第7話 コルジーナの異変
日が落ちる前に馬を留め、
火に当たりながら沸かした湯を飲み、保存食を口にする――アヤメも、そんな生活に慣れ始めたらしい。
俺は微笑ましい気分でアヤメに告げる。
「少しは世界が広がったか?」
「そうね、大陸の庶民がどんなに貧しい暮らしをしてるのか、カルチャーショックを受けてるわ」
「お前の国の庶民は、違うのか?」
アヤメの代わりに、フランチェスカが俺に応える。
「セイラン国は島国、海に囲まれ、雨が多い水が豊かな国です。
大陸ほど必死にならなくても、あちこちで水が手に入ります。
そのことを言ってるのではないでしょうか」
「なるほど、それほど水が豊かな国なのか。少し羨ましいな。
――大陸は川が命綱だ。飲み水や生活用水を確保するのも、川や水脈に頼るしかない。
町が川沿いに作られ、街道も必然と川沿いに出来上がっていく。
どんな悪党でも、水源を汚染する真似はしない――自分の命に係わるからな」
アヤメが好奇心に満ちた目で俺に尋ねる。
「万が一、水が汚れたらどうするの?」
「魔導士共が必死になって清掃をする。
放置すると、町がいくつか簡単に滅ぶからな。
≪浄化≫の魔導術式を使えば、ほとんどの汚染は除去できる。
それでなんとか回すのさ」
「ふーん、やっぱり大変そうだね。
そこら中から水が湧いて出てたセイラン国とは大違い。
山も森も少ないし、変なところだね、大陸って」
「ここは平野部、レジーナ平野と呼ばれる地域だ。
山はないし、森も少ない。そこは仕方がないな」
俺はコップを片付けると、久しぶりの毛布にくるまった。
「お前らも早く寝ておけよ。明日は早くから出発する。
なるだけ先行する
アヤメが不思議そうに小首を傾げた。
「なんでそんな事をするの?」
「奴らが盗賊を蹴散らした直後なら、盗賊が再び襲ってくる可能性が低くなる。
よほど大所帯の盗賊団でもなければ、しばらく襲って来れなくなる。
盗賊共が傷を癒している間に、俺たちも通過する」
「でも、ヴァルターなら盗賊なんて怖くないでしょ?」
「無駄に命を奪う真似はしたくない。
戦わずに済むなら、それに越したことはあるまい」
アヤメが楽しそうにニヤリと微笑んだ。
『聞いたかフラン、こやつ悪党の命を惜しんだぞ?
実に楽しい男じゃ。悪党など、さっさと殺すのが世のためではないのか?』
フランチェスカがはぁ、とため息をついた。
『
必要がなければ殺さないというのは、当たり前のことでございます』
『そうなのか? 殺した方が、世の中が綺麗になるじゃろうが』
『世の中はそのように単純にできておりません。
大人になれば、ご理解いただけるかと』
『じゃが、盗賊は吊るし首が青嵐国でも常識じゃぞ?
国が間違っておるというのかえ?』
『悪人を放置すれば害となる、それも間違いではございません。
為政者が手を打つのは必然なのです』
アヤメが難しい顔で悩みだした。
『つまり……どういうことじゃ?
簡単に殺してはならぬが、殺さねばならぬのかえ?
フランチェスカがふぅ、と息をついた。
『個人として殺す真似は、なるだけお控えください。
襲われれば身を護る、そこは問題ありません。
ですが必要以上に命を奪う行為は、決して褒められたものではありません』
『難しいのぅ……結局どうすればよいのか、
『大人になれば、ご理解いただけます』
その晩、アヤメたちは長々と話をしていたようだ。
俺は聞き慣れない異国の言葉に包まれながら、意識を手放した。
****
デッサウから四日目が過ぎ、そろそろ次の町が見える、そんな昼下がり。
俺は遠くに見える町の姿に違和感を覚え、足を止めた。
アヤメが不思議そうな声で俺に告げる。
「どうしたの? やっと町が見えたのに、なんで止まったの?」
「……フランチェスカ、決して油断をするなよ。まだ周囲に潜んでる可能性がある」
フランチェスカもまだ理解できないのか、戸惑うような声で応える。
「はぁ……どういうことでしょうか」
「すぐにわかる」
俺たちが町に近づいて行くことで、フランチェスカは理解したらしい。
破壊された門扉、城壁の中からくすぶる煙の臭い。
――盗賊団にでも襲撃されたか?
慎重に門扉を開け、中の気配を
ゲッカの様子を見ると、やはり警戒するように鋭い視線で周囲を見ていた――中にまだいるのか。
町に火が放たれ、あちこちで未だに家が焼けている。
通りのあちらこちらに、逃げまどいながら切り殺された住民の姿が残っていた。
「……全滅、か。この手際、盗賊団じゃあるまい。厄介だな」
アヤメがのんきな声で俺に告げる。
「どういうこと? なんで町が焼けて、人が死んでるの?」
「考えにくいが……アイゼンハイン王国の工作兵が入り込んでいるのかもしれん」
この国、キュステンブルク王国と西の前線で戦闘中の隣国、アイゼンハイン王国。
その国の工作部隊が、補給線を寸断しようと前線を迂回して、背後の町を襲っていると考えるのが妥当かもしれない。
今のキュステンブルク王国には、工作部隊に対処する余裕すらない。
背後の街を襲われれば、物資を輸送するコストが上がり、到着が遅れるようになる。
嫌らしいが、実に有効な戦術だ。
慎重に歩いて行くと、宿屋だったらしき建物の前に、破壊された馬車の残骸が多数転がっていた。
これは……先行していた
運の悪いことだ、軍が相手では、
俺が生存者を探そうと馬車に近寄ると、側面から甲高い指笛が響き渡った。
慌てて振り向くと、大通りから伸びた横道の奥で、鎧を着込んだ兵士が指笛を吹き鳴らしているようだ――仲間を呼ばれたか。
俺はすぐに大剣を抜き放ち、アヤメに告げる。
「お前はゲッカから離れるな。どれだけ手勢が居るかわからん。
――フランチェスカ、死ぬ気でアヤメを守ってろ。決して前には出るな」
俺は横道から湧いて出てくる兵士たちの集団を睨み付け、大剣を構えて駆け出した。
****
フランチェスカは呆然とヴァルターの戦いぶりを見ていた。
大通りで大剣を構え、横道からやってくる兵士たちをことごとく両断していく。
囲まれないように地の利を生かしつつ、確実に敵の数を減らしていった。
正面の突破が無理と判断した敵兵が、別の道を使ってヴァルターの側面に回り込んだ――それすら、大剣を大きく振るって削ぎ落していく。
ヴァルターはまるでカカシを相手にしているかのように、敵国の兵士を切り捨てていった。
――
敵兵はもう、遠くで見守るフランチェスカやアヤメの事など意識にない。
目の前で大剣を振り回す暴力の嵐をなんとか止めようと、必死になっていた。
敵兵が弓を撃とうが気にも留めずに大剣で防ぎ、矢を切り落としていた。
「――ふぅ、久しぶりに大暴れしたな」
地面に転がる兵士、その数は三桁に及ぶかと思えた。
相手は盗賊団ではない。訓練された兵士だ。
だというのに、賊を相手にする時と変わらぬ手際で敵を壊滅してのけた。
途方もない戦士、その実力の底が、見えない。
血にまみれた姿で自分たちの元に戻ってくるヴァルターを、フランチェスカは蒼白に染まった顔で迎えた。
****
俺は血を払った大剣を鞘にしまうと、荷物の中からタオルを取り出し、顔についた血を拭った。
ついでに身体の血も拭きとっていき、血にまみれたタオルをその場に投げ捨てる。
「おそらく残党は居ないと思うが、この場所に長居すべきでもないだろう。
先を急ぐぞフランチェスカ――フランチェスカ? どうした?」
ハッと我に返ったフランチェスカが、強張った顔で俺に告げる。
「いえ、なんでもありません」
……せっかく打ち解けかけたのに、すっかり怯えさせちまったな。しくじった。
「そう怖がるな。俺はお前らに暴力を振るうつもりはない。俺に手出しさえしなけりゃな」
俺がアヤメの乗る馬の手綱を引くと、フランチェスカがそれを慌てて奪い取ってきた。
「……アヤメ殿下は、私が守りますので」
つまり『俺の手に任せたくない』って意味か?
俺はため息をついて応える。
「好きにしろ。それで気が済むならな」
俺は自分の荷物の中から、この国の地図を取り出す。
港町オリネアの北にあるデッサウ、その北――ここはコルジーナか。
「王都に行ったら、ここが襲撃された話を伝えねばならん。
工作部隊があれだけとは限らんからな。
今まで以上に気を付けて動くぞ」
フランチェスカは静かに頷いたが、俺に対する警戒心が明らかだ。
これからの旅の道行きを思い、憂鬱になりながら、俺は先を急いだ。
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