第14話 月影
キュステンブルク王国の西部、前線地帯。
アイゼンハイン王国軍を率いる司令官、スラヴォナ侯爵は、将校から受けた報告に驚愕していた。
「――キュステンブルク王国軍が、居なくなっただと?!」
「はっ! 朝になり、偵察を出したところ、敵の本陣はもぬけの殻となっておりました!
――いかがなさいますか、閣下」
スラヴォナ侯爵は思考を巡らせた。
夜のうちに、夜闇に乗じて本陣を引き払ったか。
敵の狙いはなんだ?
絶対的に不利な戦況を
何もなしでこんな大規模な用兵はしないはずだ。必ず何かある。
このままなら一か月以内に前線を崩壊させる見込みだった。それが崩れた瞬間だ。
もうキュステンブルク王国に兵力は残っていない。ここが最後の砦だ。
その防衛線を放棄して兵を引き上げるメリット――それを思いつくことが出来なかった。
「すぐに参謀を集めろ。意見を募る」
将校が返事をし、司令官のテントから辞去していった。
スラヴォナ侯爵は、考え得る敵の行動と対策を練りながら、作戦司令部のテントに足を向けた。
****
アイゼンハイン王国軍の緊急戦略会議でも、キュステンブルク王国軍の思惑は推測できなかった。
こちらは三万、敵は疲弊した二万。
壊滅する前に兵を引くにしても、残る要所は王都を残すのみ。
この砦を放棄して王都決戦など、馬鹿げた話だ。
王都に引き上げるまでに脱走兵も出るだろう。二万のうち、五千程度は脱落すると見られた。それほど敵軍は疲弊している。
誰がどう考えてもメリットのない用兵――不気味でしかなかった。
参謀の一人が告げる。
「このまま敵軍に時間を与えるのは、得策ではありません。
警戒は怠らず、進軍するべきかと」
時間を与えれば、敵に反攻作戦を準備する余裕が生まれる。
みすみすこちらの被害が増える真似をする訳にもいかなかった。
スラヴォナ侯爵が小さく息をついて頷いた。
「そうだな――全軍、進軍の準備をせよ! 砦の背後、ケーテンの町を目指せ!
あの商業都市を略奪し、踏みにじり! 住民を一人残らず殺し尽くせ!
敵軍の士気をさらに落としてやれ!」
参謀や将校たちが頷き、司令部のテントから出ていった。
打てる策は何もない。ただ警戒しながら進むしかないだろう。
小さな部隊によるゲリラ戦法や民兵による抵抗など、圧倒的な戦力差で踏みつぶせる。
ケーテンは五千人弱の町、あの町で補充できる兵力など、たかが知れている。
砦の背後は大きな街道が続く平野部、身を隠す地形も存在しない。王都まで一直線だ。
――しかし、この状況で何故、兵を引き上げた? 負けたいのか?
指示は出したものの、疑念を拭い去ることが出来ない。
言いようのない気持ち悪さを胸に、スラヴォナ侯爵は部隊の指揮を執るため、司令部のテントを後にした。
****
アイゼンハイン王国軍がケーテンの町に到着した。
ここまで一切の敵影が見られない。拍子抜けもいい所だ。
そのまま兵たちを、略奪のためにケーテンの町に侵入させる。
戦争のストレスを発散するため、野獣のようになった兵士たちが街の中で略奪を開始した。
その様子を大通りで眺めながら、スラヴォナ侯爵は敵の思惑に思いをはせる。
なぜ無抵抗で町を明け渡した? ここは西部の国境付近、最大の商業都市。
いくつもの交易路が交差する重要拠点だ。
町を守る衛兵一人すら見つからない。
奴らの目論見、それはなんだ?
町に入らない兵士たちは、町の周辺に配置した。
町のライフラインを使い水の補充を行い、略奪した街の物資が町の外に積み上がる。
食料は勿論、金品や宝飾品なども数多く手に入ったようだ。
町に残っていた住民は、命令通り虐殺が行われているようだ。町のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
――だが、都市の規模の割に声が少なくはないか?
思索にふけるスラヴォナ侯爵の元に、将校が一人報告に現れた。
「閣下、よろしいでしょうか」
「――なんだ、言ってみろ」
「若い女の姿が、不自然なほど見当たりません。
残っている住民は年寄りばかり、子供の姿も見当たりません」
スラヴォナ侯爵が顎に手を当て、思考を巡らせていく。
前線のすぐ背後、多数の街道が交差するこの町から、事前に逃げ出していたのか?
フットワークの軽い住民が逃げ出し、町に愛着を持つ老人たちだけが残った――あり得なくはない。
だが『若い女が見当たらない』という点は気になった。
キュステンブルク王国軍が、意図的に住民を引き上げさせたか。
スラヴォナ侯爵が声を上げる。
「井戸の水を飲むな! 毒が投げ込まれているかもしれん!
水源も、注意してくみ上げろ! 罠の可能性を忘れるな!」
将校がただちに短く返事をして、指示を周囲に伝えに走った。
ここは川の下流、上流から毒を流し込まれれば、一網打尽にできるかもしれない。
大きな清流を汚染しきるほどの毒物、そんな物があるとも思えないが、糞尿を混ぜられれば飲み水にはなるまい。
≪浄化≫の魔導術式で浄化はできるが、そんな水を飲むことを兵が嫌がり、士気が低下する。
スラヴォナ侯爵は注意深く街を捜索させつつ、市長の家に司令部を置くことにした。
略奪がひと段落するまで、そこを拠点に敵の動向を探る。
そして兵たちが住民を一人残らず冥界送りにしてから、再び進軍するのだ。
指示を出し終えたスラヴォナ侯爵は、久しぶりのベッドを味わうため、市長の寝室へと向かっていった。
****
ケーテンに集結しているアイゼンハイン王国軍に動きがない。
遠方から見て居るかぎり、どうやら俺の提案した足止め作戦が功を奏しているようだ。
ケーテンの様子を見てきた斥候の報告を受け、レーヴェンムート侯爵が頷いた。
「よし、予定通り足止めに成功しているな。
――住民の避難はどうなっている!」
「はっ! ケーテンの住民、二千人は無事、ウェルツの町に入りました!」
将校の報告を受け、レーヴェンムート侯爵が俺に告げる。
「ヴァルター、後は任せたぞ!」
いや、俺に任されてもな。
俺はアヤメに告げる。
「おい嬢ちゃん、お前の出番だぞ。
夜で動きがないうちに、町ごとアイゼンハイン王国軍を消し飛ばしてやれ」
アヤメがニヤニヤと微笑みながら頷いて応える。
『よかろう。
いや、だから公用語を話せよ……
「おいおい、本当のこんな距離から消し飛ばせるのか?
二キロは先の町だぞ?」
『問題ない。目と鼻の先ではないか。こんなもの、距離があるうちに入らぬわ』
俺はジト目でアヤメに告げる。
「お前さー、面倒くさがって公用語を嫌がる癖、やめておけよ?」
『仕方あるまい、こうも気分が高揚すると、公用語などという
俺は諦めて、フランチェスカに振り向いて告げる。
「嬢ちゃんはなんて言ってるんだ?」
フランチェスカはため息とともに応える。
「『気分が乗っているから邪魔をするな』とおっしゃられています。
――それより、爆風に気を付けてください。身体を伏せておいた方が安全ですよ」
「――そこまで威力があるってのか?! 二キロ先だぞ?!」
「直視するのも気を付けてください。下手をすると目をやられますよ」
――いったい、何が起こるって言うんだ?!
アヤメが楽し気な声で言葉を口にし始める。
『青嵐国の姫、
我が身に御身の御力を授けたまえ。
これより我が眼前の敵に、厳粛なる神の裁きを与え
――我に神なる力を授け
その
『
アヤメの右手がゲッカの首をわしづかみにする――その腕が剣を引き抜くような動きをすると、するりとゲッカの身体が変化し、一条の光となっていた。
チャキ、と金属音がした時、アヤメは二メートル近い大剣を両手で構えていた。
――ゲッカが、大剣に変化した?! いや、大陸の物と剣の形状が違う。湾曲した片刃の剣だと?! 見たことねぇぞ、そんな剣!
その重たそうな大剣をアヤメは軽々と操り、顔の横に構えた大剣の切っ先を、ケーテンの町に向けた。
その大剣が、再び白く輝いて行く。
『ゆくぞえ
アヤメが突き出した大剣から、辺りが真昼間になるかと思うほどの光が
その光は真っ直ぐケーテンの町に伸びていき、
吹き飛ばされそうになりながら、必死に足に力を込めて耐える。
太陽のような光の玉が、空に向かって消失していくと、辺りは再び夜の静寂に包まれていた。
呆然としている俺たちに、アヤメが肩に大剣を担いで振り返り、ニタリと微笑んだ。
『どうじゃ? 腰が抜けたか?
俺は我に返り、すぐに声を上げる。
「レーヴェンムート侯爵! すぐに斥候を出せ! 町の様子を確認するんだ!」
侯爵もハッと我に返り、斥候に指示を出した。
辺りを見回すと、兵の半数以上が熱風で吹き飛ばされ、腰をついているようだった。
アヤメは満足そうにその様子を眺め、高らかに笑っている。
『あはは! 実に無様じゃの!
テンションが上がっている様子のアヤメを、俺は呆然と見つめていた。
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