第17話 しつこい男

 フランチェスカが部屋を去っていったあと、入れ替わりに入り口に姿を見せた貴族が居た。


 その男は両手を打ち鳴らしながら、笑顔で俺の部屋に入ってくる。


「いやいや、素晴らしい。

 中々に見事な弁舌、私もつい聞き惚れてしまった。

 君はどうやら、本当に政治家の資質を持ち合わせているようだ」


 俺は眉をひそめて男に告げる。


「誰だあんたは? 政治家の資質なんぞ、俺にあるわけが無いだろう。

 俺が今、口にしていたのは戦争の本質、戦場の理屈だ。

 国を動かす人間が口にするもんとは、別もんだろうが」


 男は微笑みながらソファに腰かけると、俺ににこやかに告げる。


「私はこの国の宰相をしている、シュルツ侯爵というものだ。

 陛下から有望な部下の候補がいると聞いてね。こうして実際に見に来たんだよ。

 ――それがどうだい?! 有望どころか、なんとも稀有けうな人材だ! 素晴らしい!」


 なんだこいつ、急に興奮しだして。


「俺の何が稀有けうなのか知らんが、あんたも国王も勘違いが過ぎる。

 俺なんぞに政治家が務まるわけが無いだろう。

 国を回すのに、どれだけ考えなきゃならんと思ってるんだ」


 シュルツ侯爵がニコニコと微笑みながら足を組んだ。


「では逆に聞こうか。

 君は内政を回すのに、何が必要だと思うんだね?」


「んなもん考えるまでもねぇだろ。

 民衆の幸福、その最大化だ。

 民衆が裕福になれば、自然と国が豊かになる。

 国が豊かになれば、武力を整備する余地が生まれる。

 無い袖は振れねぇ。先立つ物がなければ、なにもできねーからな」


 シュルツ侯爵が何度も頷いていた。


「理にかなっている。それは決して間違っていない。

 だが、全ての民衆を幸福にするのは不可能だ。

 君はそれを、どう考えるね?」


「あー? そんな当たり前のことを聞いてどうするんだ?

 利害が対立するなんて、人間が生きるなら、必ず発生することだろうが。

 そこをなんとか折り合いをつけて、妥協して生きていくしかねーだろ。

 本人たちが決められないなら、第三者が割り込んででも落としどころを決めさせる。

 そうやって世の中が回るんだろーが」


 シュルツ侯爵が楽し気に目を細めた。


「そこまで理解していて、政治家がやることがわからないと、そういうつもりかね?」


「わからねーとは言わねーよ。

 考えることが多過ぎて、俺の手に余ると言ってるんだ。

 国内を回そうとしても、国内だけで利害関係者が収まるわけじゃない。

 国外の利害関係者がしゃしゃり出てきて、外交なんてめんどくせー話になってくる。

 そんな多数の人間の落としどころを探りながら調整して生きるなんぞ、俺にできるわけねーだろ?

 俺はただの傭兵、剣を振るって人を殺して金を稼ぐ稼業だぞ?」


「だが君は、多数の部隊が入り乱れた戦場で、どの部隊がどう動き、戦況がどうなっていくか、それを予測できるんじゃないかな?

 それと本質的には何も変わらないさ。

 数万単位の軍が入り乱れる戦場も、内政や外交の場も、同じように多数の個人が指導者の意志の下で動くゲームだ。

 そこにゴールがあり、妥協点があるなら、必ず拮抗させることができる。

 そのバランスするポイントを見分ける目がないとは、言わせないよ?」


 くっそ、しつこいおっさんだな!


「それは言わねーけどよ! 実際に俺みたいに無骨な男が、どう調整しろってんだ!

 フランチェスカ一人、納得させられねーんだぞ?

 あいつの不信感は深刻だ! それを解消できない人間が、国を回せる訳ねーだろうが!」


 シュルツ侯爵がフッと笑みをこぼす。


「彼女は器が小さいからね。交渉をする人間には向いていない。

 だが彼女が仕える人間――アヤメ殿下なら、君も交渉は可能だ。違うかい?

 そしてフランチェスカ嬢のような女性は、主君であるアヤメ殿下の意向に従う。

 君はただ、アヤメ殿下の信頼を勝ち取ればそれでいいのさ。

 あとはアヤメ殿下が、臣下を躾ける責任を負ってフランチェスカ嬢を教育する。

 時間はかかるだろうが、いつかは彼女も納得するだろう」


 俺は小さく息をついて応える。


「まだるっこしいな。だがそこはあんたの言う通りだろう。

 俺にフランチェスカは説得できん。

 納得もどうやら、してもらえん。

 ならば説得できる人間に任せるしかないだろうな」


 シュルツ侯爵がニコリと微笑んだ。


「合意ができたようで何よりだ。

 これで君も、自分に政治家が務まると納得できたと思う」


「――思えねーって言ってるだろう?! 何を聞いてんだこのおっさんは!」


「君の弁舌はすべて聞いていたとも!

 『戦争は命をいかに効率よく消耗していくか』、まさに戦争の本質だ。

 そして国家の本質は『国民の命をいかに効率よく消耗していくか』。こう言い換えることもできる。

 補給線を絶やさず、供給を上回らないように消耗を抑え、国家を回していくのさ。

 どうだい? 戦争と本質が変わらないと思えるだろう?」


「しっつけーな?! 戦争と政治じゃまるで違うだろう?!

 人を殺すのが戦争なら、人を生かすのが政治だ!

 決断した結果殺すことになる、それも否定はしねぇが、ゴールがまるで逆方向だろうが!」


 シュルツ侯爵が、とても満足した笑みを浮かべた。


「――うん、君は実に素晴らしい。

 傭兵として生きてきて、どうやってそこまでの資質を育てたのか、本当に興味深いね。

 今日のところは挨拶だけにしておこう。

 最初からあまりしつこいと、嫌われてしまうからね」


 そう言うとシュルツ侯爵は立ち上がり、俺を笑顔で見下ろした。


「また会いに来るよ」


「もう来んな!」


 楽しそうに笑い声を上げながら、シュルツ侯爵は部屋を去って行った。


 ……なんだったんだ、あの嵐のような男は。


 どっと疲れた俺は、改めてソファに横になり、目をつぶった。





****


 それから毎日、俺はシュルツ侯爵に付きまとわれた。


 その日の気分で行先を変えても、なぜかふらりと現れやがる。


 そして何度でも『政治家にならないか?』と誘ってくるのだ。


 ――あのおっさん、どうやって俺の行き先を知ってるんだ?!


 最初は部屋に居る侍女を疑った。だが行く先を伝えずに部屋を出ても無駄だった。


 尾行も疑ったが、俺がわかる範囲で追跡してくる人間はいなかった。


 五日目で俺は、自分が居る場所を思い出した――王宮、つまり国王の庭だ。


 国王が俺を政治家にしたがっているなら、シュルツ侯爵に俺の居場所を教えるよう、従者や使用人に通達を出すくらいはするだろう。


 気付いた直後、俺はどっと疲れてため息をついていた。逃げ場がねぇ。


 今日は王宮の裏庭で大剣を素振りしていたが、案の定シュルツ侯爵が現れた。


「どうだね? そろそろ政治家になる気になったんじゃないかな?」


 俺は素振りをしながら応える。


「なるかボケ。寝言はベッドで言ってろ」


「だけど君には資質がある。優秀な政治家としての資質がね。

 なに、難しく考える必要なんかないさ。

 国民の幸福のために動く、たったそれだけでも充分やっていけるからね」


 俺は一際ひときわ強く大剣を素振りして応える。


「そういう甘い言葉で誘い出されたら一環の終いだ。

 そこから先はもう後戻りができないトラップになってる。

 やめたくなっても後の祭りだ。

 見え透いた罠に近づくわけがねーだろ」


「だけど、そうやって素振りばかりする毎日も退屈だろう?

 戦争が起こるまで、暇潰しに私の仕事を手伝ってくれないかなぁ。

 私も書類が山積みで困ってるんだよ」


 俺は力が抜けて、素振りの手を止めた。


「あのなぁ……だったら俺なんかに構わず、自分の仕事をやりに帰れ。

 国民の幸福はあんたと国王の責務だろうが。

 遊んでる時間は、今のこの国にはねーぞ? 時機を考えて動け」


 シュルツ侯爵が楽しそうに微笑んだ。


「ほう? 時機とは、どういう意味かな?」


「長い戦争がようやく終わった。

 兵役に行った家族がようやく戻ってきた。

 税率はまだ戻せねーだろうが、次第に税は平時に戻っていく。

 収穫期は目前だ。

 せっかく国民が『いよいよこれから生活を立て直す』って気分になってるんだから、大人しく乗っかれよ。

 今だから打てる手なんて、ごまんとあるだろうが。

 逆にここでこけると、三年は引きずるぞ。そこからはスローペースで回復になる。

 今の周辺国家を踏まえれば、のんびり復興してる余裕はこの国にはねーだろうが」


 シュルツ侯爵が、また満足気に笑いやがった。


「はっはっは! 君は勧誘をけたいのか、自分をアピールしたいのか、理解に苦しむね!

 そこまで理解できているなら、君は充分に仕事をこなしていける――これは世辞せじじゃないよ?

 その程度も理解できない文官なんて、いくらでもいるからね。

 嘆かわしいことに、高位貴族の身でありながら理解しない愚昧ぐまいも居る。

 彼らの首を切り落として君を代わりに据えれば、私の仕事も半減していくんだけどねぇ」


「ケッ! お断りだ!

 ――ったく、なんでそんな、少し考えればわかることを理解しない奴しか居ねーんだよ。

 どんだけ人材がいないんだ? この国は」


 シュルツ侯爵が目を細め、俺を興味深そうに見つめた。


「その『少し考える』ができない人種、それが普通なのさ。

 それができる人間を『エリート』と呼ぶ。

 君は間違いなく、エリートの側に属する人間だ。

 ――世の中、君が思っているより愚かな人間が多いのさ」


 俺は盛大にため息をついて応える。


「だから大陸から戦争が消えねーんじゃねーのか?

 傭兵としては有難い話だけどよ。

 普通に暮らす住民にとっては、戦争なんて無い方が良いだろうに」


「ははは! 戦争をする事で利益を上げる――そんな輩も居るからね!

 愚かだから戦争するのが一番、たちが悪い。

 だけど利益を追求し戦争する輩も、大概なものさ」


 はぁ、と息をついて俺は告げる。


「あーあー、嫌な話だね。

 国の指導者ってのは、もっと賢いもんだと思ってたぜ」


「賢いよ? とても勉強ができる馬鹿ばかりで楽しい世界さ!

 そして中には、魔物のように老獪ろうかいな人物も潜んでいる。

 そんな奴らほど、手強くて倒し甲斐がある」


 俺は大剣を鞘にしまいながら応える。


「俺はそんな、魑魅ちみ魍魎もうりょうが渦巻く世界は御免だね」


「おや? もう素振りを終えてしまうのかい?」


 俺はシュルツ侯爵を見ずに歩きだす。


「俺がここに居れば、あんたが張り付く。それは国政の邪魔になるだろ。

 あんたもさっさと仕事に戻れ」


 俺はおっさんを無視して、自分の部屋に戻っていった。

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