第2話
枝から飛び降り、横倒しの幹の上を走り、伸びてくるツルをかいくぐり。風のような速さで壁の下までやってくると、一番上めがけてフックランチャーを撃ち出し、自身を宙に飛ばしてアガーテの隣へと降り立つ。
「よっ、と」
ヒュウと鳴きながら、冷たい風が耳元を通り過ぎた。
飛んだ勢いでずり落ちそうになったヘアバンドを持ち上げ、伸びるがままの硬い黒髪もかき上げて、顔を上げる。
そこには、見晴るかす先まで続く景色が広がっていた。
燃えるような赤と、夜をにじませた藍に染まる空。
緑の海に沈んだ、朽ちた石造りの旧市街。
橋が落ち、浮き草に覆われた川の向こうには、錆びた鉄塔が空を刺すようにそびえている。貴婦人に例えられるほど美しかったという鉄の刺繍は、ほとんどが絡み付いた枝葉に覆われ見る影も無い。
かつて長い歴史と人々の活気が息づいていた街は、暮れゆく夕空の下、植物に埋もれてひっそりと眠りについていた。
その街並みには見向きもせず、辺りを見渡したテオドールが目を留めたのは、遠くに見える鉄塔だった。
「さて、どうしようか。あの
「……なぁ、先生。あれ、使えねぇかな?」
言いながら、指を差す。
鉄塔の土台となるアーチの上、四つに分かれた大きな鉄の脚が一つに交わる部分。
そこに、鉄骨よりも太く節くれ立った巨木が伸び、たくましい枝振りに見合った大きさの分厚い葉がフワフワと風に吹かれている。
アガーテの口角がニッと上がった。
「いいね。やろうか」
うなずき合い、どちらともなく走り出す。
今にも崩れ落ちそうな屋根の縁を走り、残された橋脚をつたって川を越え、鉄塔のたもとへ。鉄骨とそれに絡まった枝を、自身の足とフックランチャーを駆使して登れば、草の生い茂る細長い床の上にたどり着く。ボロボロの柵や望遠鏡が残されているのを見るに、眺望のための場所だったのだろう。
その屋根となるような格好で、視界に収まらないほど太いゴツゴツした幹が、ぐるりと鉄塔に巻き付いていた。遠くから見た、あの巨木だ。
荒々しく広がる枝からは、背丈の三倍はありそうな葉柄がいくつも伸び、ツルリとした細長いアーチ型の葉が空へ飛んでいきたそうに揺れている。
目の前にすると、ずいぶん大きい。十メートルはあるだろうか。遠くからは一枚の分厚い葉のように見えたが、実際は二枚に重なった葉が袋状に繋がっていて、片側に開いた隙間から吹き込む風によって膨らんでいるようだった。
不意に、遠くからドパンッと水の音が聞こえてくる。
見れば、緑の絨毯と化した川に、黒々とした大穴が開いていた。大きな波紋が起こり、ユラユラと波打つ浮き草たち。ここまで伸びてきたツルが朽ちた橋脚を破壊し、コンクリートのかたまりを川へ落としたのだとすぐに気が付く。
「うげっ。あいつ、川も渡ってくんのかよ」
「あれだけ浮き草があればね。よし、ボクがもう一発ぶち込んでこよう」
「ほどほどで頼むぞ」
言うが早いか、ポーチから竹筒を取り出しながら走っていった背中を見送り、目の前の巨木へと向かう。
ひょい、ひょい、とざらついた樹皮を駆け上がる。それからジャンプ一つで、宙を漂う大きな葉の上へ。
葉脈に沿って滑り、落ちるその瞬間に先端を引っ掴んで、元いた枝の上へと戻ってくる。手にした葉尖を口でくわえ、自由にした左手で腰に下げたポーチからリング状の留め具を取り出すと、それを手際良く取り付けてガントレットのフックへ繋げる。
しっかり固定したことを確かめて引き金を引けば、ワイヤーが伸びるに従い、たわんでいた葉が綺麗なアーチ型へ戻って再びフワフワと風に吹かれ始めた。
これでよし。
頭上で揺れるそれを見届け、遠くで響く爆発音を聞きながら、今度は腰のポーチに手を突っ込む。
ヒラリと一枚取り出したのは、薄く細長い葉。ソードウィローの葉だ。
口と左手を使ってその両端を思いきり引っ張れば、ピシッと繊維の軋む音がして葉身が硬くなる。一時的ではあるが、名前の通り、剣として使える葉なのだ。
それを、足元の葉と枝が繋がる膨らみに押し当て、食い込ませる。
その時、鉄骨のゆるやかなカーブを駆け上がってくる、冷たさを増した西風。
突然吹き抜けた鋭い冷たさに頬を切られ、はためく外套がバタバタと悲鳴を上げる。
「先生!」
「よしきた」
振り返って叫ぶと同時に、懐へ飛び込んでくる小さな体。胸元にひっついたアガーテは、両腕をテオドールの腰に回してギュッとしがみつく。
瞬間、靴底でソードウィローの葉を思いきり押し込んだ。
右手にワイヤーの伸びたガントレット、左手に切り落とした葉柄の先を握って、風に向かって一歩、二歩。樹皮を蹴って進みながら、枝を離れて浮かび上がる葉に身を任せれば、浮遊感に襲われると同時にかかとが空を蹴る。
見上げれば、夕暮れ空へと舞い上がった大きな葉が一枚。
眼下には、広がる一面の緑と、茜色に染まった旧市街。
その自然に還りゆく街並みの上を、夕日を背に、風に乗って浮かぶ葉にぶら下がった二人が悠々と滑空する。
ふと視線を下へ向けると、鉄塔の足元でニョロニョロと動く緑色が見えた。川を越えてきたツルは、もうすぐそこまで追いついていたらしい。だが、流石にここまでは追ってこられないだろう。
「じゃあな、のろまちゃん! 二度と会わねぇことを祈ってるぜ!」
そう強がりを吐き捨てたテオドールは、今にも噛みつきそうな顔でイーッと歯をむき出しにする。
「こら、テオ。あの子が怒るぞ」
「いいだろ、捨て台詞くらい。つーか、あんなバカスカ爆発させてたやつに言われたくねぇなぁ」
「ふふ。それもそうか」
そうして二人は、西から東へと流れていく風の思うまま、夕暮れ空を滑り降りていった。
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