は二階の一番奥にある。看護婦はそちらの方へ走っていくのだ。


 後を追って行くと院長室が見えてきた。


 院長室の前で数名の看護婦が肩を震わせ抱き合っている。


 もしかして──


 そう思って院長室を覗き込んだ。


 そこには。


 院長の変わり果てた姿があった。


 天井の梁に紐を括り付け、紐はその先で院長の首元に繋がれていた。


 全身はだらしなく弛緩し、僅かに左右に揺れている。


 足は完全に宙に浮いていた。


 そこには、馬場の好きだった、院長の持つあの独特な熱量は無かった。 


 馬場は悲鳴を上げた。


 悲しみが悲哀が絶望が──堪えきれない感情が一気に襲いかかってきた。

 

 漸く馬場は他の医師達と共に小木津院長を抱え、床に寝かせた。


 何故。こんなことになったのだ。

 激しい無力感により脱力していた。


 看護婦達はパニックになっている者、泣いている者、涙を堪えている者が入り乱れていた。


 どれぐらいそうしていただろうか。


 その後、警察が訪れ、一通りの聞き取りが行われたが、結局は事件性なしとして自殺と判断されたそうだ。


 聞くところによると、経営の状態は相当危ない状態まで追い込まれていたそうだ。


 土地を担保に金を借りていたものの、ついには返済が出来ない状態へ追い込まれてしまっていたそうだ。


 小木津総合病院へ金を融資していたのは、あの青い服の男だった。


 既に返済の見込みが立っていないこともあり、病院の土地は青い服の男に移ることになっていたそうだ。


 馬場は、残酷すぎる現実を目の前に、成すすべなく日常に戻るよりなかった。

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