第18話 蜘蛛の糸
昼食の食卓――そこには、やはりシュルツ侯爵の姿があった。
俺は疲れを感じながらシュルツ侯爵に告げる。
「おっさんさぁ……いい加減しつこいんだよ」
シュルツ侯爵はニコニコと微笑みながら、侍女が入れた紅茶を口にしていた。
「よく言われるよ。だが私は『諦める』という言葉を忘れた人間でね。
君が頷いてくれれば、私もこうして手間を取られることもないんだけど」
「うるせぇ! いい加減諦めろ! 俺は傭兵だ!」
アヤメが楽しそうに俺に告げる。
「別にいいじゃん、『傭兵が政治家をしちゃいけない』なんてルールはないんでしょ?
セイラン国の政治家だって、戦争の時は戦闘に参加するよ?」
俺は呆れながらアヤメに告げる。
「国の貴族が戦争に参加するのと、傭兵が政治参加するのじゃ大違いだろうが。
そもそも俺はこの国の人間ですらねぇんだぞ。
そんな人間が決めたことに、国民や貴族が『はいそーですか』と応じるわけがねーだろ」
シュルツ侯爵が俺に微笑みながら告げる。
「よくわかってるね。だからどうだろう、根無し草の暮らしを終わらせて、我が国に住まないか?
丁度、戦争で貴族も多数死んでいるから、君に与える領地には事欠かないんだ。
いきなり侯爵は周囲の反発も大きいし、伯爵領を受け取るというのではどうだろうか」
平民がいきなり伯爵かよ……。
俺は呆れながら侯爵に告げる。
「シュルツ侯爵、あんたそんな話が通ると本気で思ってるのか?」
「思っているよ? 陛下には既に相談済みで、とりあえず伯爵で周囲の様子を見ようって話になってね。
周囲が君を認めるようになったら、侯爵か辺境伯を与えたいとおっしゃっていたよ。
王家に年頃の女性が居れば、公爵を与えられたんだけどね」
俺は頭痛を覚えながら、額を手で押さえていた。
「……どこまで本気かわからねぇ冗談は、そろろろやめてくれねーかな」
「ハハハ! もちろん百パーセント本気だとも!」
「馬鹿かあんたは! 俺みたいな傭兵が領主になって領地経営なんぞ、できるわけねーだろうが! 常識で考えろ!」
シュルツ侯爵が楽し気に目を細めた。
「君みたいな常識外れの人間を、常識なんて物差しで測るのかい? それは筋が悪いなぁ。
規格外の人間には規格外の待遇を用意する。至極当然の話だろう?
それに君なら、領地経営くらい簡単にこなせるさ。
事務作業は、サポートする人員を手配しよう。慣れないうちはそれで回すといい」
俺は疲労感で、机の上に両肘をついて額を手の上に乗せ、うつむいていた。
アヤメの楽し気な声が聞こえる。
「中々楽しそうな話だけど、ヴァルターは私の専属護衛、セイラン国に連れていって私の臣下になってもらう人なんだよね。
勝手に私の臣下を取ろうってのは、ちょっと許せないかなぁ」
おい、いつからそんな話になったんだよ。
『セイラン国で褒美を納得するだけ与える』ってまさか、領地を与えるって話だったのか?
……こいつも何を考えてやがるんだか。
シュルツ侯爵の楽し気な声がアヤメに応じる。
「おや、お手付きだったのかい?
だけど、その程度じゃ諦められないなぁ。
――そうだ、こういうのはどうだろうか。アヤメ殿下、君もこの国に永住するといい。
ヴァルターと婚姻でもすれば、何の問題もなくなるだろう?」
俺は思わず顔を上げてシュルツ侯爵を睨み付けた。
「あんた、さすがに頭がおかしいぞ。どこの王族が傭兵に嫁ぐんだよ」
「君には爵位と領地が与えられて高位貴族になる。
侯爵なら、王族を迎えるのに格が足りないということもないよ?」
「アヤメだって、臣下にするのと夫にするのじゃ天と地の差だろうが。
頷くわけがねーだろう」
横からアヤメの楽し気な声が聞こえてくる。
『
ヴァルターの子を産むというのも一興かもしれんなぁ。
皇位継承者ならば兄様が第二位じゃ。青嵐国の心配は必要あるまい。
この国を拠点として見聞を広めるのに、領主の妻となるのは悪くない選択じゃの』
フランチェスカが慌てて声を上げる。
『
それをこのように乱暴で年を取った男に嫁ぐなど、あり得ません!』
『なに、たかが二十歳違うだけではないか。
青嵐国でも、そう珍しい婚姻話ではなかろう。
ヴァルターの子なら、優秀な子となるであろう。
実に楽しみな未来絵図じゃの』
『
……ヒートアップするフランチェスカと、楽し気なアヤメ。
このパターンって、フランチェスカが必死に止めてる時の様子だよな。
まさか――
「おい嬢ちゃん、お前まさか、シュルツ侯爵の話を本気で検討してないだろうな?」
アヤメはニコニコとした明るい笑顔で俺に応える。
「前向きに検討中、ってところだね!
ヴァルターの待遇がきちんとしてるなら、私は考えてもいいよ?」
俺は疲れ切って、脱力して机に突っ伏した。
「……頼むから、常識で考えてくれ。
九歳で三十の男と結婚する話を、検討なんてするんじゃない」
「もうすぐ十歳だってば! たった二十歳の年の差なんて、大したことないよ。
セイラン国じゃ、三十歳の年の差夫婦だっているんだし」
俺は顔を上げてアヤメに告げる。
「だから、そんな年齢で自分の将来なんて大切なものを気楽に決めるな!
お前は王族なんだろう?! きちんとした相手に嫁げ!」
アヤメはニヤニヤと俺の顔を見て応える。
「だから、きちんと相手を見て言ってるじゃない。
とっても強い剣士で、政治家の才能もあって、戦争でも頼りになる人。
これに貴族の地位が与えられて、領主になるんでしょ?
どこに不足があるって言うの?」
「血筋が足りなすぎるだろうが! 俺はただの平民だぞ?!
お前は平民の子供なんぞを産みたいと本気で思うのか?!」
アヤメはにっこりと微笑んだ。
「血筋は私の血があるから充分だよ。
セイラン国の王族の血、それでいいじゃん。
私は家柄なんてくだらないものに興味ないの。
その人の能力こそ大事だと思ってるんだよねー」
だめだこいつ、本気で検討を始めてやがる。
「おいフランチェスカ、お前、死ぬ気で止めろ。
必ず嬢ちゃんの目を覚まさせるんだ」
「それはもちろんです! ……ですが、こうなった殿下がお引きになった試しがありません。
私で説得できなければ、セイラン国の国王陛下に直接説得してもらうしかないかもしれません」
……三か月かけて知らせに行って、三か月かけて大陸に来てくれって?
王様が半年も国を空けるとか、現実的じゃねぇなぁ……できるのか?
でもフランチェスカの見立てじゃ、それしかアヤメを止める手がねぇってことか。
俺が憂鬱なため息をついていると、シュルツ侯爵がニコニコと楽し気に告げる。
「どうやら、話がまとまりそうだね。とてもめでたいことだ。
だけどそろそろ、今日の本題に入ってもいいかな?」
「……なんだよ、本題って」
「実はね? アイゼンハイン王国に対して賠償金を請求する使節を立てようと考えてるんだけど、丁度いい人材がいないんだ。
三万の軍隊を、一人残らず消してしまっただろう? 捕虜も居ないし、証人も居ない。
どうやって相手に平和条約を結ばせるか、困っているんだよ。
二年間も我が国に侵攻をかけてきたアイゼンハイン王国からは、きっちり賠償金を取らないと政策を打つ原資がない。
未だ五万の兵力を持つあの国の国王に、平和条約を飲ませる役目を、君に請け負って欲しいんだ」
俺は再び頭を抱えていた。
「……それ、飲ませるのは無理筋って言わねーか? まず相手は納得しねーだろ。
またこの国に攻め入ってくるのが濃厚だ。使節なんて送っても、首を送り返されるのが落ちだろう」
シュルツ侯爵がとてもいい笑顔で頷いた。
「そう、まず普通の役人じゃ無理な話だ。
だから誰も引き受けたがらなくてね。
収穫期まではなんとか回すけど、それ以降は国庫が空になる。
その前に賠償金をふんだくって来て欲しい。
君の剣士としての腕前、アヤメ殿下の破壊力、そしてなにより君の政治家としての手腕。
これだけあれば、アイゼンハイン王国に平和条約を飲ませ、賠償金の支払いに応じさせることが出来るはずだ。
この国のために、一肌脱いでくれないかなぁ?」
「なんで収穫期の後に国庫が空になるんだよ!」
「ツケになっていた戦費の支払いと、減税を始めるからだよ。
少し早いが、今この手を打てば確実に町に活況が戻ってくる。
年末にはまた税収が入ってくるけど、それまで我が国が身動きの取れない状態になる。
それを避けるため、早急に賠償金の一部でもぶんどって来て欲しいんだ」
今は五月末、ここからアイゼンハイン王国まで片道二週間、収穫期の八月から九月まで、のこり二か月。
その間に賠償金の一部を支払わせれば、年末までなんとか回せる計算にはなるだろう。
二年間分の戦争賠償金だからなぁ。どんだけ高額になるのやら。
だがそのためには、五万の兵力を持つ国に敗北を認めさせないといけねぇ。
……だから『アヤメの破壊力』か。もう一回ぐらい、軍隊を消し飛ばす必要があるな。
目の前でアヤメの『ツキカゲ』を見れば、否応なく応じることになるだろう。それは必須に近い。
アヤメも今以上の待遇を求めているから、国庫が空になって待遇が落ちることには納得しないだろう。率先して『自分がいく』と言い出しかねない。
アヤメの力を使うなら、俺が一緒に出ていくしかなくなる。
……他に選択肢がないのか。
俺は特大のため息をついて告げる。
「あんた、俺を罠にはめて楽しいのか?」
シュルツ侯爵がニコニコと満足気な笑みを浮かべた。
「たったこれだけの情報で罠にはまったことを理解できるなんて、やはり君は素晴らしいね!
政治家として初の仕事になる。ぜひ張り切っていって来て欲しい」
くっそ! 他に手がねぇ! 逃げ道がどこにもねぇじゃねぇか!
俺は再びデカいため息をついてから告げる。
「ただの傭兵が、そんな交渉なんてできねぇ。
つまり爵位を与えてから俺を送り出そうってことだな?」
「もちろんだとも! 伯爵位だが、すでに用意がある。
君がこの話を受けてくれるなら、すぐにでも叙爵式を行おう」
俺は逃れない蜘蛛の糸に絡まった気分で、渋々シュルツ侯爵の提案に頷いた。
――貴族とか、それこそ柄じゃねぇんだけどな?!
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