行方不明の〇点テスト

道化美言-dokebigen

行方不明の〇点テスト

 学校のトイレ、鏡の前。俺は今、ものすごく焦ってる。それはもう、ものすごく。例えるとするなら、うきうきで家に帰ってきたらケーキが置いてあったとして。少しつまみ食いしたあとに、母さんから「そのケーキ、お兄ちゃんの受験合格祝いにサプライズで出すから食べないでね」って言われたときくらい焦ってる。

 朝、遅刻五分前に教室へ入り課題を教卓へ提出したところまでは良かった。その後が問題なんだ。昨日返却されて、カバンの中に入れたままにしていた〇点のテストが誰かに盗まれた。

「くそっ、誰が取ったんだ〜! もし、あいつらに点数がバレたらまた一週間部活行けなくなる! 来週末の試合は絶対参加して勝ちたいのに! 休み時間も放課後も、補習の時間以外でも勉強三昧のルート突入しちまう! ぐあ〜!」

 鏡に映る自分に向かって叫んで、項垂れる。そうだ。ついこの前もサッカー部の先輩にテストの点で煽られたばかりなんだ。ここで休んで堪るか……!

「こうなったら、見つけ出すまで俺の演技力で誤魔化すしかない。いいか、俺は〇点なんか取ってないし、テストも家にある! 絶対、隠し通して見せる!」

 鏡に映る明るい色の茶髪茶眼に向かって指を指せば、全く同じ動きで人差し指を差し返される。

「よしっ、たのもー!」

 

 トイレから出てすぐ、一年三組の教室に戻れば俺の戦が始まった。

「山田遅いで〜! お花摘むのに時間かかりすぎや、腹壊しとったん?」

「壊してない! ちょっと、ほら、喝入れてたんだって」

「だっはは! 喝って何ぃ、昼飯食べるんに喝入れる必要あるんか?」

「テスト返ってきた後はいっつも落ち着きがないよなぁ、山田は」

 教室に戻った俺を出迎えたのは、いつもの二人。

 東京生まれ東京育ちの癖に、親の影響でエセだと思われる関西弁を喋る、我がクラスの糸目マスコットこと西崎。常ににっこりとして頼もしい、仏様とかお父さんを彷彿とさせる二年の押尾先輩。俺の幼馴染である二人。

 押尾先輩に点数がバレたらアウトだ。過去に何度も首根っこ掴まれて、強制的に三人で勉強会をさせられた。

 西崎にバレてもアウト。好奇心旺盛で口が軽いあいつは絶対押尾先輩にも、下手したらクラス中に俺の点数をばら撒くに決まってる。

 戦の昼休憩。高校は弁当制で、昼は教室の出入りも部活や委員会のためなら自由。だから、押尾先輩はサッカー部副部長の権利を振り翳して、こうしてよく二年から一年の教室にやってくる。あ、部活で言えば西崎は仲間はずれだ。あいつ新聞部だし。

 そんでもって、押尾先輩が来るのは大抵俺にとって嫌なタイミングだ。

「そうだ、この前俺と勉強した英語、小テストあったろ。あれ、どうだった?」

 ほら来た! てか、和食弁当の魚の骨を綺麗に取り除きながらそう問いかけてくる押尾先輩は、ほんと、俺の父さんより父親らしい。

「僕は百点やったよ〜! おとーさん褒めて褒めてー!」

 大きなからあげを一口で頬張って、俺に向かってにやにや笑いながら押尾先輩に頭を撫でられる西崎。いっそ白々しい。どうせ、俺がテストの点を隠したがってるのを知っててやってる。いっつもそうだ。

「あ〜……。お、俺はまあまあよ、良かったよ。い、今家にあるからさ、放課後に見せるって!」

「ちぇー、昨日聞けへんかったから、今日こそからかったろー思うたんに」

 ふて腐れたことをアピールするように、口を尖らせて机の下で足をバタつかせている。押尾先輩は自然な動作で西崎の口元へデザートの飴玉を差し出し、餌付けしていた。西崎、それ、俺よりデカい身長百八十超えの男がやっても何も可愛くないからな。聞き捨てならん言葉もごまかせてないからな。

 西崎は関西弁でへらへらしたキャラということから、男女問わずクラスのやつに動物園のパンダみたいに可愛がられてる。だがしかし、俺からしたら厄災以外の何者でもない。大抵面倒ごとが起こるとすればこいつが元凶だし。この前なんか、ハロウィン当日の朝四時に俺の部屋に窓から侵入してきた。かと思えば「ハッピーバレンタイーン!」なんて叫んでセミの抜け殻押し付けてきたんだぞ……⁈

「西崎、山田をからかうのもほどほどにしろよ?」

 眉を八の字に下げて、苦笑しながら西崎を注意する押尾先輩にそうだそうだと大きく頷く。

「え〜! だって、こいつ何年経っても同じネタでええ反応してくれるんやもん。おもろくてつい、なぁ……?」

 かんにんしてぇ、なんて泣き真似をしながら、さっき飴玉を食べたばかりなのに苺大福をもそもそ食べ始めて。なんだかんだで毒気が抜かれる。

「だー! 分かったって!」

 まあ、話題の中心が俺のテストの点から西崎の態度へ変わったことだし、それに免じて許してやらんこともない、か。

「よっしゃあ! ほな、もうチャイム鳴るし山田もはよ弁当食べや! 僕、先行っとるで!」

「俺もそろそろ教室戻ろうかな。山田、次移動教室なんだろ? 早く食べろよ」

「な、はぁ⁈」

「わっはは! ほな、さいなら〜!」

 一瞬にして片付けを終わらせると、教科書や筆記用具をまとめて廊下へ飛び出した西崎。その後を追うように手を振りながら大股で去っていった押尾先輩。俺の手元には、テストのことばかり考えて箸が進まず、半分以上残ってる弁当が。

 授業開始まで、あと五分。

 そういえば今日は朝も遅刻五分前だったっけ。

「お前らな〜! 絶対楽しんでんだろ⁉︎」

 

 

「はぁ〜……」

 今日は何かとギリギリだ。登校も、昼休憩も。掃除の切り上げだって最後の最後で西崎がバケツをひっくり返して遅くなるし、色んなことがギリギリセーフ。

 まあ、そんな落ち着かない中でもしっかりテスト捜索は進めていた。俺だって結構友達は多いし、クラスの人にはほとんど聞いて、隣のクラスのやつにも、結構離れた七組のやつにも聞いた。

「おじまいだぁ……」

 だからこそ、何も手掛かりがなくてお手上げ状態。

『知らないなぁ、ごめんね』

『なんだなんだ、また赤点とったのか山田!』

『え〜、山田のテスト、いっつも珍回答が面白いからなあ。探すの手伝ってあげようか』

 聞き込みをしても、知らないと言われるほうがまだ良いほう。みんな口を揃えて不穏なことを言うんだから肝が冷える。

 そのうえ、放課後になって部活に行こうにも急遽顧問の出張でなくなるし。聞き込み、再開するか〜なんて考えていたら聞き覚えのある足音が。

「山田……? ほんまに今日調子悪そうやな、どないしてん」

「……」

 机に突っ伏していた俺に西崎が珍しく静かに、どこか震わせた声をかけてきた。

「う〜、山田がダンマリとか調子狂うわ……。もしかしてバケツひっくり返したん怒っとる?」

 いや、別にそれはいつものことだから何も気にしてない。

 ただな、聞き込みをする内に俺のテストを拉致した犯人が西崎なんじゃないかって思い始めたんだよ。聞き込みのときに怪しそうな人を聞けば半分以上が西崎の名前をあげたし、何より目撃情報だってあった。移動教室の前、職員室の前でうろついてる西崎がいたらしい。そのとき、英語のテストっぽいプリントを持っていたとも。

 言われてみれば今日の西崎はいつもより俺にべたべたひっついてこなかった。いや、充分べたべたしてるけど、通常よりは引くのが早かった。それにやたらとプリント入れのファイルを気にしていたように思う。

 そのうえ西崎は俺のテストを盗んだ前科がある。今年だけで八回はある。逆になんで今まで気づかなかったんだ? 俺。

「なあ、山田ぁ……。せ、せや! 西崎サマが相談乗ったる! なんでも話してみぃ!」

「西崎、お前俺のテスト取っただろ」

「へ?」

 突っ伏していた顔をがばりと上げて、西崎の肩……に届かなかったから二の腕を掴んで問い詰める。

「昨日返ってきた英語の小テストだよ! 目撃情報だってあるし、お前今日はやけにファイルの中気にしてたし、俺にあんまひっついてこないし、前科十回くらいあるし。あとお前文化部だろ、身長分けろコラ!」

「いや、最後のは関係ないし拝借したんは八回や! てか、僕のことよう見とるな自分……。何や、僕のこと好きなん? だはは!」

「西崎ぃ……」

「ちょ、かんにんしてぇ! 冗談、冗談や! 痛い痛い、腕折れる! ほんまテストのことは知らんから、僕!」

「そう言って今まで何回俺のテスト盗んだ?」

「えー、そんなんいちいち覚えとらんわ。もー、制服シワできるやろ」

 二の腕から手を離せば、西崎は両腕をさすりながら口を尖らせた。

 そのとき、チラリと制服の胸ポケットから紙の端が覗いた。

「なあ西崎、胸ポケット何入れてんの?」

「えっ、あ、あー! これ、これな。ちょっと次の記事で使おう思うて。えっと、す、すまん! はよ記事にしたいから部活行かせてもらうわ! ほな、またな、山田―!」

「え、おい!」

 長い足であっという間にいなくなった西崎に、余計怪しさが増す。ていうか、あれはもう確定じゃないか?

 あ、いや。待て。前もどこかで見たことがある。そう、確か中学のとき……。そうだ、俺の誕生日前。西崎と押尾先輩がグルでサプライズを企画してくれたときだ。あのときも西崎はやたらと挙動不審だったし、押尾先輩もどこか硬さがあった。いつも通り放課後に家へ行けば

『あ、あ〜! 山田、かんにんな。ちょう待っとって! 押尾先輩、どないしょう、もう山田来てしもた!』

とかいう話し声をさせたり、糸目の癖に目を泳がせているように見えたり。案外、西崎はサプライズとか、俺たちへの隠し事が苦手みたいだし。

 今まではわざわざ俺に隠れてテストをとることはなかったけど、もしかしたら今回は「たまにはちゃうネタでもおもろいやろ!」とか言って俺をからかおうとしてるのかも。

「げ、これ、西崎が犯人なら押尾先輩に点数伝わっててもおかしくないぞ……」

 それならなんとかして部活だけは休まないでいいように交渉しないと。

「そうと決まれば、よし! 確かめるか!」

 

 

 二年生の教室がある三階。でっかい先輩たちをかき分けて、目当ての教室まで辿り着けば大きく息を吸った。

「押尾先輩! たのもー!」

「山田? どうした」

 呼べば、教室の奥でクラスメイトと話していたらしい押尾先輩が人の良さそうな笑顔を浮かべて俺の元まで来てくれた。

「ごめん、話してる途中だった?」

「いや、少し課題を見てやってたんだよ。ちょうど終わったところだから気にすんな」

「うおー! さすが! やっぱ押尾先輩、面倒見良いよなぁ」

 押尾先輩は努力家だから常に成績もトップクラスで、溢れる父親力から色んな人に頼られて……。って、そうだった。俺のテストの点がバレてないか探らないと。

 押尾先輩は仏のように優しい。懐も広い。だけど、怒るときはすっごい笑顔で黒いオーラを出しながら怒ってくる。今回は絶対、そっちだ。テスト勉強中、どうしても集中できなくて寝かけたり落書きしたりしたし。だから言っただろ、って放課後一週間、勉強机に拘束されるんだ。

「えっと、先輩さ、俺の英語の小テスト……。点数知って、ます?」

「ん? 知らないよ、放課後に〜って言ったのはお前だろ? それともなんだ、早く教える気になったか?」

「えっ、あー、そうじゃなくて、あ、あははー!」

 よし、押尾先輩は知らないっぽい。まだ西崎は押尾先輩に言ってないんだな。それならまだ勝機はある!

「……くくっ、ちゃんと勉強して良かったな?」

「ん、へ?」

「それじゃあ、俺は次の試合について部長と一緒に新聞部に呼ばれてるから、先行くな」

「ちょ、え、ん?」

 走ってないのにみるみる内に遠ざかる背中を見て、立ち尽くす。

「押尾先輩、もしかして知ってる?」

 今、明らかに煽るような、試すような笑い方したよな⁈ ちゃんと勉強して良かったなって、あれ何⁈

「てか、新聞部……ってまさか!」

 頭に「ドッキリ大成功〜! はい、勉強会一ヶ月分のプレゼント♡」とほざく西崎が浮かぶ。超マズイ! 押尾先輩にバレてないか確かめるんじゃなくて、逃げる西崎をとっ掴まえておけば良かった!

「くそ! お前らグルだったのか〜⁈」

 

 

「だ、だのもー!」

 先生や同級生、計十人以上に怒られながらも、新校舎三階から旧校舎二階まで全力ダッシュして新聞部の扉を開け放つ。

「山田? どないしてん」

 部活でめっちゃキツい坂道ダッシュやったときと同じくらい息切れて、よたよた新聞部が拠点としている空き教室に入った。

 膝に手をついて息を整えながら教室にいるメンツを確かめる。目当ての西崎と押尾先輩が揃っていた。

「にしざき……」

 ゆら、ゆら、と左右に大きく揺れながら、後退っていく西崎へと近づく。

 まだ胸ポケットから覗いてる、白い紙。

「え、ほんまにどないしてん……? 山田? 山田、なあ、無言でこっち来んとってや、ちょ、いややなに!」

「歯ぁ食いしばれ西崎ぃ‼︎ 俺のテスト取ったのお前らだろ〜‼︎」

 威嚇するように西崎に詰め寄って、蛇みたいに暴れて抵抗してくる腕を避けながらブレザーから紙を引っ張り出す。

「あ、ほんま待って、見たらあかん!」

 西崎の反撃を避けながら飛び退く。勢いのまま教室の隅に移動して、壁を背に紙を広げた。

「おかえり! 俺のテス……ト……?」

「だー‼︎ アホ! こんのドアホ! 見たん? 見たんやな? 表出ろや山田ぁ!」

 一瞬見えて、すぐに西崎に回収された紙。それは俺のテストではなく、七十点と書いてあるテストだった。

「七十点?」

「やっかましいわ! おどれのその口縫い付けたろうか、どつきまわすぞ!」

「西崎どうした、そんなに騒いで」

「あ、押尾先輩、あかん……」

 珍しく顔を真っ赤にして怒っていた西崎は、くしゃりと握ったテストを押尾先輩に取り上げられて、死んだ。

「お、西崎が七十点なんて珍しいな〜! いつも八十は取るし、小テストならだいたい満点だろ」

「おしおせんぱいかんにんして……。はっずい、あかん、僕もうお嫁に行かれへん……」

 顔を覆って横たわる西崎と、大爆笑の押尾先輩、立ち尽くす俺で修羅場が完成した。

 でも、あれが俺のテストじゃないってことは、犯人は?

 ま、まあとりあえず、この場が凌げるなら——。

「お、山田いるな〜。これ、朝の提出物にくっついてたぞ〜」

 ひと息つこうとした途端、突然開いた教室の扉。そこから入ってきたのは担任の英語科教師で、差し出されたのは。

「ひゅげ……」

「押尾、また山田の勉強見てやってくれ。それじゃ、復習頑張れよ〜」

 ひらひら手を振って、去っていった担任。打って変わって、静まり返った教室。

「え? え? ぷっ……だっはは! え、嘘やろ? 山田ついに〇点とったん? わっははは! いひ、ひ〜! あかん、はら、腹痛い」

「……山田」

 さっきとは真逆で、俺の後ろからでかでかと〇点と書かれたテストを覗き込んで爆笑し始めた西崎と、黒いオーラを纏う押尾先輩。

 犯人は、朝、慌てて課題を提出した俺自身か……。

 思わず、天を仰いだ。さようなら、俺の、部活時間。

 

 

「で、なんで西崎は七十点だったんだ?」

「う〜、一個先の範囲勉強しよった……」

「西崎ぃ、脳みそ五グラムでいいから分けてくんない?」

「おどれまだ許してへんからな」

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