第二章 山羊

 兎にも角にも、元来の責任感というか「おういいぜ、やってやんよ!」という自暴自棄的性格のおかげで、仕事とPTA役員の両立はなんとか続けることができました。

 もっとも、会社にPTA役員をやっていることは内緒で、行事や会議で会社を休む際は架空の親戚を殺す羽目になりましたが……。

 というのも、それだけ企業の中にも前時代的と言うか、子どもの教育なんて奥さんがしていればよろしい的な古い感覚が根強く残っていて「PTA活動だぁ? そんなことにうつつを抜かす奴の査定はゼロだ!」的な評価に至るのです。

 よって私は本妻を持ちながら愛人宅で二重生活を送る間男の如く、形容しがたい罪悪感を抱きながら活動しておりました。

 

 実際のところ、私以外の役員が9名。そのほとんどが主婦、もしくは自営業ということで、時間の捻出は比較的容易なんだそうです。結果として仕事場から学校まで車で一時間もかけて移動する私の苦労はあまり理解してもらえておりませんでした。


「お仕事お疲れ様です」

 そんな中に於いて、学校の先生方はフルタイムの大変さを理解してくれて、都度、労ってくれました。


 PTAはP=Parents (保護者)、T=Teacher (先生)、A=Association(組織)ということで、保護者と先生によって構成される組織を指します。

 役員になる前にはそんなことも知らず、PTAは保護者会みたいなものと考えていた私にとって、初会合の席で学校長や教頭先生、学年主任などの役職の方々が同席されていることに驚いたものです。

 やはり教師というものは別格というか、聖職というか、それでなくても子どもたちを預かって学びを与えてくれる存在として畏怖の念を抱いておりました。


 その方たちも、便宜上とはいえPTA役員に名を連ねていて、放課後の会議や休日の行事などにも積極的に参加する姿に、仕事とPTAを両立する同士としてますます畏敬の念が強くなっていったのです。


 ただ、会議でも行事でもさまざまなPTA活動の場でも、先生方はニコニコと笑っていますが決して表に出るような行動は行いません。

 最初は、保護者がPTA役員として成長するために我々の自主性を重んじているのだろうか? という彼らの教師性のようなものを勝手に考えていたのですが、時間を重ねる度にその疑念は深まります。


 結論から言うと、彼らは徹底した事なかれ主義者だったのです。

 PTA活動によって発生した問題はPTA役員が負い、もっと言ってしまえば、高尚で有益な示唆を提言してくれる人脈が豊富な一般保護者モンスターペアレントからのクレームや苦言なども全部PTAで受け止めようとしている節がありました。

 実際に学校に対する保護者クレームをPTA会議の重要問題に設定され、先生に苦情を言いに来た保護者とPTA会長である私が対峙するという謎な状況が生まれたこともありました。


 そもそも先生方は自分の職場がPTA会議や行事の場所であって移動時間はほぼゼロなことから、多かれ少なかれ自費移動してくる我々とは立場が違うんです。あ、思い出してきたら腹が立ってきた……消費したガソリン代で倉が建つほどですよ!(嘘)


 まあ最終的には彼らの苦労も分かります。

 我々は任期で逃げられますが、彼らはPTAが存在する限り何らかの形で関わり続けなければならない。この永続性というやつは結構キツイものがあります。

 余計なことに手を染めず、じっと息を潜め、繰り返しやってくる我々を生贄の山羊として見立てても仕方ないのでしょう……うん、うん。


 ……などと、なあなあで済ますつもりはないのだ。

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