生える顔

佐々井 サイジ

第1話

 幸奈ゆきなはインターフォンを三回押したが、室内にいるはずの浩平こうへいの足音は聞こえてこない。幸奈は苛立ちを覚え、もう一度インターフォンを押した。やがて苛立ちは萎み、代わりに言いようのない不安が襲ってきた。浩平は予定をすっぽかすタイプではない。大学時代から三年間付き合ってきて予定をキャンセルされたのは一度だけだった。それも浩平の祖父が亡くなり、葬儀に行かなくてはいけなくなったという理由だった。それ以外は連絡なしに予定が変更になったりドタキャンになったりなどは一度もない。

「浮気……」

 幸奈はぼそりとつぶやくがすぐに首を振った。浩平は人見知りが激しく女性と話すことも得意ではない。大学の読書サークルで選書のセンスが似ていたことで、幸奈が浩平にもう会プッシュし続けた挙句、一年後に自ら告白してようやく交際が始まったのだ。しかも、交際が始まってから手を繋ぐまでに三ヶ月、キスまでに一年、肉体関係を結ぶまでに二年かかっている。浩平は過剰すぎるほど人との距離が大きかった。幸奈は正直、面倒くさいと感じていたが、浮気を繰り返した元彼と一緒にいるよりももずっと安心できる存在だった。それほど女性に苦手意識を抱えている浩平が途端に浮気に走ることは考えにくい。

 幸奈は心臓に小さな痛みを伴った。一ヶ月前の浩平の言葉が耳の奥に反響した。

「最近、お腹が張るような痛みが続くんだよね」

 あのときは便秘か胃もたれか何かじゃない? と聞き流していた。ただよく考えてみると、浩平から体調が悪いと言われたことはあの時しかない。幸奈は鞄から合鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。この鍵穴も先月会ったときにやっともらったものだった。

「合鍵渡すと幸奈は優しいから、家に入ってご飯とか作ってくれるでしょ? でも幸奈だって仕事してるんだから自分のこと優先にしてほしい。だから合鍵はいらないよね」

 浩平の謎の言い分を思い出す。私は別にそこまで気が回らないし、ただ、浩平と一緒に休みの日を一緒に読書したいだけなのに。

「浩平!」

 玄関から呼びかけてみるものの返事はない。玄関にはいつも浩平が履いている黒のシューズが一足だけ置かれていた。その隣にパンプスを並べてワンルームに至る通路を歩く。

「浩平、大丈夫?」

 ワンルームに入ると左手にあるシングルベッドで浩平は安らかな顔で眠っていた。しかし、明らかな違和感があった。腹部が掛布団ごと異様に盛り上がっているのだ。

「浩平、浩平」

 肩揺するが浩平は一向に瞼を開けない。それどころか唇の色が白くなっている。鼻に手を近づける。息が当たらない。目頭に痛みが押し寄せてくる。

「嫌だよ、浩平! 起きてよ」

 布団をめくると幸奈は悲鳴を上げ、全身に悪寒が走った。浩平のスウェット服はめくれ上がり、むき出しになった腹部からはどうみても人間の頭部が生えていた。その頭部はローションでも浴びたようにぬめりけがあり、目や鼻、口が備わっている。幸奈は力が抜けた身体で何とか救急車を呼んだところで意識が白濁し、すぐに視界が暗くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生える顔 佐々井 サイジ @sasaisaiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画