第19話 アイゼンハインとの交渉

 キュステンブルク王国とアイゼンハイン王国の国境、そこには大きな砦が構築されていた。


 ……万が一、アイゼンハイン王国が敗走した時のための保険、かねぇ。


 金を持ってる国は、砦くらい簡単に作っちまうってことか。


 俺が率いる使節団が国境に近づくと、砦から兵士たちがやって来て馬車を止めた。


 外から兵士の声が聞こえる。


「何者だ! 身分証を出せ!」


 俺は一人で馬車を降りて、兵士たちを見回す――頑張って威圧してるみたいだが、国境の守備兵が頑張っても猫にしか見えん。


 懐から書状の筒を取り出し、広げて兵士たちに見せてやる。


「俺はシャッテンヴァイデ伯爵だ。

 戦勝国としてアイゼンハイン王国との平和条約を結びに来た。

 戦いに来たわけじゃねぇんだ、その槍を下ろせ。

 それともお前らの国は、使節に槍を向けるのが礼儀なのか?」


 慌てた兵士が声を上げる。


「戦勝国だと?! 我が軍はどうなったのだ!」


「あー、跡形もなく消し飛ばした。一人残らずな。

 可哀想だが、捕虜の一人もいねーよ。だから身代金を取ろうって話にはならん。

 お前らがうちに寄越してた三万の軍勢は、全滅だ」


「ばかな?! キュステンブルク王国が我が軍三万を、一人残らず殺しつくたというのか?!」


 俺は書状を丸めて懐にしまい、肩をすくめた。


「実際、連絡が取れなくて困ってるんじゃないか? 消息不明になってるんだろ?

 俺たちがアイゼンハイン王国軍を消し飛ばしてから二週間、音信不通になってることを疑問に思わんかったのか?」


 口ごもる兵士たち、その奥から兵士長らしい男が現れた。


 兵士長らしき男が、俺を睨み付けて告げる。


「私はこの国境守備隊を預かる者だ。

 今の話、本当だろうな?」


「疑うなら、キュステンブルクを好きなだけ捜索すればいいんじゃねーか?

 この地上から居なくなった三万の兵士を、一人でも見つけられると良いな」


「……貴様、シャッテンヴァイデ伯爵と言ったな。

 なぜそのように傭兵まがいの恰好をしている?」


「この間まで傭兵だったからな。仕方あるまいよ。

 成り行きと戦功で、しかたなく伯爵位を受け取った。

 俺が適任ってことで、こうして使節団を率いて交渉に来てる。

 不思議な所があるか?」


 兵士長らしき男が考えこむようにうつむいた。


「……護送の兵士を付ける。兵たちに王都まで送らせよう。それで構わないか」


 『護送』ね。監視を付けて、国内での工作活動を封じたいってとこか。


 まだ信じきれてねーんだな、戦争に負けたってことを。


「ああいいぜ。俺たちに手を出さないなら、護送の兵士たちの命も保証してやる。

 ――だが万が一でも俺たちに刃を向けるなら、兵士たちは全員切り殺す。

 それを了承できるなら、護送でも何でもつければいいさ」


 兵士長は俺を睨み付けたまま考え込んでいた。


「いいだろう、その条件を飲もう――おい! 護送の兵を集めろ! 五百だ!」


 おいおい、百人足らずの使節団に、五百人の見張りを付けるのかよ。


 警戒しすぎじゃねーか?


「じゃあ俺は馬車に戻る。護送の準備ができたら御者に合図しろ」


 俺は馬車に乗りこみ、扉を閉めた。



 車内ではアヤメがニコニコと微笑んでいた。


『中々堂に入っておるではないか。

 やはり交渉事が巧いな、貴様は』


 俺はため息をついて応える。


「だから、公用語をしゃべれ。何を言ってるかわからん」


 アヤメはクスクスと笑みをこぼすだけだ。


 ったく、こいつの面倒を見ることになってから、俺の人生狂っちまったな。


 シャッテンヴァイデ伯爵、か。伯爵領と一緒に受け取ったが、まだしっくりこねーなー。


 ヴァルター・ヴァルトヴァンデラー・シャッテンヴァイデ伯爵、それが今の、俺の名前だ。


 なげぇんだよ、貴族の名前は。覚えきれるかってんだ。


 伯爵領は、今は俺に付けられた執事とやらが見てるらしい。


 元々、領主だった貴族が死んで王家預かりになっていた領地だ。


 新しい領主である俺がしばらく不在でも、当分は困らんということらしい。


 それでも……領主ねぇ。領民を抱えるとか、どうなるんだ? これから。


 俺は自分の人生の今後を憂いて、憂鬱な気分で走り出した馬車に揺られた。





****


 国境守備隊長が、護送されるヴァルターたちを見送りながら、部下に告げる。


「おい、早馬を飛ばせ。王都にこのことを知らせるんだ。

 五百人の大所帯、王都に到着するまで二週間はかかる。

 早馬なら、一週間で到着できるだろう。急げ!」


 部下は敬礼を取ると、すぐさま早馬の準備を始めた。


 国境守備隊長がぽつりとつぶやく。


「三万残っていた我が軍が、一人残らず全滅?

 そんな馬鹿な事があるわけがない。

 だが音信不通になった理由は付き止めねばならん。

 ――おい! 貴様はキュステンブルクに侵入して痕跡を調べてこい!

 我が軍が消息を絶った前線、その近辺を捜索しろ!」


 別の部下が敬礼を取り、何人かを連れて旅の準備をしに砦に戻った。


 キュステンブルク側に国境守備隊は残っていない。


 今なら侵入し放題だ。


 今のうちに、なんとしても手掛かりをつかんでおかなければならない。


 他に取りる策がないか、国境守備隊長は頭を悩ませながら砦に戻っていった。





****


 アイゼンハイン王国の王都、その謁見の間で、国王ファビアンがヴァルターとアヤメを見下ろしていた。


「貴様がシャッテンヴァイデ伯爵か」


 ヴァルターは不敵な微笑みを浮かべながら応える。


「ああそうだ。今回、使節としてあんたと平和条約を結びに来た。

 うちの宰相から書状を預かっている。

 これに賠償金について書いてあるはずだ」


 ヴァルターが懐から出した書状の筒を騎士が受け取り、国王に渡した。


 国王は書状を筒から取り出し目を通すと、その顔を真っ赤に染め上げて激高していた。


「――ふざけるな! なんだこの額は! 常識外れもいい所ではないか!」


 ヴァルターが肩をすくめて応える。


「いくらになってるか、それを俺は知らん。

 だが今回、アイゼンハイン王国軍を消し飛ばすのに、うちの商業都市一つを犠牲にした。

 たぶん、その復興費用が入ってるんじゃないか?」


 国王は書状にしわが寄る程強く握りしめると、そのまま勢いに任せて書状を破り捨てた。


「こんなもの、飲めるわけが無いだろう!」


 ヴァルターが頭をかきながら応える。


「飲めないのか? 敗戦国の癖に。あんたらに拒否する権利なんてないんだぞ?」


「我が軍が脆弱なキュステンブルクに負けるなど、あるわけが無かろう!

 ええい、その愚か者を切り捨てよ! 首をキュステンブルクに送り返してやれ!」


 騎士たちが剣を抜き放ち、ヴァルターに襲い掛かった――それよりも素早くヴァルターは大剣を抜き放ち、襲い掛かる騎士たちを切り伏せていく。


 またたく間に十人の騎士が切り伏せられ、他の騎士たちは警戒して距離を取った。


 緊張する謁見の間で、ヴァルターは不敵な笑みを浮かべたまま応える。


「……ま、ここまでは予想通りだ。

 これ以上やるなら、俺は国王の首を狙ってもいい。

 だがお前らが剣を引くなら、俺も剣を引こう――どうする?」


 騎士の一人が国王に振り返る――その目は、困惑と怯えの色が見えた。彼の実力ではかなわないと、本能的に悟ったのだ。


 騎士の目を見た国王が、己を落ち着かせようと大きく息をついた。


「――わかった。双方、剣を引け」


 騎士たちが警戒しながら剣を納めると、ヴァルターも大剣を鞘に納めた。


 ヴァルターが余裕のある笑みを浮かべて告げる。


「今日のところは帰ってやる。

 あんたも、納得する時間が必要だろうしな。

 だから明日、もう一度あんたに話をしに来てやる。

 その時にはいい返事がもらえるよう、期待してるぜ」


 ヴァルターが身を翻して歩きだすと、それを追いかけるようにアヤメとゲッカが付き従った。


 その後ろ姿を、国王は憎しみを込めた眼差しで睨み付けていた。





****


 アイゼンハインの王宮を出たところで、俺は辺りを見渡した――でかいホール。夜会やらを開く為の会場だ。


 今の時間なら、人がいたとしても限られている。デモンストレーションには丁度いいだろう。


 俺はホールに向けて歩き出し、程よい距離で足を止める。


 追いかけてきたアヤメが、俺に尋ねる。


「どこ行くの? ヴァルター。宿に帰るんじゃないの?」


「まず、国王共に敗戦国の実感ってものを与えにゃならん。

 じゃなきゃ交渉なんてまとまらないからな。

 ――アヤメ、あのデカい建物、『ツキカゲ』で消し飛ばせ」


 アヤメはきょとんと俺を見ていた。


「いいの? でもあんな建物を消し飛ばして、なんの意味があるの?」


「いいから綺麗に消し飛ばしてやれ。

 それでもわからなきゃ、軍を消し飛ばすことになる。

 これで理解できるお利口な王様であることを祈るがな」


 アヤメが楽しそうに微笑んだ。


『なるほど、暴力で威嚇いかくしようというのかえ?

 わらわの力、その片鱗でも見れば、己の軍になにが起こったかも想像できよう。

 ならばきれいに消し去ってやろうぞ――神気外装”姫神ひめかみ”!』


 光と共に白い鎧をまとったアヤメが、ゲッカの首に手をかける。


『ゆくぞ白狼はくろう月華げっか! 愚か者共に身の程をわきまえさせてやろうぞ!」


 引き抜かれた手に輝く両手剣が、今日も再び光を放つ。


『跡形もなく消し飛ぶがよい! ――≪月影つきかげ≫!』


 周囲の兵士たちが注目する中、王宮の大ホールがまばゆい光の玉に包まれていた。





****


 アイゼンハイン国王が己の執務室に戻ろうと廊下を歩いていると、轟音とともに王宮が激しく揺れていた。


「――何事だ!」


 それにすぐさま応えられる者はいない。


 揺れが収まると、国王は周囲の兵士たちに、報告を急ぐように指示を出した。


 執務室に戻った国王に寄せられた報告は、信じがたいものだった。



 慌てて王宮の外に出た国王が目にしたのは、夜会用のホールがあった場所に穿うがたれた巨大なクレーター。


 王宮の敷地ごと抉り取られ、自慢の大ホールが跡形もなくなっていた。


 周囲では怪我人が続出し、王宮の窓ガラスもほとんどが割れている。


 報告を集めた結果、キュステンブルクの使節、シャッテンヴァイデ伯爵がホールを消し飛ばしたということがわかった。


『今日のところは帰ってやる。

 あんたも、納得する時間が必要だろうしな。

 だから明日、もう一度あんたに話をしに来てやる。

 その時にはいい返事がもらえるよう、期待してるぜ』


 シャッテンヴァイデ伯爵の言葉が脳裏によみがえる。


 『納得する時間を与える』とは、つまりこのことなのだろう。


 彼らは絶大な暴力を保持しており、その行使にためらいがない。


 平和条約を結ばなければ、この暴力が再びこの国に牙をむく。これはその警告だ。


 蒼白になった顔でクレーターを見つめる国王は、自軍が敗北した事実を受け入れた――

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