第3話 宿で過ごす晩
俺は、まだ客が居ない酒場のカウンターにいる宿の主人に告げる。
「飯を三人分頼む。
――それと、ニコレッタ子爵家ってのが今どうなってるか、あんた知らないか?」
宿の主人は眉をひそめ、困ったように俺を見た。
「ニコレッタ? 珍しい名前だな……。
いや、待てよ? ニコレッタ、ニコレッタ……。
――ああ、あのニコレッタ子爵か!
お客さん、関係者ですか?」
「そんなところだ。屋敷に行ったら廃屋敷になってたんでな。今はどうしてるんだ?」
「あの家は六年前に事業に大失敗して、夜逃げするように町から去っていきましたよ。
多額の借金を抱えたって話だから、もう爵位も没収されてるんじゃないですかねぇ。
今頃は生きてたとしたら、辺境で息をひそめて暮らしてるんじゃないですか?」
『生きてたとしたら』か。
巨額の負債を抱えた貴族は、没落した生活に耐え切れずに命を絶つ例が珍しくない。
貧民同然の暮らしを強制される訳だからな。
働き口がなければ、そもそも生きてもいけない。
貴族が平民に混じって肉体労働など、耐えきれるものでもあるまい。
フランチェスカの様子を見ると、家族の心配をしているかのように、悲壮な表情をしていた。
だが六年前に夜逃げしたのでは、手掛かりをつかむのも難しいだろう。
俺たちは奥のテーブルを選び、それぞれが椅子に腰を下ろした。
ゲッカはアヤメの足元で大人しく伏せているようだ。
パンの盛り合わせと根菜のシチューが運ばれてきて、それぞれの前に皿が置かれた。
テーブルの中央にはデカいまな板の上に鳥の丸焼きが置かれる。
俺はナイフを使って鶏肉を切り分け、小皿に取り分けてやった。
パンをシチューにひたして食いながら、俺は告げる。
「残念だったな、手掛かりがつかめなくて」
フランチェスカは沈んだ声で応える。
「いえ、家の様子である程度、覚悟はしてましたから」
「明日の朝、護衛を依頼した商人の所に行く。
あんたも腕に覚えがあるなら、護衛の頭数に入れてもらえるかもしれん。
何か得意な武器とかはあるのか?」
「家を出るまでは短剣術を。
セイラン国では素手の護身術を習っていました。
商人の護衛程度なら、問題ありません」
俺はアヤメを見て告げる。
「嬢ちゃん、ゲッカは護衛ができると思うか?」
アヤメはきょとんと俺を見て応える。
「ゲッカ? 私の言う事ならちゃんと聞いてくれるから、『誰かを守れ』って言えば護衛くらいできるんじゃない?」
俺はアヤメに頷いた。
「それなら嬢ちゃんはゲッカで護衛する狼使いってことにしよう。
これなら三人分の報酬を交渉できるはずだ。
旅支度をする必要もあるし、先立つ物があるに越したことはないからな」
飯を食いながら、俺はアヤメを観察してみた。
肩までの艶やかなストレートヘアだが、長い船旅で傷んでいるように見える。
だが整った小さな顔には、確かに気品があった。
夜の海のように深く青い瞳は、このあたりじゃ見ない色だ。
王族と言われれば、納得できそうな気がした。
アヤメが不機嫌そうに眉をひそめて俺を睨み、告げる。
「……ちょっと、女性の顔をじろじろ眺めるとか、失礼じゃない?」
俺は慌てて手を挙げて制止し、応える。
「すまん、聞いたことがない国の人間だから、つい好奇心が疼いてな。悪かった」
「これがセイラン国だったら、ヴァルターの命はなかったわよ?」
おっかねーな。いくら王族だからって、顔を見ただけで死刑になるってのか?
フランチェスカが俺の顔を見つめて尋ねてくる。
「ヴァルターさんは、どんな武器を使えるんですか?」
「背負ってた大剣、あれをぶん回すのが俺の戦い方だ。
剣なら何でも使えるが、あれが一番俺に合ってる。
ただの剣術馬鹿だよ、俺は」
商人の護衛としては、バランスがいい方だろう。
俺が前に出て、護衛対象の周りをアヤメとフランチェスカが囲む。
少しアヤメのフィジカルが心配なくらいか。百四十センチもなさそうな子供だしな。
「嬢ちゃんは何歳なんだ?」
「今は五月だから、まだ九歳ね。七月で十歳になるよ」
「……そんな年齢で、見聞を広めるために、わざわざ大陸まで来たのか?」
アヤメが肩をすくめて応える。
「しょうがないじゃん。お父さんがそうしろって言うんだから。
たかが無人島を一つ消し飛ばした程度で、あんなに怒らなくてもいいと思わない?」
「いや、どんだけ怒ってたかは知らんが……島を消し飛ばした? お前、何をした?」
アヤメはニタリと笑みを浮かべて応える。
「そのうち、知ることもあるんじゃない?」
フランチェスカが真顔でパンを食べながら告げる。
『
そのことはお忘れなきように』
『わかっておるわ。だから大人しく従っておろうが。
まったく、何が『己の矮小さを思い知って来い』じゃ!
……この目の前の子供が島を消し飛ばすってのは、とても信じられん。
無人島と言っていたし、魔導術式で小さな岩でも消し飛ばしたのか?
「嬢ちゃんは魔導士なのか?」
「違うよ? 魔導士って何?」
何って言われても、説明に困るな。
「魔導、つまり魔導術式を使う術士の事だ」
「ふーん、私は魔導術式? なんてのは使えないよ。だから魔導士じゃないと思う」
「じゃあ、どうやって島なんて消し飛ばしたんだよ」
「ふっふっふ、ないしょ~」
こいつ、子憎たらしいガキだな。
俺はそのあと、色々話題を振ってみたが、アヤメたちは自分たちの事を話そうとはしなかった。
……俺のこと、まだ信用されてねーのかなー。
そろそろ酒場が酒飲みで賑わってきたな。下品な話題も飛び交い始めた。
子供が居るのにそぐわない場所だ。
飯を食い終わった俺たちは、酒も飲まずに部屋に戻っていった。
****
荷物から毛布を取り出し、ソファで横になる俺に、アヤメが声をかけてくる。
「そんなとこで寝て、疲れが取れるの?」
「傭兵暮らしをしてると、これでも上等な寝床に思える。
野宿になったら嬢ちゃんも覚悟しておけよ」
アヤメの顔が、面白いくらいにしかめられた。
「うえぇ~、野宿なんてするの~?」
「仕方ないだろう。毎日、町に辿り着けるわけじゃないんだ。
集落のない区間は、どうしたって野宿になる」
ぶちぶち言っていたアヤメが、ベッドに飛び乗った――そして声を上げる。
『また固い寝床ではないか! 船の寝床も固かったが、これも大概じゃぞ?!』
『
どうやら、ベッドが気に食わないらしい。贅沢なことだ。
それでもなんとか気持ちに折り合いをつけたのか、ベッドで大人しく横になっていた。
……こいつらを連れて王都へ、か。気苦労の絶えない旅になりそうだ。
フランチェスカが部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込んでいった。
俺は久しぶりの揺れない寝床を味わいながら、暗闇に意識を沈ませた。
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