桐谷圭一郎の話 その1

 桐谷圭一郎は雑居ビルの階段を登っていた。


 残暑も厳しい平日の昼下がりのことだった。雑居ビルの階段を登りながらどことなく憂鬱な気持ちでいた。冷房の効いていないビルの一角で、蒸した空気が肌にまとわりつく感覚は、より一層の不快感を強調する。


 一段階段を登るたびに足取りが重くなった。


 泉名探偵事務所──階段を登り切った先にはそう書かれた看板が無造作にぶら下がっていた。

 見るからに流行ってはいなさそうな佇まいだ──そう思った。


 入り口のドアは煤け、脇の小窓には埃がたまっている。背後の窓からは容赦なく日が差し込んでおりまた一段と蒸し暑さを感じた。


 桐谷がドアを開けると扉の向こう側に設置されているのであろうドアベルが鳴った。


 三十歳前後だろうか、スーツ姿の男がすぐに気づきこちらに向けて声をかけてきた。


 「あれ?桐谷さんじゃないですか、どうしたんですか突然」


 「あ、、どうもお久しぶりです。虎元さんお元気そうで。ちょっと相談に乗ってほしくて伺いまして。泉名さんは不在…ですよね」


 「ええ、相談ですか、怖いもの知らずの怪談師とは言え人の子、探偵に相談しないとわからないようなこともあるんですねえ」


 なんとも軽い男だと思う。

 「まあ僕だってたまには迷うことだってありますよ」


 「ええ、まじですか。そんな強面で悩まれたって困りますよお」


 確かに似合わないとも思う。昔から体が人より大きく、顔もごつごつしている。髪を短く刈っているものだからより角が強調される。

 初対面の人間には大概怖がられるのだ。


 「いやそんなことより泉名さんは」


 「あの人は今日は来ないと思いますよ。というか次いつ来るのか僕はしりませんよ」


 「相変わらずですねえ。虎元さんがいなかったらここはすぐ廃業じゃないですか」


 「そりゃ間違いないですねえ。どこで何してるんだかって感じですよ」


 泉名というのはこの探偵事務所の所長だ。


 世の不思議な事件をいくつも解決に導くことができるとその界隈では有名らしいのだ。


 ただ、本人の趣味なのか、どうもオカルトや都市伝説といった如何わしい方面の知人が多い。


 桐谷が泉名を知ったのも怪談師という職業柄、同業の知人からの紹介だった。


 「じゃあ虎元さんでいいので話聞いて下さいよ」


 「ええもちろんですよ、私は話を聞くのが仕事なんで。というか暇ですし」


 「それは…分かります」


 事務所内を見回すが明らかに相談客が来た様子はなかった。来客自体今日初めてなのだろう。


 相談客向けのソファーに案内され話をすることになった。


 「それで、ご相談とは?」

 手早くインスタントコーヒーを入れテーブルに差し出しながら虎元が尋ねた。


 「実は、先日同業の友人が亡くなったのです」


 「同業といいますと、怪談をやられている?」


 「ええ、まあ専業じゃないんですが、結構いろんなところで投稿怪談なんかの話をしていて。あまり他で聞かないような話が多くて結構人気があったんです」


 「その怪談師の方が亡くなったと」


 「ええ、怨リョウスケという名前で活躍していたのですが、ご存知ないですか?」


 「ええ、私はそっち方面は全然でして。泉名は色々詳しいんですが」


 「そうですか。その、本名が小野亮介、まあ本名を文字ったんですね。まあ、私と同業ですから、各地のイベントやらで交流もあって結構仲良くさせてもらって」


 「なるほど、その、小野さんが亡くなったときの状況というのは?」


 「ええ、先月、ある山間の廃墟で首を括っているのが見つかりまして」


 「心霊スポットですか…」


 「なんでわざわざそんなところで、ですよね。

 商売柄、情報収集のために各地の心霊スポットを訪れることは珍しくないのですが、ついに呪われてしまったかと」


 「そんな危険なところだったんですか?」


 「それが、よくわからないというのが正直なところでして。お札の家と呼ばれている古い日本家屋なんですが、


 もう数十年は放置されていて、中は相当荒れています。その部屋の壁にびっしりと──」


 「お札が貼ってある、ですか」


 「ええ。その地域では知られているのですが、全国的にはそれほど有名ではない。まあ知る人ぞ知るマイナーな心霊スポットです」


 「何か謂れとかはあるんですか」


 「それが、特にこれといった話もなくって。というよりも、お札以外は殆ど物が残っていない、その家が廃墟になる前のことを知っている人も殆どいない。だから、どんな人が住んでいたとかも全く分かっていないんです」


 「その、霊的な現象が起こるとかもなく?」


 「そうですね。怖い体験をしたとかっていう噂もなく。大量の札から連想する気味の悪さみたいなもの、それだけがあの家を心霊スポットたらしめているのです」


 「それでマイナーな心霊スポットという訳ですか。まあ、僕も呪いなんて言うものが本当にあるとは思わないですけどね。


 小野さんはなんでまたそんなところに行ったのでしょうね。怪談師ってそんなストイックな職業なんですか?」


 「いえ、そもそも怪談は噂を収集して自分なりの解釈を加え、それを伝える生業ですから。必要があれば出向きますけど全国津々浦々の心霊スポットを回るようなことはしませんよ。


 そこそこ有名な場所に行ったりすることはありますが、それでも大体は複数人で行動しますし」


 「そうですかぁ。まあ小野さんも変わった人なんですかねえ」


 「まあ怪談師なんでどこかしら変わってはいるのでしょうが。


 それで、実はその直後、気になることが起きまして」


 「気になること…ですか」


 「ええ、小野さんが亡くなられたのが先月の二十日頃でして。運良くというのも変なのですが、その三日後に廃墟に肝試しに来た若者によって発見されたのですが。


 亡くなった翌日のことです。都内で知人のイベントの手伝いをして自宅に帰る途中で小野さんを見た──気がするのです。


 駅に向かう途中、大通りの交差点で信号待ちをしていたところ、向かい側に小野さんが居たのです。ぼうっとこちらを見ている。


 私もすぐに気づきました。軽く手を振ったときに目が合った気がします。信号が変わってすぐそちらのほうへ歩いていったのですが」


 いつの間にか姿は見えなくなっていた。


 「み、見間違いではないんですか?」


 「見間違いということはないと思うのですよね…あれは、小野さんだったなと。

 それに、その日の夜。小野さんから電話がかかってきました」


 「えっ…ご本人からですか?」


 「着信画面には間違いなく小野さんの名前が出ていました。さっきすれ違っていたのでその件か、何か用でもあったのかな、と思ってすぐに電話に出たのですが。


 ザァザァと雑音が鳴っている。何か喋っているような気もするのですがよく聞き取れない。途中で苦しそうな、喉を鳴らすような声が聞こえてきまして、そのまま通話が切れてしまいました。


 数日後、小野さんが亡くなったと知って驚きました」


 「それは…にわかには信じられない話ですが。小野さんは桐谷さんに何か伝えようとしていた、ということでしょうか」


 「そんな気がするのです。私に何かをしてほしいのでは。そんな風に思います」


 「小野さんが亡くなる前、変わった様子はなかったのでしょうか」


 「ここ一年ずっと、何かを調べているようでした。投稿する怪談の本数もぐっと減っていたらしいです。


 怪談の作風も変わったという噂も聞きまして、小野さんの中で何か事情があったのだろう、今となってはそう思うのです」


 「なるほど…それでは、ご相談というのは」


 「中々はっきりと申し上げにくいのですが、小野さんが調べていたこと、それを知りたいのです。そして、それは小野さんが亡くなったことと何か関係があるのでは、それを調べて頂きたいのです。


 私は、彼が私に何をしてほしいのか、気になって仕方ありません。受けて頂けますか」


 「そうですね…お力になれるかは分かりませんが、桐谷さんの頼みでしたら断る訳にはいきませんから。ご協力させて頂きます」

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